第13章 房子
備前守を務めた藤原景斉の娘・房子が法事の帰りに牛車に乗って揺られていると、突然
「痛えぞ! 体にぶつかったじゃねえか! どうしてくれるんだよ!」
という大声が響き渡った。止まった車の簾越しに房子が前方を見ると、牛を引いてくれていた年寄りの下人が数人の男たちに因縁をつけられている。街中にたむろするゴロツキどもである。やがて男たちは「お許しください」と泣いて謝る年寄りの下人を、あざ笑いながら小突き回し始めた。それを見て頭にカーッと血が昇った房子は
「およしなさい!」
と車の中から大声を上げた。
「ん?」
房子の大声に動きを止めた男たちは、声のした車の方へ近づいてきた。房子は車の中から、
「あんたたち、年寄りを苛めて恥ずかしくないの?」
と怒鳴りつけた。男たちはゲラゲラ笑った。
「こりゃまた威勢の良いお姫さまだぜ」
男の一人が簾の奥にぼんやり見える房子に向かって言った。
「悪いのはぶつかってきたそっちじゃねえか。こっちは被害者なんだぞ。このオトシマエをどうつけてくれるつもりなんだよ?」
「ぶつかったって偉そうに言うけど、どうせお金目当てにあんた達がでっち上げた嘘なんでしょう。ケガ人なんかいないくせに。それくらいこっちはお見通しなのよ」
「なんだと!」
いつの間にか車の周囲には野次馬の人だかりが出来ている。
「とにかく、こちらは見え透いたゆすりたかりに応じるつもりは一切ありませんからね」
「ふざけやがって、このアマ。そんならてめえの体でオトシマエをつけてもらおうじゃねえか」
そう言って男が車の簾を跳ね上げようとした時、人だかりを掻き分けて「どうした? どうした?」とケンカや揉め事が大好物の隆家が、騒動の匂いを嗅ぎ付けてひょっこり現れた。隆家はひと目で状況を把握した。
(まずい。《さがな者》隆家だ)
ゴロツキどもは、自分たちが属する裏社会で名の通っている隆家をよく知っているので後ずさりしたが、一人だけ隆家を知らないらしく、一歩も引こうとしない男がいた。隆家は敏感にそれを察知し、その反抗的な表情の男に向かって
「往来で大の男が年寄りや女相手にケンカとはみっともねえ話だぜ。関係の無いよそ様にも迷惑がかかるしさ。ここは俺の顔を立てて、おとなしく引き上げてくれねえか?」
と一応はおだやかに、穏便に話をした。もちろん、相手が素直に引き上げるとは思っていない。隆家はケンカがしたくてウズウズしているのである。案の定、仲間たちが背後から口々に「バカ、よせ、やめとけって」そう忠告するのを無視して、男は隆家に食ってかかってきた。
「なぜ俺がてめえの顔を立てなくちゃならねえんだよ?」
「あれ? 俺の願いが聞けないというの? そんなら、このケンカ、俺が代わって買う事になるけど、それでも構わないかい?」
「構わないも何も・・・」
そう言いかけたところで、男は隆家の拳によって気絶していた。隆家が殺気を籠めた目で残りの者たちを
「さぁ、次はどいつだ?」
とひと睨みするや、男たちは震え上がって一目散に逃げ出した。
「もう大丈夫だぜ」
隆家が車の中に向かってそう告げ、立ち去ろうとしたところ、車の中から
「お待ちください」
と房子が声をかけた。そして自ら簾を上げて顔を表に出した。ゴロツキどもと言い争いするくらいの気の強さだから、どんなごっつい顔をしたおばさんだろうと思っていたところ、意外にも若くて、小柄で、涼やかで、可愛い、色白の美少女がそこにいたので、隆家は少し唖然とした。年齢は隆家と同じくらいであろうか?
