第21章 仕掛け
事態を憂慮した定子は隆家を登華殿へ呼び出し、沈静化を図るよう指示したが、隆家の答えは「それは難しいでしょう」というものだった。
「なぜ難しいのよ?」
定子がそう問い詰めると、隆家は諦観した様子で答えた。
「兄上は完全にキレてしまっておりますし、事ここに至っては道長と決着をつけない限り、どうにもならないと思います」
「だから、そうならないよう、あなたに兄上を抑えてくれと頼んでおいたじゃないの」
「私の力不足は謝ります。でも、今さらそんな事を言っても何の解決にもなりません。ここまで来た以上、騒動を解決できるのは、もはや陛下ただお一人かと思います」
「陛下が?」
定子は夫である一条天皇を持ちだされたので動揺したが、隆家は構わずに話を続けた。
「姉上の率直なご意見をお伺いしたいのですけど、陛下は最終的に兄上と道長のどちらをお選びになるおつもりなのでしょうか? 両者が共に並び立つというのは考えられません。どちらか一人を選んで、選ばれなかった方は消えてゆくしかないでしょう。それを選ぶのは陛下です」
隆家にそう問われ、定子はしばし返答に窮していたが、やがて意を決してこう述べた。
「陛下がわたしや兄上を見捨てる事など考えられないわ」
「それなら道長を罷免するよう陛下にお願いしてください」
「今すぐは無理よ、隆家」
と、定子は思わず大きな声を上げた。続いて涙声でこう懇願した。
「だから今は問題を起こさず、静かにしていて。兄上にもそう伝えておいて。しばらくのあいだ我慢してくれれば、必ずわたしが良い方向に話を進めるから。だから今は辛抱していて」
隆家は伊周を抑えるのは無理だろうなと思いつつも、定子の苦しい胸中を察し、ただ一言「・・・分かりました」とだけ答えて退出した。
すっかり中関白家の問題児となった伊周は、もともと優等生というのは正反対の存在である不良に憧れる傾向があるものだが、二度の乱闘騒ぎで名を上げた結果、自分は強くて恐ろしいのだと勘違いし、いっぱしのワルを気取るようになっていた。調子づいた挙句に、まるで山賊の親分のような奇抜で恐ろしげな格好をしたり、周囲の者に自分を《さがな者》伊周と呼ばせたり、軍隊並みに大量の武器を買い揃えたりしていた。そして武装した大勢の家来を引き連れて街中をわがもの顔で練り歩き、道長の家来がいないか探し回っていた。もちろん見つければ、(いくら威張ってみても、自分自身が非力なのは変わらないので)家来に命じて足腰が立たなくなるくらいこてんぱんにやっつけさせるつもりだった。伊周は玩具を与えられた子供のように軍隊ごっこに夢中だった。ところが、そんな伊周の熱狂をはぐらかすかのように、乱闘騒ぎ以降、道長の家来はひとっこひとり姿を現さなくなり、不気味な沈黙が漂っていた。
「ケッ、俺さまを恐れ、尻尾を巻いて逃げやがったか」
このおめでたい《にわか番長》は本気でそう信じていた。そして、ケンカで俺さまの血を燃え上がらせられないのなら女で燃やそうとばかりに、このところぞっこんになっている先の太政大臣・藤原為光の三女・眠子の住む鷹司小路の屋敷へ向かった。
正暦三(992)年六月に亡くなった為光の娘は美人揃いであり、長女の惟子は《寛和の変》で失脚した藤原義懐の正室であったし、次女の忯子は花山天皇最愛の女御であった。
ちなみに、為光の次男が藤原斉信である。斉信は、道隆の関白時代、定子のサロンによく出入りし、清少納言を熱心に口説いていた程バリバリの道隆派だったが、道隆が死んだ途端に伊周と道長を天秤にかけ、次は道長の天下であり、道長に付いて行った方が出世できると風を読み、今では道長の忠実な腹心となっていた。
そんな《平安時代の政界風見鶏》斉信が、ある日、道長の土御門殿へ呼ばれた。すぐさま参上した斉信が謁見の間で控えていると、
「いや、わざわざご苦労」
道長が部屋に入って来て、にこやかにそう言った。道長に続いて安倍晴明も入室した。斉信は深々とお辞儀をしてこう挨拶した。
「閣下がお呼びとあれば、この斉信、何を置いてもすぐに飛んで来る所存であります」
「それは嬉しいお心がけじゃ」
と、道長は満足した笑顔を見せた。しばらく雑談が続いた後、
「ところで、そなたの妹だが、伊周とはまだ続いておるのかな?」
道長にそう尋ねられた斉信は、自分と伊周が親しく裏で繋がっていると疑われているのかと思い、動揺して噴き出した顔の汗を懐から取り出した手拭で拭きながら、あせって弁明し始めた。
