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さがな者隆家  作者: ふじまる
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第10章 求愛する男たち

 宮仕えを始めたばかりの頃はまわりの人すべてが恐ろしく思えて小さく縮こまってばかりいた清少納言だったが、いったん仕事に慣れると、持ち前の気の強さもあって、どんどんその才気を発揮し始め、定子さだこの信頼も日に日に厚くなっていった。古参の女房たちの中には新入りの清少納言ばかりが重用されるのを快く思わない者もいたが、そんな彼女たちでさえも次のような場面をまざまざと見せつけられると、もはや何ひとつ文句を言えなくなるのだった。

 雪が降ったある日、定子と女房たちが炭櫃で暖を取りながら楽しくおしゃべりしていると、定子が突然

「香炉峰の雪はどうなったかしら?」

 と尋ねた。女房たちが心の中で

(はぁ? 香炉峰の雪? ここは唐じゃねえし、そんなの確かめようがねえし)

 そう思っていると、清少納言がスッと立ち上がり、閉めてあった格子を上げて御簾を高く巻上げた。その様子を見て定子はにっこり微笑んだ。ここでようやく女房たちは『和漢朗詠集わかんろうえいしゅう』に収録されている白居易はくきょいの詩の一節「遺愛寺ノ鐘ハ枕を欹テテ聴キ、香炉峰ノ雪ハ簾ヲ撥ゲテ看ル」に思い至った。つまり定子は御簾を上げて欲しいという事を白居易の詩にひっ掛けて婉曲に述べたわけである。何と言う高等なお遊びであろうか。また、定子の言葉に隠された意味を瞬時に理解し、行動に移せる清少納言の教養の深さと頭の回転の速さ。これには到底敵わない。とてもじゃないけど太刀打ち出来ない・・・古参の女房たちは、おとなしく白旗を揚げて引き下がるしかなかった。

 清少納言は来客の対応を任された。定子のいる登華殿とうかでん(梅壺)へは毎日多くの人がやって来た。いちばん多くやって来るのは定子の兄の伊周これちかであり、伊周は一条天皇に漢籍を教えていて、その講義は深夜に及ぶ事が度々あった。隆家たかいえもたまに顔を出したが、伊周のように長居をしなかったし、愛想も良くなかった。また、隆家のすぐ下の弟である隆円たかまろもたまに遊びに来た。隆円は、伊周のような才気走ったタイプではなく、かと言って隆家のような肉体派の乱暴者でもなく、とても真面目でおとなしい人柄であり、将来は仏門に入る予定だった。

 他にも関白の道隆みちたかは当然ちょくちょくやって来たし、内大臣の道兼みちかねも不機嫌そうな表情で稀に現れた。

(内大臣は心の中に鬱憤が溜まっているのかしら?)

 道兼に会うたびに清少納言はそう思った。

 中宮大夫である道長みちながとは、ほぼ毎日会った。清少納言は三兄弟の中では道長を最も買っていた。道隆は軽薄と呼べるくらい明るすぎるし、逆に道兼は暗すぎる。その点、道長は実直で一番まともに思えたからである。また、道長は中宮定子に対してはもちろん、定子付きの女房たち対しても常に礼儀正しかったので、そういう点も清少納言は気に入っていた。三兄弟に関しては一条天皇の母親である詮子あきこも同様の評価を下しているが、後に道長が天下を獲った事を思えば、清少納言の人を見る眼力はさすがに的確であったという結論になるだろう。

 清少納言が定子の前で道長を褒めると、定子が

「父上も嫌われたものね。まぁ、ああいつも酔っぱらってばかりじゃ嫌われても仕方ないわね。父上は禁酒して諾子なぎこさんに好かれるよう努めなきゃ駄目ね」

 そう言って苦笑したものだから、慌てて清少納言は弁解した。

「いえいえ、関白さまはもちろん素晴らしいお方であり、わたくしも尊敬申し上げているのですけど、道長さまの真面目なお人柄もまた好ましいと申し上げただけです」

「いいのよ、諾子さん、無理しなくても。父上が諸事においてだらしない駄目人間だという事は、わたしが一番よく知っているのだから。でもね、諾子さん、道長叔父には、ああ見えて腹の中では何を企んでいるか分からない、不気味なところがあるのよ」

「あ、それは、わたくしも以前から感じておりました」

「やっぱりね。そうでしょう? 油断のならない人物でしょう? でも、それでも諾子さんは好きなのよね、道長叔父が」

「はい。それも魅力を構成する大切な要素ですから」

 ここで、すかさず定子が、悪戯っぽい目つきで

「では、わたしの事は好き?」

 と訊いた。清少納言が「もちろん大好きですよ」と言ったのと同時に、台所で誰かが大きなくしゃみをした。この時代、くしゃみは嘘をついている証拠と思われていた。定子の顔がムッとした表情に変わった。

