第15章 迷惑な縁談
清少納言と藤原実方は密かに逢瀬を続けていたが、誰が洩らすのか、このテの話はいくら内密にしようとしてもやがて露見するのが人の世の常であり、案の定、二人の仲もいつしか宮中に知れ渡っていた。話を聞いた定子はクックと含み笑いをしながら
「諾子さんもなかなかやるわねぇ」
と言った。
「何の話でしょう?」
清少納言としては、あくまでシラを切り続けるより他に道は無い。
「またまたぁ、とぼけちゃってさぁ、もう」
「わたしには何の事やらさっぱり分かりませんけど」
「道長叔父みたいな渋いおじさんが好みだと言っていたくせに、実際はやはり若い色男がお好きだったのね」
「どなたさまのお話をなさっているのでしょうか?」
「んもー、最後まで言わせないでよ」
のらりくらりと追及をかわす清少納言を定子は本気で追い詰めようとはせず、ただからかいの材料にして楽しんでいるだけであったが、清少納言の初スキャンダルにマジで腹を立てている男が他にいた。藤原斉信である。自分ほど魅力的な男はいないと己惚れている斉信は、格下で、しかも(斉信からすれば)オジンの実方に負けたのが悔しくて、悔しくて、口から炎を吐き出しそうなくらい怒りまくった。やがてその怒りは清少納言と実方へ対する憎しみに変貌したが、まずは実方をどうにかしてやろうと得意の陰謀を画策し、藤原行成に持ちかけた。行成もやはり清少納言を恋慕していた一人なので、言わば斉信とはライバルのはずだったが、いつの間にか恋の敗北者仲間という奇怪な連帯が生じ、二人は一致団結して実方を都から追い出すことに決めた。
一条天皇の面前で蔵人たちが楽しく和歌について談笑していた時、とつぜん行成は実方を
「そんな事も知らないんですか、年上のくせに。もはや老害ですね、あんたは」
となじった。実方はそれまで行成を年下の後輩として可愛がってきたので、いきなりそんな言い方をされた事に驚き、次にメラメラと怒りがこみ上げて来て、遂には
「貴様、いつから俺にそんな偉そうな口がきける身分になったんだ!」
激昂のあまりそう怒鳴りながら行成に掴みかかった。行成は一切抵抗せず、無言でされるがままになっていた。同席していた斉信が急いで止めにかかるフリをしたが、揉み合いの最中、実方は行成の冠をひっ掴んで投げ捨てた。以前も書いたが、この時代、男が人前で冠を脱がされるのは、現代で言えばパンツを脱がされ、フルチン状態にされるに等しい恥辱である。そこまでの恥辱を受けても行成はあくまでも冷静であり、転がっている冠を黙って拾い、何事もなかったかのように頭に被せ直した。その沈着冷静な行動に感銘を受けた一条天皇は行成を蔵人頭に任命すると共に、狼藉をはたらいた実方には陸奥守になるように命じた。すべては斉信と行成のシナリオ通りだった。二人は陰でほくそ笑んだ。
実方は清少納言に詫びた。
「すみません。私の軽率な行動でこんな結果になってしまって」
「謝る必要はありませんわ。二、三年したらまた戻って来られるでしょうし」
清少納言はそう言って慰めたが、実方は沈痛な面持ちで首を横に振った。
「いや、それは難しいでしょう。私は陸奥で一生を終える運命だと思っております。諾子さんとも、おそらくこれが今生の別れになるでしょう」
「それなら、わたしも陸奥へお供いたしますわ」
「いけません。あなたは私のような命運の尽き果てた男と一緒にいるべき人ではありません。陛下と中宮さまの為に、これからも都で活躍なさるべき人です。関白殿下はご病気のようですから、もしかしたら今後、大きな政変が起きるかもしれません。そうなった時、中宮さまのお側にいて、お支えしてあげてください。それが出来るのは諾子さんだけです」
実方と清少納言は抱き合って泣いた。別れを惜しんで泣いた。しかし、運命は無情にも実方の予想した通りとなり、陸奥へ旅立った実方は四年後、都への帰京が叶わぬまま転倒した馬の下敷きになるという不慮の事故によって亡くなった。享年四十歳であった。
時間を少し元へ戻して、斉信と行成が実方を陥れようと策略を錬っていた頃、隆家は道隆に呼び出された。
(先日の競射大会の件で小言でも言われるのかな?)
