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さがな者隆家  作者: ふじまる
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第18章 道長時代の始まり

 国の一大事だった。ほんの一ヶ月ほどの短期間に、政権の中枢を担う人間が、いっぺんにごっそりといなくなったのである。すなわち、前関白・藤原道隆、現関白・藤原道兼、左大臣・源重信、大納言・藤原済時、大納言・藤原朝光・・・残った有力者は伊周これちかと道長のみだった。二人のうち、どちらが関白になるのか? いよいよ伊周と道長による最終決戦が始まった。一条天皇は今度こそ伊周を関白にするつもりだった。それが定子さだこへの約束だったし、仲の良い伊周を関白にしてやりたかったからである。しかし、詮子あきこを初めとする周囲の人間は相変わらず現在の緊急事態に対処できない伊周の能力不足を声高に指摘し、人望と実力のある道長を熱烈に支持するので、なかなか結論を出せずにいた。

 詮子は、可愛い弟の道長を関白にして、最愛の息子である一条天皇のそばから気にくわない伊周と定子を排除しようという長年に渡る自分の計画が、いよいよ大詰めに近づいた事を知った。最後の仕上げの前に、念のため人相占いの名人と評判の高い僧に道長と伊周の人相を占ってもらった。僧は道長を「天下を取る相」と誰よりも高く評価した。

「それで伊周の人相はどうなのよ?」

 そう詮子が尋ねると、僧は

「雷の相をお持ちです」

 と答えた。

「いかずちの相? 何なの、それは?」

「一時は雷が激しく鳴り響くように華々しい権勢をお示しになりますが、それも長くは続かず、最後は惨めに落ちぶれていくという相でございます」

 これで一切の迷いが無くなった詮子は、前回同様に鼻息荒く内裏へ乗り込んで行った。一条天皇は、

(うっせえなぁ。またどうせ道長を関白にしろという催促だろう)

 それが分かりきっていたから、体調不良を理由に面会を拒否した。しかしながら、そんなことで「はい、分かりました」とおとなしく引き下がるヤワな詮子ではなかった。これまでさんざん修羅場を潜り抜けてきた詮子である。ここで引いたら勝負は負けだと経験上知っていた。詮子は蔵人や侍女たちを蹴散らしながら猪の如く一直線に清涼殿の奥へずんずんと突き進み、仮病の一条天皇が隠れている寝所へ押し入った。そして真っ青な顔で怯える一条天皇の首根っこを捕まえ、鬼の形相で

「ゴラァ、懐仁やすひと、次の関白は道長だ。文句ないな?」

 そう怒鳴りつけた。一条天皇としては力なく「・・・はい」と頷くしかなかった。結局、道長は関白ではなく、伊周に代わって内覧の地位に就いたが、詮子の勝利に違いなかった。道長の天下の始まりである。ちなみに、道長は一般に《御堂関白みどうかんぱく》と呼ばれるが、最後まで関白の地位に就いた事は無い。しかし、実質的には関白であり、この国の宰相であり、最高権力者である事は、誰もが認識していた。

 一条天皇は泣いた。定子の膝にすがりついて号泣した。

「定子、許しておくれ。僕は、僕は、情けない男なんだよ」

 定子は一条天皇の頭を撫でてやりながら母親のような優しさで慰めた。

「そんなにご自分を悪く考えてはいけませんわ、陛下」

「僕は怖かったんだよ。本当に怖くて、体が震えて、何も出来なかったんだよ。母上に言われるがままになってしまったんだよ。そんな弱くて情けないダメな男なんだよ、僕は」

「今回は東三条院さまの方が一枚上だったという事ですね」

「僕は自分が恥ずかしくて、このまま死んでしまいたいくらいだ」

「陛下、よくお聞きください。確かに陛下は、今回、東三条院さまに敗れたのでしょう。でも、こういう惨めな敗北を重ねる事で、人間は強く、しぶとく、逞しくなれるのです。東三条院さまも過去に何度も苦汁を舐められたはずです。だから、これほど強くおなりになったのです。敗けた事の無い者に真の力は生まれません。陛下も、これを良い教訓にして、次は絶対に敗けないよう心掛けてください。もし次も敗けたら、その次は絶対に敗けないよう心掛けてください。そうやって真に強い人におなりください」

「でも、伊周はどうなる? 僕は伊周との約束を破ってしまった」

「兄の事は心配なさらないでください。兄はまだ若いし、大納言である事実に変わりはないのですから。兄も今はじっくり力を蓄えて、やがて来る捲土重来の時に備えるべきかと思います」

「そうだね。伊周なら大丈夫だよね。彼は優秀な人間だものね」

 ようやく心が落ち着いた一条天皇は、泣き疲れたのか定子の膝を枕にしてすやすや寝息を立て始めた。定子は一条天皇の寝顔を眺めながら、自分の言葉とは裏腹に伊周が怒りのあまり軽率な行動に走らないか、そればかりを心配していた。

 その伊周は詮子の奇襲による逆転満塁ホームラン的大勝利に対して見苦しいほど荒れ狂っていた。

「何で道長なんだよおおお!」

 そう叫びながら部屋の中をうろうろ歩き回り、乱暴に壁を叩いたり、板戸を蹴ったりする伊周に向かって、部屋の中央にきちんと正座して控えている隆家が

「まぁまぁ、兄上。何もこれで敗北が決まったわけではないのですから少し落ち着いてくださいよ」

 冷静にそう声をかけると、

「立派な敗北だろうが、これは」

 と、火に油を注がれたように伊周が激しく喚き始めた。隆家はため息をついてこう述べた。

「戦争は攻めるより守る方が難しいんですよ。確かに今回は東三条院さまと道長叔父にしてやられたかもしれませんけど、今度はこちらが攻める番です。宮中で恥をかかせて道長を引き摺り下ろすのですよ、今の地位から。そういうのが兄上は得意じゃないですか」