「わたくしは藤原景斉の娘で房子と申します。助けてくださり、ありがとうございます」
房子がそう礼を述べると、隆家は気を取り直して
「別に礼を言われるほどの事じゃねえよ。こちとらはブン殴る相手を探していたんだからさ。それより房子さん、あんたも度胸があるのは良いけど、女だてらにあんな連中とやり合うのはよした方がいいぜ。何されるか分かんねえからよ」
そう言って笑った。
「以後、気をつけます」
「うん、それが良い」
「助けて頂いたついでに、もう一つお願いしてよろしゅうございますか?」
「ん? 何スか?」
「まずはお名前をお聞かせください」
「俺の名前かい? 俺は隆家と言って都のワルどもの間でちょっとは名の知れた《さがな者》よ」
「では、その隆家さまにお願いがあります。さっきの者たちが仕返しをしに舞い戻って来たら恐ろしいので、家まで送ってくださいませんか?」
房子にそう頼まれた隆家は、まぁ成り行き上しゃあないなと承諾し、房子の車の横に並んでとぼとぼ歩き始めた。実は隆家にとって、こんな事は日常茶飯事だった。育ちの良さから来る気品と野獣のような力強さを併せ持つ隆家は女性にモテモテで、平素より女性からのお誘いが多かったのである。ちょうど十代のさかりまくっていた時期だったので、誘われれば断わる事なく隆家は誰とでも寝た。だから房子ともこのあと一夜限りの関係になるのかな、と隆家は勝手に想像していた。
一方、房子の方はゴロツキどもをたった一人で退治した隆家にひと目惚れしていた。車の中から横を歩く隆家をチラチラ見ながら房子は明るい声で話しかけた。
「そういえば思い出しましたわ。関白さまにとても暴れん坊の息子さんがいらっしゃる事を。確かそれが隆家さまという名前で・・・」
「あ、それは俺です」
と、隆家はあっさり認めた。
「やっぱりそうでしたか。これはお見それ致しました」
「別に俺が関白になるわけじゃねえし、関係ないですよ、そんな事」
「でも、関白さまのご子息で、しかもあんなに腕が立つのですから、鬼に金棒じゃありませんか」
「いくらケンカが強くても世の中では何の役にも立ちませんからね」
「そうなのですか?」
「そうですよ。社会にはキッチリ秩序が出来上がっていて、たとえば俺の家なら、もし親父に何かあった場合、兄貴があとを継いで関白になる事が決まっている。いくらケンカが強くても、次男の俺には出番なんか無いんですよ」
「ははぁん、隆家さまはそれがご不満なのですね?」
房子にそう指摘された隆家はビックリして車の方を向いた。
「別に不満じゃねえよ。ただ社会はそういうものだと説明しただけです」
「いいえ、心の奥底では不満なのです、あなたは」
「そんな事ねえよ。仮に不満だとしても、どうしようもねえし。どうしようもねえ事をあれこれ考えたって、しょうがねえじゃないですか」
「そんなに不満なら今の秩序をぶっ壊せば良いのに」
「え?」
「いま現にある秩序を破壊して、新しい秩序を打ち立てれば良いと申し上げているのです」
(何なんだ、こいつ?)
隆家はまじまじと車の方を見た。キツネにつままれたような気分というのは、こういう事を指すのだろうか? とにかく、こんな恐ろしい事を平気で口にする女性が世の中に存在する事が、隆家には信じられなかった。
「房子さんはおっかない事を言うんだなぁ。俺に反逆しろと唆すつもりなのかい? 平将門や藤原純友みたいにさ」
「反逆は出来ませんの?」
「いや、現実的にはとても無理だな」
「この国で新秩序を打ち立てるのが無理なら、船で海を渡って大陸へ行き、そこで打ち立てれば良いじゃありませんか」
「はぁ? 大陸? 船で? 房子さんの考えは奇想天外すぎて俺にはとてもついていけないよ」
そう言って隆家はカラ笑いをしたが、気まずい思いが残った。
(俺はこの女に圧倒されているのか?)
この時代の身分が高い女性、なかでも若い女性は、お人形のような者ばかりで、自分独自の意見を持ち、それを堂々と表明する女性なんか、まず存在しなかった。隆家の知る限りでは姉の定子くらいのものである、そんな女性は。ところが、房子は違った。
(面白い女だ)
興味を抱いた隆家は、この日からせっせと房子のもとへ通うようになった。女性と様々な事柄について語り合う事が出来るというのは大きな魅力だった。人間同士には言葉ではうまく説明できない相性というものがあって、誰と相性が良いかは予め分からないし、意外な相手と相性が良いという事も多々あるのだが、たまたま今回は隆家と房子の間でドンピシャリだったらしい。陽気で明るく、定子のようにざっくばらんで、自分の意見をズバズバ言う房子と一緒にいるのが、隆家にはとても心地良かった。隆家と房子は互いに強く惹かれていった。




