第1章 小白河
小白河にある大納言・藤原済時の屋敷において、上達部および殿上人を集め賑々しく法華八講が催されたのは、寛和二(986)年六月十五日から十八日迄であった。
この時代、法華経八巻を八回に分けて講義する法華八講がしばしば行われていた(通常は午前と午後の二回ずつを四日間)。平安時代初期に伝教大師・最澄が唐から伝えた天台宗は、その後、歴代の天皇および皇族、貴族たちによって熱心に信仰され、ほとんど国教と呼んでも構わないほど社会に(特に上流階級に)根付いていたが、その天台宗が法華経を根本経典とするため、法華経を学ぶのがブームになっていたのである。しかも今回は大納言邸での開催であり、上達部も参加するとあって、世間の関心が高かった。十八日の最終日も、屋敷内は早朝から多くの人でごった返していた。
身分の高い女性は外出しないのが原則だったが、法事だけは割と自由に参加が許されていたので、高貴な身分の女性にとって法事は格好の息抜きであり、レジャーであり、気分転換だった。この日も多くの貴女がつめかけた。もっとも人前に姿を晒さないのが平安女性のたしなみだったので、みんな牛車に乗ったまま簾越しに講話を聴くのである。済時の屋敷の広い庭は、女たちが乗る牛車で朝早くから埋め尽くされていた。
男たちは屋内にいた。板戸がすべて取り外されているので、外から中の様子が丸見えである。
済時が来訪者と談笑している。このとき四十五歳。自分へ贈られた進物をわざわざ庭に並べて来客に見せびらかすほど見栄っ張りな一面のある人物なので、主人として大勢の貴族を自宅へ迎え入れるのが嬉しくてたまらないらしく、終始にこやかに笑っている。そのすぐ横には、亡兄の子ながら今は養子となって済時を支えている二十六歳の藤原実方が、忠実な秘書の如く控えている。いかにも切れ者という感じがする白面の美青年である。
そこへ白い単衣の上に藍染の直衣を着ておしゃれに決めた三位中将・藤原道隆が現れた。道隆は右大臣・藤原兼家の長男で、このとき三十三歳。済時とは少し年齢が離れているが、酒飲み友達の間柄である。済時、道隆、そして権大納言・藤原朝光の三人は何かにつけしょっちゅう集まっては酒を酌み交わす仲であり、三人の酒豪ぶりは都じゅうに知れ渡っていた。ただし酔って乱暴をはたらくような真似はせず、いたって陽気な酒だった。
特に道隆は常日頃から明るくざっくばらんで、よく笑い、冗談が好きで、女の子と戯れるのが好きで、みんなでワイワイ騒ぐのが大好きな好漢だった。しかも、たいへんな美男子だった。酔って顔をぼーっと赤らめ、口元に柔らかな笑みを浮かべながら、とろんとした眼差しで道隆に見つめられると、それだけで世の女という女はたちまちコロリと魂を奪われるのだった。それくらい酒の席での道隆は、この世のものとは思えないほど男の色気が溢れまくっていて、女性にとっては怖いくらい魅惑的であった。
「六月なのに今日も朝から暑いですねぇ」
そう言って道隆は手拭で首の汗を拭いた。夏本番前だというのに、すでに早朝から陽射しが強く、気温が上がっていた。
「うむ。この分では日中そうとうな暑さになるだろうな。たいへんだ。こんな日には、よく冷えたやつをクイッとやって、喉の渇きを癒したくなるね」
済時はニヤリと笑って手で酒を飲む仕草をした。道隆の目が悪戯っぽく光った。
「おっつけ朝光もやって来るでしょうから、会が終わったあと一献やりますか?」
「悪くないね。ところで、来ると言えば、右大臣閣下は今日もいらっしゃらないのかい?」
道隆の父である兼家は初日から参加していない。済時にそう問われた道隆は困惑して頭を掻きながら
「うん。何だか最近いそがしいみたいで・・・弟の道兼も来ないし・・・何やっているんでしょうね、あの二人は?」
そう答えかけた時、済時が
「あ、義懐どのがいらした」
と言って話を遮った。済時の視線の先へ道隆が目をやると、藤原義懐がにこやかに微笑みながらこちらへ近づいて来る。義懐は官職こそ権中納言とさほど高くはないものの、実姉の懐子が冷泉天皇との間に生んだ子が今上天皇・花山であるため、天皇の外戚として実質的に権力のトップに立っている人物だった。
済時と道隆はすぐさま挨拶をしに向かった。三十四歳の義懐からは権力者のみが持つ特有のオーラが放たれていて、その場にいた誰もがそれを感じた。義懐は自信と余裕に満ちた鷹揚な態度で取り巻く人々に接した。済時と道隆はさかんにお追従を並べながら、そんな義懐の機嫌を取っていた。話の途中で道隆が何気に尋ねた。