「まどろっこしい、そんなやり方は」

「では、どうすれば良いのですか?」

 隆家にそう尋ねられた伊周の目がギラリと光った。

「道長を殺せないか?」

 隆家は二度目のため息をついた。

「そりゃあ道長が夜ひとりで通りをノコノコを歩いていれば、この俺がただちにぶった斬ってやりますよ。でも、道長が夜ひとり歩きするなんて事はありえないし、どこへ行くにも用心して護衛の者をいっぱい引き連れているし、まさか宮中で殺すわけにはいかないし、そういうのは無理ですね。出来るとすれば呪い殺すくらいでしょうか?」

「おっと、そうだった、高階たかしなのじいさんが呪詛に詳しいんだった。さっそく道長を呪い殺してもらうよう頼みに行こう」

 呪詛というアイディアに子供のように喜んで飛びついた伊周に対して隆家は三度目のため息をついた。

「あのですね、兄上、呪詛とかそんな曖昧でいい加減な事ばかり考えていないで、もっと冷静になって現実的に考えてくださいよ。兄上は重要な事実を忘れています。私たちには定子姉さんがいるのですよ。定子姉さんが陛下の皇子を産めば、道長が関白だろうが内覧だろうが、天下はこちらのものではありませんか」

「そうだ、忘れていた。定子だ」

 そう言って伊周はポンと手を叩いた。

「定子には早く次の天皇を産んでもらわなければならない。あいつは何をグズグズしてんだ? さっさと男の子を産んでくれりゃ良いものを。まさかあっちの方はまだって事はないよな? ちゃんとやる事はやってるよな? 何だか心配だな。隆家、ちょっと定子の様子を探って来てくれないか?」

 隆家は伊周の発想の子供っぽさに呆れながらこう答えた。

「ちょうど明日、隆円たかまろと一緒に定子姉さんのところへ遊びに行きますから、それとなく探ってきますよ。だから、兄上、くれぐれも軽挙妄動は控えてくださいよ。兄上は、とても頭が良い人だけど、時おり妙に幼稚で浅はかな行動に走る傾向がありますから」

「うるさいな。分かったよ。分かったから、もう黙れ。鬱陶しい」

 そう言った伊周は、翌日こっそりと、母方の祖父で、呪詛を初めとする世にありとあらゆる怪しげな事柄に精通し、はっきり言って奇人変人の類いである高階成忠たかしなのなりただの屋敷へ、道長の呪詛を依頼しに行った。伊周の頼みを成忠は醜い顔を不気味に歪めて微笑みながら

「お任せあれ。可愛い孫の頼みとあらば、この成忠、必ずや道長の奴を呪い殺してやりましょうぞ」

 と快諾した。伊周と成忠は、向かい合ったまま、しばらく二人でニタニタ笑い合っていた。

 その頃、隆家が弟の隆円を連れて定子のところへ遊びに来ていた。仲の良い弟たちと気ままに談笑していると、定子は道隆の死から続いたゴタゴタによる心労が少しは安らぐような気がした。

「このあいだ見事な扇の骨を手に入れましたので、紙を貼って姉上に進呈しようと思っているのですが、その骨があまりにも素晴らしいので、それに相応しい上質の紙がなかなか見つからず、いま困っているところなんですよ」

 隆家がそう言って笑うと、興味を抱いた定子が尋ねた。

「へえ、どんな風に素晴らしいの、その扇の骨は?」

「とにかく細いんですよ。よくもまぁ人間の手でここまで細く削れたなと感心するくらい繊細で優美なんです。それを見せた誰もが、今までこんなの見た事が無いと驚くほど素晴らしい骨なんですよ」

 隆家が目を輝かせながらそう説明すると、すかさず定子の側に控えていた清少納言がこう言った。

「たぶんそれはクラゲの骨でしょう」

 それを聞いた隆家が清少納言の方を向いてニンマリと笑い、

「相変わらずうまいこと言うねぇ、諾子なぎこさんは。それ、俺が言った事にしてくれないかな?」

 と言ったものだから、その場にいた全員が大笑いした。

「進呈するといえば、姉上、そろそろ《無名》を私に譲ってくださいよ」

 隆円が定子にそうおねだりした。以前いちど書いたが、《無名》というのは定子が愛用する琵琶の名品である。音楽好きの隆円は前々からそれが欲しいと頼んでいたのである。しかし、定子は

「隆円、悪いけど、あれはまだダメよ。陛下がわたしの琵琶と一緒に横笛を演奏するのを楽しみにしていらっしゃるから」

 そう言って断った。

「ちぇっ、まだダメかぁ」

 と残念がる隆円を

「バーカ、当たり前だろう。何事も陛下が優先だよ」

 そう言って窘めた隆家は定子の方へ向き直り、真面目な表情に戻って小声で

「・・・それで、陛下はその後、お変わりありませんか?」

 と尋ねた。定子は大きく頷いた。

「陛下は大丈夫よ。一時は伊周に悪い事をしたと言って落ち込んでいたけどね。それより兄上の方はどうなの? さっぱり顔を出さなくなったけど。元気にしている? 母上も心配していたわよ」

「本人は関白になれなかったのが相当くやしかったみたいですけど、今更どうこう言っても仕方ないし、これから巻き返しの機会があるのだからと言って慰めてはいるのですけどねぇ・・・」

「まさか逆上して変な事をしでかさないでしょうね、兄上は? 母上もそれを心配していたし、わたしもそれが心配だわ」

 この言葉を聞くと、隆家は苦笑しながらこう言った。

「見る目は誰も同じなんですね」

 定子も苦笑した。

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