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此方彼方  作者: N-rai
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壱話 Ⅳ

東都の邸に再び戻った旗本を待ち受けていたものは、更なる屈辱であった。かつての忠実な召使は、館の適切な管理を怠っていた。あろうことか、彼は館を自らの名の下で公開し、雑多な人々を招き入れ、身勝手に多くの金銭を得ていた。己の最も大切とするものを身勝手に利用された旗本は、帰郷早々に、召使に己の憤怒を叩きつけたが、そこで彼を待ち受けたものは、見慣れた恐怖の表情でも、聞き飽きた服従の言葉でもなかった。


嘲笑だった。召使は、己の罵声に一切動じなかった。かつての主人の旗本の憤怒を、年老いた抜け殻の士族の戯言と、一笑に付したのである。今の地位にぬけぬけと堕とされた主は、最早おそるるに足らず。敬意も不要である。そう、召使は、嘲弄を幾許かの修辞で糊塗しながら、旗本へと告げたのである。ゆがんだ笑みさえを浮かべて。


元の職責から降格されたこと。部下に侮られたこと。この二つの連なった出来事は、旗本にとって、衝撃であっただろう。それはまた、ある残酷な現実を突きつける作用があったのかもしれない。自らはもう若くなく、かつて己が鍛えた最強の武器と自負していた覇気も、加齢とともに大分衰えてきているのだと。己が嘗て保持した影響力も、相当に失われてしまっているのだと。そして、嘗て北を制した英雄の豪炎は、最早残り香に過ぎないにもいないのだと。旗本は、気づかされたのである。


かくして、旗本は、以前の彼ならば絶対に考えられないことをした。奉行所に訴えたのである。自身の手で私的な諍いを解決せず、第三者の力を借りる。ほぼ全てを己の手一つで解決してきた旗本にとって、これは初めての出来事であった。それほどまでに、旗本は追い詰められていたのだろう。もしくは、より単純に、自身の状況に、混乱していたのだろう。だが、果たして、その訴えは認められた。召使は立ち退きを命じられ、旗本は再び、己が心血を注いで創り上げた館を取り戻すことが出来た。


だが、しかし。物語はここで終わらなかった。


召使は、かつての主に牙を向いた。よき収入を奪われたことによる逆恨みだろう。だが、彼の憎悪は留まることを知らなかった。旗本に会うたびに、心無い皮肉と罵倒を浴びせかけた。館を訪れる者へと、あることないこと吹聴した。挙句の果てに、深夜に館の近くに忍び込み、柱に小刀で傷を刻み込んだ。だが、旗本にはどうすることも出来なかった。誇りゆえに、二度も奉行所への訴えが出せなかった、というのもあるだろう。だが、長年士族の端くれとしてを使えていた旗本は、奉行所が、この程度の些事では動いてくれないことを、理性で理解していた。己の手で解決せよ、と突っぱねられることを、彼は分かっていた。……それは、衰えた自身では最早、叶えることの出来ない願いであることも。


北の最果てを平定し、その名を東都に轟かせた己が、このような些事に気を悩ませることになるとは。それどころか、解決するための手段も力も、最早失ってしまっているとは。辛く、苦しく、そして、ただただ不甲斐ない。誇り高く生きた旗本にとって、この現在の惨めな現実が、どれ程の絶望を齎したであったであろうかは、旗本本人でしか、分かり得まいし、語り得まい。そして、絶望を抱えながら生きるのは、どのような人間でも、不可能である。たとえその者が、古代の英傑に匹敵する武勇を打ち立てていたとしても。


しかし。皮肉にも、事態は急転直下することとなる。自身が無能で愚かと退けた、他ならない、己の息子によって。

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少年は、気づいていた。誰よりも早く、もしかすると、当人すらよりも、早く。自身の父が、その覇気と剛毅を失いつつあること。嘗てのように、強大な権勢と影響力を、最早行使できなくなっていたこと。最も父に蔑まれていた存在が、その内面を知り尽くしていたのは、大変に皮肉な事態でこそあれ、ある意味、必然であったのかも知れない。そして、彼は、東都に帰った父の有様を見て、己の直感を確信した。父は、老いたのだと。そして、彼はある解を思いついた。己のただ一つの願いである、西都の少女と添い遂げる。それを叶えるための、計画を。


即ち、召使とその一族の殺害である。


下位の身分にある者からの不躾な態度を、刃で以てして返礼することは、多少眉を顰める行いであったにせよ、邪道とされるものではいだろう。故に、奉行所もお目こぼし下さるだろうし、万が一捕縛されても、そう長期間に渡って拘束されることはないに違いない、と。こうすれば、父は自分のことを見直してくれるだろう、少女とのことも認めて下さるだろう。と。少年は、そう考えたのである。全ては少女の為に。いや、自身と少女が結ばれるために。そのために、少年は全ての掛け金をのせた。自身の命と、相手の命。そして、自身の手を赤く染める覚悟を。


……。相手の命を奪うことでしか、解決の糸口を見つけられぬというのは、とても愚かなで、野蛮なことであろう。だが、少年は他の手段を取り得なかった。いや、そもそも、他の手段があることを知らかなった。牢獄に長いこと縛りつけられていた彼は、暴力以外の解決方法を知らず、そして、そうとしか生きられなかった。他の手段があることを知らせてくれる人をもいなかった。彼の世界は、内側に閉じ過ぎていたのである。


だが、しかし。彼は静かに、密やかに準備を始めた。召使とその一族から心無い言葉を浴びながらも、じっと裡に殺意を隠して。使うは勿論、握ったことすら殆どなかった刀を研いだ。召使を呼び出し、抹殺するための一連の手順を組み立てた。東都に戻ってから三度月が満ち、欠けた時。虚ろな目をした父が奉行所から帰還し、物言うことなく寝床についた姿を見た時。彼は最後の覚悟を決めた。


計画の日。少年は召使に面会を申し入れた。永らく仕えてもらった身であるにも関わらず、その恩を顧みるとことなかった。都合が悪くなった瞬間に、冷淡に接し、そして追放した。これは義に則る行為ではなく、故に、我らにも少なからず非があったといえる。今の憎みあう状況がよいとは言い難く、それゆえ、父と貴方を和解させる策を授けたい。そのため、貴殿の邸宅に伺わせてもらえないだろうか。と、少年は告げた。


召使としても、旗本との和解には望むべくものではないにせよ、邸宅の公開で再び収益を得られるのであれば、といった思いがあったのだろう。果たして、その申し入れは受け入れられた。意気揚々と少年を待ち受けた召使の瞳に映ったものは。年不相応に小さな体躯をした、黒髪の少年。


更には、一瞬の鈍く光る銀。


そして。


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その日、邸に帰宅せし旗本は、ある報を聞くこととなる。

一つ。召使は、一族まとめて皆殺しにされたこと。

二つ。その仕掛け人は、自らの息子である、小柄な少年であること。

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