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さがな者隆家  作者: ふじまる
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第22章 乱闘

 道隆が亡くなったのは四月十日だったので毎月十日に定子さだこは月命日の供養を行っていたが、九月十日に登華殿とうかでんにて大々的に行なわれ際には大勢の殿上人が参加し、斉信ただのぶも現れた。道長派の斉信は敵情視察のスパイ活動を兼ねてやって来たのであるが。

 斉信が道長側へ寝返ったのは周知の事実であったから、定子に仕える女房の中には露骨に斉信を嫌う者も多かった。そんな中、とびっきりのイケメンだし、仕事は出来るし、芸術的センスは抜群だし、自分に求愛し続けてくれているし・・・等の理由から、清少納言だけは相変わらず斉信と親しくしていた。

 法事の後に設けられた酒の席で斉信が声高らかに

「月秋と期して身いずくにか」

 と『和漢朗詠集』にある菅原文時すがわらのふみときの詩「金谷花ニ酔フノ地、花春ゴトニ匂イテ主ニ帰ラズ。南楼月ヲ玩ブノ人、月秋ト期シテ身イヅクニカ去ル」の一部を吟唱すると、清少納言は思わず「お見事です!」と激賞した。この詩は「月は秋になると再び照り始めるけど、月を愛でた人はどこへ消え去ってしまったのだろうか」という意味で、亡き道隆を偲ぶその場の雰囲気にピッタリだったからである。清少納言が酒席の場を抜け出し、定子にこの一件をまるで自分の手柄であるかのように嬉しそうに報告すると、

「それはお見事ね。おそらく今日の為、予めその詩を用意していたのでしょうね」

 と褒めてくれたが、チクリとこう皮肉るのも忘れなかった。

諾子なぎこさんは昔から斉信やそのお仲間の皆さんがたいへんお気に入りだったものね」

 定子は中関白家に対する清少納言の忠節を露ほども疑ってはいなかったが、他の者たちはそうではなかった。

「もう長い付き合いなのに、なぜあなたは私と本気の関係になってはくださらないのでしょうか? 私をお嫌いになっているわけではないようですのに。このまま私たちは他人の関係のままでいても良いとお考えなのですか?」

「だって、斉信さまとそういう関係になっちゃったら、もう陛下の前であなたの素晴らしさを褒めてあげる事が出来なくなってしまいますもの、身びいきじゃないかしらと気がとがめて。だから今のままの関係がいちばん良いのです」

 斉信と清少納言がそんな事を言い合いながら、いかにも仲睦まじくイチャイチャしている姿を観た女房たちは、清少納言も道長側のスパイに違いないと勘違いし、定子による常日頃からの寵愛に対する嫉妬心と相まって、彼女に様々ないやがらせをするようになった。いじめに耐えきれなくなった清少納言は休職して実家へ戻った。清少納言が付き添っていなかったこの時期に、定子および中関白家の運命を変える《長徳の変》が起きる事になる。

 長徳二(996)年一月十六日の夕方、隆家が自分の部屋で寝っころがって『蒙求もうぎゅう』を読んでいたところ、いくさ支度をした伊周これちかがどかどかと入ってきて、隆家を見下ろしながら

「おい、隆家、おまえ以前、花山院に恥をかかされたよな?」

 と言った。花山法皇の屋敷の門前を牛車に乗って通れるか否かで一悶着あった件の話をしているのである。

「別に恥をかかされたわけじゃねえよ、あれは」

 何事かと思いながら隆家が体を起こしてそう答えると、伊周は冷たく言い放った。

「でも、揉めたよな?」

「まぁ、確かに揉めはしたけどね」

「その仕返しを今晩させてやるぞ」

「え?」

 隆家は驚いて伊周の顔を見つめた。

「どういう事?」

「実はな、花山院が俺の女に手を出したみたいなんだ」

「まさか」

 隆家は笑って否定したが、伊周は真剣だった。

「それが残念ながら本当なのだ。俺は少し前から為光ためみつの三女を妾にしているのだが、そこへ花山院がちょっかいをかけて来たんだ」

「俄かには信じられない話だなぁ。だって院は出家しているんだよ。それなのに、なぜ女に手を出すんだい?」

「花山院が常識外れの人間だという事は、おまえもよく知っているだろうが。あの人には出家なんか関係ないんだよ」

「そう言われればそうだけど・・・」

 と、隆家もこの点に関してだけは妙に納得した。

「たぶん先日の騒動の際、おまえが逃げ帰ってきたものだから、花山院はこちらをナメていやがるんだよ。臆病者だから何をしても反撃してこないだろうと高を括っていやがるんだ」

「俺は逃げたわけじゃねえと何度も言っているでしょうが」

「それで、嫌がらせで、わざと俺の女に手を出してきやがったんだ。ふざけやがって。バカ者めが。後悔させてやるぞ。この《さがな者》伊周さまを嘗めたらどういう恐ろしい目に遭うか、たっぷりと思い知らせてやる」

「いや、まずその《さがな者》伊周って・・・」

「隆家、今から出陣だ。すぐに支度をしろ」

 すっかり大将気分に酔っている伊周は勇ましくそう命令したが、隆家は戸惑うばかりだった。

「出陣って、どこへ行くんだよ?」

「決まってるだろうが。鷹司小路たかつかさこうじにある為光の屋敷だ。俺の得た情報によれば、今夜、そこに花山院がやって来るはずだ。奴が来たら、こてんぱんに懲らしめてやるんだ」