「あなたも油断のならない人物みたいね、諾子さん」

 そう言って定子はさっさと奥の部屋へ引っ込んでいった。

「違うんです。中宮さま。誤解なんですううう」

 清少納言はそう訴えたが、定子は無視した。本気で怒っていたわけではない。怒ったふりをして清少納言をからかっていたのである。一条天皇より年上とはいえ、所詮まだ十六歳の定子は少女気分が抜け切れておらず、こういった子供っぽい悪戯や我儘が大好きで、時おり誰かを困らせては面白がっていたのである。

 だが、そんな事は先刻お見通しの清少納言が、すぐさま定子に宛ててウィットに富んだしゃれた弁明の手紙を送ると、定子はそれをとても面白がり、よりいっそう清少納言を信頼するのだった。

 才気溢れる魅力的な清少納言を平安貴族の男たちが放っておくはずがなく、さっそく口説いてくる男が出てきた。とは言っても、口説いてきた男は全員、和歌や漢籍に造詣の深い、かなりの教養人ばかりである。実際、そうじゃないと気後れして清少納言のような才女を口説くという気にはとてもならないだろう。それくらい清少納言はハードルの高い相手であり、敢てそこへ挑んでゆくチャレンジ精神だけは、とりあえずたいしたものだと褒めてやらなければならない。三人の貴族が口説いてきた。

 一人目の挑戦者は、蔵人頭を務める藤原斉信ふじわらのただのぶである。歌人としても知られている斉信は、正暦四(993)年時には二十六歳。ほぼ清少納言と同じ年である。細身の美男子ながら、野心家で、冷徹で、機を見るに敏な斉信は、今でこそ道隆や定子へ近づき、その御機嫌取りに余念が無いが、いざ何か事が起きた場合、真っ先に裏切るタイプだった。そのため道隆も定子も心を許していなかった。定子などは陰で斉信の事を《小道長》と呼んでいたくらいである。清少納言も決して心を許していたわけではないが、斉信が嫌いなわけではなかった。斉信が、美形で、仕事が出来て、芸術の造詣も深い、優秀な男だからである。こういう上級の男を好むのである、清少納言というロマンチックな女は。

 二人目の挑戦者は、正暦四(993)年時に二十一歳、清少納言より六歳年下で蔵人を務める藤原行成ふじわらのゆきなりである。行成は、後に小野道風おののみちかぜそして藤原佐理ふじわらのすけまさと並んで《三蹟さんせき》と呼ばれる程の書道家であり、教養も申し分なかったが、なにせ清少納言には子供すぎた。行成のぽっちゃりした童顔を見るたびに「十年早いわね、このわたしの相手をするのは」と思った程である。それでも行成は《憧れのお姉さま》である清少納言への恋慕の気持ちを失う事はなかった。

 三人目の挑戦者は、藤原実方ふじわらのさねかた。行成と同じ蔵人であり、正暦四(993)年時には三十四歳で、先の二人より幾分年上である。甘いマスクの持主で、和歌や漢籍に造詣が深かく、ダンディな大人の雰囲気を持つ男だった。しかも実方は藤原済時ふじわらのなりときの養子であるから、清少納言が初めて貴族社会に認知されるきっかけとなった小白河にある済時邸での法事に参加しており、当時の事を鮮明に憶えていた。

「あなたが、あの時のお嬢さんだったのですね」

 初対面の時、実方は嬉しそうにニコニコ笑いながらそう言って清少納言に近づいて来た。

「あの時は、私の義父を初め、今の関白さまや、義懐よしちかさまや、とにかくあの場にいた全員が、あなたの機智の素晴らしさに驚嘆したのですよ」

「いやですわ、そんな大袈裟に・・・」

 清少納言は照れて顔を赤らめた。

「いいえ、決して大袈裟に申しているのではありません。真実そうだったのです。そして、あの時、私はあなたに恋したのです」

「そんな・・・会った事も無い女に惚れるなんて、おかしくないですか?」

「おかしくはありません。そもそも恋は予感なのです。実際に見知っている人と恋に落ちても、後で相手の意外な側面を知って、つまり当初の予感が外れて失望し、恋が終わる事は多々あります。それとは逆に、この人はきっと素晴らしい人に違いないという予感で恋に落ちて、実際に会ったとき自分の予感が間違っていなかった事を確かめた上で、さらにいっそう恋心を強めるという、そんな恋も実在するのです」

「何だか論理が飛躍しすぎているようですけど・・・」

「飛躍はしていません、諾子さん。私は両足を大地にしっかり踏ん張って誠実に真実を申します。あなたが好きです」

 清少納言が恥ずかしがって逃げてしまった為、その場は何事も無く終わったが、その後、数回の手紙のやりとりをし、その中の一通には清少納言を情熱的に恋うる歌が書かれていた。

「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」

 そして、ある夜、清少納言の寝所に実方が忍んで来た。

「あなたを頂きに参りました」

 そう言うと実方は清少納言をぎゅっと抱きしめた。

「いや」

 驚いた清少納言は体を離そうとしたが、次第に全身から力が抜けてゆき、動かなくなった、まるで体全体がだらんと溶けてしまったかのように。実方には斉信や行成からは感じられなかった大人の男特有の大きな包容力があった。清少納言はそのまま実方に陥落した。以来、二人は人に知られぬようこっそり逢瀬を楽しむようになった。

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