そう思いながら隆家が道隆の部屋へ行くと、話はまったく別で、隆家の縁談話だった。
「え? 俺の結婚っスか?」
驚いて訊き返した隆家に、上座にいる道隆はこう答えた。
「そう、おまえの結婚だ。わしが元気なうちにおまえたちの将来に不安が無いよう予め手を打っておこうと思うてな。結婚もその重要な手段の一つなのだ」
健康不安を抱える道隆としては、伊周を無理やり内大臣にしたのと同じ理由で、隆家にはまず有力者の娘を娶らせて、その立場を盤石なものにしておこうと考えたのである。
「しかし、俺は・・・」
と、隆家は躊躇う様子を見せたので、道隆の横に有能な秘書のように控えている伊周がすぐさま尋ねた。
「どうした? もう決まった女でもいるのか?」
「はい。実は藤原景斉の娘と、すでに夫婦の契りを結んでおりまして・・・」
隆家は景斉の娘・房子をとても気に入り、このところずっと房子の家に入り浸っていて、仲間たちに房子は俺の妻だと公言していた。伊周は道隆の方を向き何やらヒソヒソ告げると、再び隆家の方へ向き直してこう言った。
「それは心配いらない。今回、おまえが娶るのは正室だ。その女は側室として置いておけば良い」
(側室? それで房子が納得してくれるかな?)
頭の中でグルグルと様々な考えが廻った隆家は、肝心かなめの質問をし忘れている事に気づいた。
「ところで、誰が俺の正室になるのですか?」
隆家のこの質問に対し、伊周が即答した。
「左大臣・源重信の娘、律子だ」
「はぁ・・・左大臣の・・・」
源重信は世間から《六条左大臣》と呼ばれている当時七十三歳の老臣である。性格が優しく、陽気だったので、人々の評判が良かった。音楽の才能に秀でており、笛の名手としても知られていた。その血を受け継いだ五男が、以前、定子の前で演奏を披露した琵琶の名手・道方である。
「左大臣の娘との結婚は、おまえの将来に役立つ」
そう道隆は断言したが、隆家には若干の疑念があった。
「あのお・・・父上、一つお伺いしたいのですが・・・その律子さんとやらは一体おいくつなのでしょうか? ・・・六条左大臣が随分とご高齢なので、そこがちょっと気になるのですけど・・・」
「おまえより少々年上だが、そんなこと気にするな」
隆家の質問を遮るかのように伊周がピシャリとそう答えた。
(いや・・・でも・・・そう言われましても・・・)
隆家は依然として口の中で何かモゴモゴ言っていたが、話が済んだ道隆と伊周はさっさと退席した。これにて隆家の結婚は正式に決定事項となった。
(まいったなぁ。房子の奴、カンカンに怒るだろうなぁ。泣きわめかれたらどうしよう?)
頭を抱えながら房子の家へ帰った隆家が事の顛末を正直に報告すると、意外にも房子は平気な顔で
「良かったじゃないの」
と言った。出会った頃と違って、今ではもうタメ口で会話するほど親密な関係だった。
「え? 良かった? 良かったの?」
隆家は驚いて訊き返した。
「そうよ。だって、左大臣の娘なのでしょう? 正室にピッタリじゃないのよ」
「房子、本当におまえは側室でも良いのかい?」
「だって、わたしの実家の家柄では、関白家の息子の正室になる資格が無いでしょ?」
「家柄とかそういう問題じゃなくてさぁ、おまえの気持ちの話をしているんだよ。俺は房子が悲しむんじゃないかと心配していたんだ。大丈夫なのかい、房子?」
隆家がそう言うと、房子は笑いだした。
「優しいのね、隆家は。わたしは大丈夫よ。誰が来ようと負けない自信があるもの。わたしより魅力的な女がいるのなら見てみたいくらいだわ。それよりも問題はあなたの方よ。関白の地位を狙おうという人間が、そんな些細な事を気に病んでいてどうすんのよ?」
「関白になるのは俺じゃない。兄貴だよ。俺はその補佐役さ」
「《さがな者》のくせに、そういうところだけは律儀なのね」
「そりゃ、まぁ、家族だからな・・・」
「そんな消極的な態度では、よその家の誰かに権力をかっさらわれちゃうわよ。それでも良いの?」
房子にそう注意されると、隆家はじっと考え込んだ。隆家の脳裏には道長の顔が浮かんでいた。
(確かに次の関白に相応しいのは、兄貴ではなく道長だ。兄貴では道長に勝てない。道長と比べると薄っぺらだ)
隆家は道長の弁論能力、人望、頭の回転の速さ、並外れた胆力に気づいていた。残念ながら伊周にはそれらが決定的に欠けている。伊周では勝負にならない。伊周は、学問は得意だが、人を引っ張っていく大将の器ではない。学者の器だ。それもよく分かっていた。しかし、と隆家は思う。俺はどうしても兄貴を関白にしなければならない、たとえ兄貴が適任者でないとしても、我が家の為に・・・
「誰か思い当たる人がいるようね」
そう言って房子は隆家の顔を覗き込んだ。
隆家は無言で房子に抱きつき、そのまま押し倒して、激しく愛撫し始めた。嫌な予感を無理やり忘れ去ろうとするかのように。