 もし房子ふさこがその場にいれば、伊周が得たという情報の出どころを聴取し、陰謀の匂いを察知して出陣を止めたであろうが、残念ながらその場に房子はおらず、隆家が房子に相談する機会を得ぬまま伊周に引っ張られ、ズルズルと事件の現場へ連れて行かれるハメになってしまったのは、中関白家にとってかえすがえすも残念だった。

 隆家と家来数十名を引き連れて伊周が夜道を為光の屋敷前までやって来ると、ちょうど花山法皇の乗った御輿を担いだ一行が近づいて来るのに出くわした。暗闇の中、松明の明かりが行列の姿を照らし出している。出家の身で女の家へ行くという、絶対に他人に知られたくない、お忍び中のお忍びであるので、警護の僧兵も少人数である。伊周は問答無用で命令した。

「かかれ!」

 中関白家の手勢が一斉に襲い掛かった。隆家も「ここまで来たら、もうしゃあないな」という感じで皆と一緒に向かって行った。不意を突かれた花山法皇側は狼狽して後退したが、隊長格の頼勢らいせいがひとり前線で踏ん張って陣営を立て直し、僧兵たちに得意の石つぶて戦法を命じた。僧兵たちは石を投げて、何とか中関白家側の攻撃の勢いを食い止めた。奮戦する頼勢に向かって何者かが声をかけた。

「《高帽》、なかなかやるじゃねえか。見直したぜ」

 声がした方向を頼勢が向くと、隆家がさも愉快そうに笑っている。

「隆家か?」

「おうよ。サシでこのあいだの決着をつけさせてもらうぜ」

「望むところだ」

 隆家と頼勢の一騎打ちが始まった。頼勢が鉄の輪をはめた五尺の兵仗をブンブン振り回しながら豪快に攻め立てると、隆家はそれをピョンピョンと身軽にかわしつつ剣先で鋭く斬りつける。まるで後年の牛若丸と弁慶による五条大橋での闘いみたいである。

 花山法皇は御輿の中でじっと事の推移を見守っていた。攻める中関白家の者たちも、さすがに花山法皇の乗る御輿にだけは、誰ひとり手を出そうとしなかった。仮にも天皇であった人に危害を加えれば、どんな神罰を下されるか想像するだけで恐ろしかったからである。ところが、ここに天皇だって唯の人間だと考える男がいた。伊周である。

(俺の女を寝盗った奴が神様のわけはない。こいつは人間だ。薄汚ない唯の人間だ。俺さまが成敗してやる)

 伊周は花山法皇の御輿に向かって矢を構えた。もし隆家が矢を放っていたら花山法皇は死んでいたであろう。伊周のへっぽこ矢は外れた。しかし、いつもなら大きく外れるはずの矢が、こういう時に限って、間が悪くも花山法皇のすぐ近くへ飛び、袖を貫いた。花山法皇は恐怖のあまり悲鳴を上げた。

「まさか花山院さまへ」

 花山法皇の悲鳴を聞いた頼勢は、すぐさま隆家との戦闘を止め、大あわてで法皇の御輿に駆け寄り、その無事を確認した(花山法皇は御輿の中で気絶していた)。花山法皇の御輿に矢が放たれた事を知り、法皇側の僧兵と同じように中関白家の者たちも事の重大性に呆然としていたが、頼勢はそんな彼らを鋭い眼光で睨みつけ、

「うぬら、神罰が下るぞ!」

 そう言い捨てて大急ぎで撤退していった。花山法皇の一行が見えなくなるまで怖い顔をしてじっと見ていた伊周に、隆家がこう声をかけた。

「いくら脅しとはいえ、院に向けて矢を放ったのはまずかったな、兄貴よ。後で問題にならなきゃ良いけど」

「脅しじゃねえよ。俺は本気で法皇の首を取ってやるつもりだったんだ」

「それは・・・もっとまずい・・・な・・・」

「ふん。俺さまの女を盗んでおいて命があると思う方が甘いんだよ。こんど会ったら絶対に殺してやる」

「え? まだやるつもりなの?」

「当たり前だ」

 この乱闘で中関白家側に死者は出なかったが、花山法皇側は二人が死んだ。伊周は戦利品だと言って、その二人の首を持ち帰った。

 この騒動の一部始終を屋敷の中から密かに覗き見していた男がいた。藤原斉信である。伊周に花山法皇が眠子ねむこに懸想しているという嘘の情報を伝えたのも斉信なら、今夜、花山法皇がお忍びでやって来る事を伊周に教えたのも斉信だった。斉信は道長の意を受けて、これらの工作活動に従事していたのである。

 斉信は夜道を土御門殿つちみかどどのへ駆け、道長に事のあらましを報告した。翌朝、道長はその内容を検非違使庁の長官を務めていた藤原実資ふじわらのさねすけに通報した。実資は驚愕したが、前天皇の殺人未遂事件であり、しかも最高権力者である道長からの通報とあれば放っておくわけにいかず、さっそく一条天皇へ報告した上で捜査を開始した。

 一条天皇は困惑した表情で定子にありのままを伝えた。

「伊周と隆家が花山院と乱闘騒ぎを起こしたらしい」

「花山院さまと? 兄と隆家が?」

 定子は動揺した。

「詳細はまだ明らかになっていないのだが、院へ矢が射かけられたという話が出ている。それが本当ならまずい・・・」

「兄と弟はどうなるんです?」

「それはまだ分からない。いま実資が捜査している最中だ。私としては事を荒立てたくないのだが、ただ・・・」

「ただ?」

「通報してきたのが道長だからなあ・・・厄介だ・・・」

「叔父上が・・・」

 その名前を聞いて定子の顔が曇った。

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