「申し訳ありません。眠子は道隆さまが関白であった時代から伊周さまにご寵愛いただいておりまして、閣下には申し訳ないと思いつつも、何しろもう長い関係なものですから、その・・・」
「いやいや、わしは斉信どのを責めているのではないぞ」
道長は両手を横に振って否定した。
「斉信どのは、わしに気を遣って別の妹をくれると申しておるしな」
伊周の妾になっている斉信の妹は為光の三女・眠子だが、斉信は立身出世の為、自分の妹である為光の四女・儼子を道長の妾に差し出す旨を申し出ていた。
「その妹御だが、先日わしがお顔を拝見したところ、やはり血は争えぬものだな、かって花山院の女御であった忯子さまに瓜二つであった。それで、その話を院にお伝えしたところ、ぜひ自分に譲ってくれないかと言ってきてな」
道長は上機嫌でそう話したが、斉信にとっては寝耳に水の話であったので、驚いて目をパチクリさせた。
「え? 出家の身である花山院さまがですか?」
「出家と言っても院は、まだ二十七歳の若さだ。元気が有り余っていらっしゃる」
「それはそうでしょうけど・・・」
「そこで斉信どのにぜひ承知して頂きたいのだが・・・もちろん妹さんを不幸にするつもりは無いし、院にもしもの事があれば、わしが責任を持って儼子どのを引き取るつもりだ」
実際、後年の話になるが、花山法皇が亡くなった後、道長は儼子を自分の愛人にしている。
「いえいえ、私に異存など滅相もございません。何事も閣下のご指示に従います」
斉信がこう述べると、道長は
「おお、承知してくれるか。嬉しいぞ」
と大喜びしたが、話はそれでおしまいではなかった。
「それで、斉信どのにもう一つ無理を承知してもらいたいのだが、先程そなたも指摘したように院は出家の身だ。出家した者が女のもとへ通うというのは、やはり世間体がよろしくない。そこでこの件は内密にしておいて欲しいし、儼子どのは初めから存在していないという事にしておいて欲しいのだ」
「それは当然のご配慮ですね。承知いたしました」
「その上で、もし伊周が同じ家に通う別の存在に気づき、不審を抱くような事があれば、儼子どのは初めから存在していないのであるから一切その名前は出さず、伊周と同じく眠子どのを目当てに通っていると思わせるようにしてもらいたいのだ」
「はぁ?」
「良いな?」
「も、申し訳ありません。おっしゃっている意味がよく分からないのですけど・・・そんな事をしたら伊周さまが怒り出すのでは・・・」
そこまで言ったところで斉信は、ようやく陰謀の存在に気づき、改めて道長と側に控える晴明の顔を観た。二人とも不敵な笑みを浮かべていた。
(そうか。花山院なんか最初からどうでも良かったんだ。すべては伊周を陥れる為の罠だったのか・・・)
道長の真意を悟った斉信は、もはや迷う事なくこう言った。
「何事も閣下のお指図通りにいたします」
一方、いつものように房子の待つ家へ戻った隆家は、部屋に入るなり床にごろんと転がり、大きく伸びをしながら
「あー、あー、嫌だ。嫌だ。兄貴と姉上の板挟みにされてよ。まったく損な役回りだぜ。本当は俺が暴れたいのにさ」
と嘆いた。房子が横に座ると、体の向きをそちらへ向けて、さっそく意見を求めた。今の隆家には房子の知恵だけが頼りだった。
「なぁ、房子、姉上は兄貴を抑えろというし、兄貴は道長をぶっ殺すと息巻いているし、どうしたら良いと思う?」
隆家にそう尋ねられた房子は、少し考えた後、逆にこう質問した。
「その後、道長さまの陣営からは表立ってケンカを仕掛けられていないんでしょう?」
「うん。不思議だよなぁ。あれっきり何もなし。静かなものさ」
「何もないという事は別の作戦を考えているという意味よ」
「別の作戦って何だよ?」
「それはわたしにも分からないわ」
と、房子は笑った。
「ただ、もう正面からぶつかって来ないのは確かね。たぶん次は搦め手から、思いもよらぬ方向から仕掛けてくるはずよ、今までの道長さまならね」
「そうなった時、俺はどうしたら良いんだ?」
「軽率に動かない事が第一ね。この点、わたしも中宮さまとまったく同意見よ。隆家も伊周さまも辛抱強くじっとしているべきだわ。そして、じっくり好機を待つべき。必ずその時はやって来るから」
房子にそう言われた隆家はつまらなそうな顔でこうぼやいた。
「俺と兄貴にそれが出来るかね?」
「出来なきゃ、この勝負、こちらの敗けよ」
房子はきっぱりそう宣言した。