「陛下のご様子は如何ですか? 相変わらずふさぎ込んでいらっしゃるのですか?」
花山天皇は、昨年、最愛の女御・忯子を亡くしてからノイローゼ気味になり、しきりに「出家したい」と口走るようになっていたのである。たちまち義懐の表情が曇った。道隆は
(しまった。余計な事を言ってしまったか)
と後悔し、不穏な空気を察した済時の顔にも緊張が走った。しかし、義懐はすぐに元の穏やかな表情に戻り、
「いや、もう以前と変わらぬくらいお元気になられましたよ」
と澄ました顔で答えた。道隆は慌てて
「そうでしょう。そうだと思っていたんです。義懐殿がお側についていれば何の心配もありませんよね」
と言い繕って笑った。済時も一緒に愛想笑いをした。見え透いた薄っぺらな笑顔を浮かべる二人に少々うんざりした義懐は気分を変えたいと思い、庭いっぱいにずらりと並んだ牛車を眺め回して、
(ひとつ女にちょっかいをかけてみるか。面白い女はいないかな)
という遊び心を起こした。
その時、遅れて到着した牛車が、建物の近くはもう満杯なので、庭内にある池の近くに駐車した。
(見かけない車だな。どんな女が乗っているのだろう? ま、そんな事はどうでも良いや、あれにしよう)
義懐は実方を呼び、
「あの池のそばに停めてある車の中にいる女に挨拶したいから、使いの出来る者を呼んでくれ」
と頼んだ。実方はすぐに家来の中から義懐の使者となり得る優秀な者を選んで連れて来た。義懐は済時や道隆と相談して決めた伝言を実方が選んだ使者に伝え、女のもとへ向かわせた。その成り行きを、庭にぎっしり停った牛車の中から、多くの女性たちが固唾を飲んで見守っている。屋内からも上達部や殿上人が見守っている。すなわち、これはこの時代のエンターテイメントショーなのである。ショーなので、もたつくと観客が興ざめする。女はすぐに気の利いた返事を返さなくてはならない。それでこそショーが盛り上がるというものだ。それでこそスターの証しだ。ところが、その女はスターの器ではなかったらしい。さんざん時間をかけた挙句、出来上がった返事はひどく平凡でつまらないものだった。義懐はその女に対する興味を失った。女の方も恥じたのであろう、いつの間にか池のそばの牛車はいなくなっていた。
午前の講義が始まった。講師は清範という名の端正な顔立ちをした二十六歳の僧侶である。講義の名人と呼ばれるだけあって実に見事な話しぶりだった。誰もが感動した清範の講義がもうすぐ終わろうとする頃、庭がざわつき始めた。誰かの牛車を帰すため、他の牛車が道を開けようとして移動しているのである。
(まったくさっきの能無し女と言い、こっちの迷惑千万な女と言い、今日は野暮な連中ばかりだな)
と屋内にいる上達部や殿上人たちからブーブー文句が漏れ始めた。騒ぎを鎮めるため義懐がぴしゃりと言い放った。
「まあまあ、帰るもまた良しですよ、皆さん」
もう悟りを開いたと慢心し、法話中に退席した五千人の聴衆に向かって釈迦が言い放った言葉を引用して、義懐は揶揄したのである。法華経方便品にあるこの故事を知っている者は笑った。知らない者も、周囲の様子をキョロキョロ確かめながら、何だかよく分からないけど時の権力者が気の利いた冗談を言ったみたいだから笑っておこうと考え、作り笑いをした。
(退出した牛車に乗っていた女が誰だか知らないが、いずれにせよ法華経の中身を詳しく知るほどの教養があろうはずがないから、俺さまの言った言葉の意味を理解できなかったであろうな・・・)
義懐がそう高を括っていたところ、退出した牛車に乗っていた女からすぐに手紙が届いた。義懐が手紙を開いて済時や道隆と一緒に中を確かめると、そこにはこう書かれていた。
「あなた様も五千人の中の一人になりませぬように」
こいつ、法華経の内容を熟知していやがる! しかも皮肉を効かせた見事な返し! 何なんだ、この女は?
「誰だ、あの女は? 誰かあの女の素性を知る者はおらんか?」
驚愕した義懐が周りを見回しながらうわずった声でそう尋ねると、遠くに控えていた公卿の一人がおどおどと自信なさげな表情で答えた。
「たしか、あの車は歌人である清原元輔の娘が使っていたと思いますけど・・・」
「清原元輔の娘?」
義懐には元輔の顔が頭に思い浮かばなかった。しかし、これほど出来る娘なら・・・と、さっそく召し出して自分の子の家庭教師にでもしようと考えた。それくらい印象が強烈だった。済時も道隆も、そして実方も、同じようにこの時の女の鮮やかな手際が強く脳裏に焼き付いた。