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花咲く君

 

 白いカップから熱を感じる、甘い香りが鼻の奥で広がり飲むように誘っていた。

 それは彼女にとって未知の飲み物で、カップに手を掛けているがいざ飲むとなると手が止まってしまうようだった。


 彼女にとって飲み物や食事は簡易的なもので、淡々としている。


 実際、被験者のデータに偏りがでないように与えられるものはブロック型になった食事…いや餌に近いものばかりだ。一度僕も試しに食べたことがあるが、とてもじゃないが食事とは言えないものだった。硬く味もしない、モサモサと乾いていて舌触りも最悪。

 それを彼女たちは提供され続けていた。

「飲まない? 」

 ココアをじっと見つめたまま動かない彼女に僕はそう言葉をかける。

「…いえ、いただきます」

 僕の言葉で彼女はカップに口をつける。

 手から伝わる熱さから教わってもないのに少女はふーと息をかけ、恐る恐ると飲む。

 突然。喉の奥に熱さが広がる、少女は驚いて口からカップを離した。

 少女にとって熱を持った飲み物など初めてであった、たとえそれが即席で作れる市販のココアだろうと彼女にとっては驚くべきものだった。驚きは声にならず、反射的にカップから手まで離してしまう。

 ハッとした頃にはカップが床に割れて広がり、大きな音に彼女は肩を震わせる。

「ご、ごめんなさいっ」

 割れた破片を拾うおうと少女が手を伸ばす。

「いいよ、大丈夫だから」

 僕は怪我をしないように少女の手を掴む、ブルブルと震えてカップを割ってしまったことにとても怯えている。顔を真っ青にして体全身を震わせ、許しを請う。

「ごめんなさい、許してくださいっ」

 気が付けば少女は泣いていて、涙目で僕を見上げている。その反応はとてもじゃないが異常だ。

 泣いている少女の頭を撫でようと手を出すと、彼女は反射的に腕で身を庇う。殴られる、叩かれる、その意識を体現したような。

 ちょっとした失敗に対して重い罰を課せられる子供のように、怯え続けている。

 僕は少女の様子から目を伏せるように大きな破片から拾うようにした。

 やはりだ、彼女はおそらく。レポートには載せられていないような過酷で、研究施設では絶対あってはならない暴力を受けていたのだろう。

「大丈夫、こういうのはね」

 僕は破片の小さな山に手を掲げる。ほんのちょっと体力を使うが、少女を慰める方法にはこれが最適だと思った。

 破片がカタカタと音を立て始める、突然逆再生でも起きているかのように破片が動いたのだ。組み合わさり立ち上がっていく破片たちは再び元の姿に戻っていった。

 ヒビが緑色に光り、終わるころにはカップの姿になっている。

「こうやってやれば元に戻るものだから、あぁでもココアは入れ直しかな」

 直ったカップを持ち上げて少女に見せてやる。少女は涙目でカップを見ていた、手を伸ばしてヒビすらないカップを確かめるように触る。

「…博士は魔法使いなんですか?」

「魔法使い…ではないかな、普通の博士さ」

 継ぎ目などない綺麗なカップ、落としたことが嘘にでもなったようで少女は驚くしかない。じっとカップを見ているので離してくれるのはしばらく先だろう、新しいカップを棚から取り出した。

 新しくココアを作る際に、お湯よりも冷たい牛乳を多めにして作る。これで丁度いい温度になってくれるはずだ。


 迂闊だった少女にとって全てが初めてであるのだから、もう少し繊細に扱うべきだった。


 日常生活に危険など存在しない、そう思う人も居るだろう。しかしそれはしっかりと教育を受け、失敗から再び学んだ人たちの話だ。

 彼女たちの生活に教えなど存在しない。誰も教えてくれる人は居らず、誰だって無責任だ。

「これは、そのココアと言って。少し熱く作りすぎたみたいだ、ごめんね。今度は丁度いいと思う」

 少女はようやく直されたカップから手を放して、僕が渡した新しいココアを見つめる。

「博士、ここあ…とは」

 少女の問いに僕はあえて笑顔のまま答えない、まず飲んでほしかったから。その笑顔をどう受けたのか、少女は無言でカップに口をつける。

 今度は恐る恐る、熱い思いをしないように。


 少量のココアが口に入り込んでくる、先ほどに比べてびっくりするほどの熱さじゃない。それよりも強く感じたものがある、これが初めての味。

 熱さよりも感じるこれは何?

 これは、なんだろう。

 言葉に表すのはとても難しい、私の初めての味。


「どうかな、甘い?」


 博士が私に言葉をくれる。

 あまい?

 これが、あまい?


 あまい、あまい…ここあはあまい。

 初めての味はあまい。

 私はその言葉を深く留めようとカップのここあをさらに飲んだ。喉の奥から進み体を温める不思議さ、体を軽くするような…あまさ。初めての味。

「博士、これがここあ。なんですね」


 ふと、笑みがこぼれたことを少女は知らない。

 笑顔など生まれることのない環境でそれは起きた、奇跡のようなことだ。

 まるで大雨や暴風の中で、一瞬だけ陽が差し照らされたあの花のように。忘れられない君と見た花のように。


 少女は静かに、咲いた。


 


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