ACT2 出会いも別れも唐突に=前編
ぎゅっ。
洗濯籠を抱えて天紋台の廊下を歩いていると、麗子はスカートの裾が引っ張られた感覚がして後ろを向いた。
そこには、眠そうな顔をした颯燕がいた。
颯燕が眠そうなのはそれもそのはず、現在の時刻は他の面々が寝静まったころ、二十三時三十分なためである。
麗子は睡眠が必要ない機械の体だから良いが、幼い体の颯燕は睡眠が必要ならば眠いだろう。キョンシーも睡眠は必要らしい。
「どうされましたか? 他の皆様はもうお眠りになりましたが……お手洗いでしょうか?」
かがんで洗濯籠を隣に置き、颯燕の目線に合わせてやる。颯燕は目をこすりながら、目線を下げた麗子の左腕を持ち上げた。
「?」
害意を感じられずされるがままになっていた麗子だが────次の瞬間、目を見開いた。
颯燕は、おもむろに麗子の着ているブラウスの左袖をまくっただけである。しかし、麗子の場合はそこから見えるものは綺麗な肌色の腕ではない。
灰色の、骨格パイプがむき出しになったアンドロイドの腕である。
「颯燕さま、何を────」
いたずら真っ最中の少年は麗子の制止が耳に入っていない様子で、麗子の左腕、手首にあたる部分のボタンをカチリと押した。すると、いくつかのピンのようなものが差された基盤が見えるようになる。
そしてその基盤に、颯燕はどこから取り出したかわからない新しいピンを差し込んだ。
────刹那、麗子の脳内に膨大な情報が送り込まれる。
「ごめんねー。これ、余の最後の仕事ー」
●
「それではみんな、準備はいいですかー!?」
吹雪丸の声に、はーいと楽しそうな声がかかる。
今集まっている玄関、そこまで大きな空間ではないそこではキャパオーバーな元気さだ。
この前の話から善は急げということで、今日の吹雪たち一行は『吹雪丸が唯一知っている中華文化の世界』──炎延国という国に、颯燕の保護者を探しに出かけてみることになっていた。気分は遠足である。
しかし準備に一週間を費やし、今はあれからちょうど七日経った早朝だ。
さすがに吹雪丸以外の面々も、この一週間何もしていなかったわけではない。吹雪は他の世界に仕事をしに行ってみたり、特に藍希は吹雪丸に準備を手伝わされたり何かと忙しかった。
その藍希の成果は、今吹雪たちが身につける衣服に強く現れている。
今回行くという中華文化の世界では、それ相応の服装をしていないととてつもなく浮くのだ。
あまり異国の装いの者がいない場所なので、伝統衣装に似せた服装以外でそこに立ち入るとたちまち奇異なものを見る視線、物珍しそうに眺める表情に身体中貫かれてしまう。
それを前回訪れている吹雪丸は身に染みて理解しているので、今回はそういう衣装を用意した。
──否、させた。
「はーい!」
そう言いながら吹雪が嬉しそうに手を挙げた。
そんな吹雪は、細かな刺繍がなされているが紺と白ですっきりとまとめられた配色の衣装に袖を通している。
慣れないが可愛らしい衣装にたいそう機嫌が良くなった彼女が、ついさっきまでそれは楽しそうにはしゃいでいたことは想像に容易い。
──その衣装は、藍希の製作である。
「颯燕さまのお母様、見つかるといいですね!」
こちらは橙色のセットアップに身を包んだ麗子である。はしゃぐ吹雪にこちらも嬉しそうに賛辞の言葉を投げかけまくり、今はそれが落ち着いて思考がまともになってきたところだった。お団子カバーに覆われてできた熊の耳のようになっている髪が楽しそうに上下する。
──そしてやはり、これも藍希の製作である。
「チューカ、楽しみ!」
こちらも楽しそうな颯燕は、来た時と変わらない深緑と紺色の衣装だ。こちらも制作出来ればまぁ良かったが──
「うん……うん……楽しそうで良かったよ……うん……」
端正な顔立ちの藍色の目の下に深いクマを作った藍希が、今にも倒れそうな表情でそうこぼした。
彼の衣装は藍色で丈の長いジャケットに白のズボンを合わせた、吹雪や麗子に比べるとシンプルな服装であるが、ちゃっかり吹雪の衣装と色合いを似せてある。
──そしてこれも、藍希の製作だ。
なんならこれらの衣装は全て、暗黒の三百年の間、よく暇つぶしで裁縫を行なっていたことから得た技術が生かされている、手縫いである。
中華文化の衣装では男性のものを華美にすることは稀なため、華美にはされていない藍希のものにも細かな刺繍が施されているが、これらは全て藍希が目を細めながら手早く行って作り出したものであり、材料の布を購入した時からついていたものではない。
ちなみに、未だ彼はミシンの存在を知らないようだ。
「それにしても、意外と準備早く済んだね!」
藍希が徹夜で全ての衣装を一から製作することになった元凶、吹雪丸が嬉しそうにくるりとターンを決めて自分の衣装を見る。
彼女の衣装は水色に幾らかのラインが入り、ほんの少しだけ胸元に穴が空いたトップスに、膝より上の丈の黒いシンプルなスカートを合わせたものだ。中華文化らしさがある中に、彼女らしさのある軽めの衣装である。右耳につけられた金色で花を象られた耳飾りもまた可愛らしい。
ちなみにだが、これらの衣装は全て吹雪丸のデザインである。
しかし、藍希の独断で細かな刺繍が入れられたりしており、吹雪丸も想定の斜め上、ものすごく良い方向へと軌道修正された衣装に驚いていた。
「頑張りましたからね、僕……頑張りました、よね……??」
対吹雪丸時に敬語が抜けない藍希がそう死にそうな顔でこぼした。
「頑張った! えらい! ありがとう!」
「この服、ほんとに可愛い! 藍希、頑張ってくれてありがとう!」
吹雪丸の雑だがいつものペースな褒め言葉に吹雪の賛辞が乗っかると、藍希の表情が少しだけ和らいだ。
「それでは、皆さんそろそろいいですか?」
そう言ったのは最後の衣装に身を包んだ、少し長い水色の髪を後ろで結んで前に垂らしている、言われてしまえば女性にも見える少年だ。
──彼の名前は氷坂ヒョウ、吹雪丸の従者にあたる人物である。
藍希が暗黒の三百年と呼ぶ間、吹雪丸が一緒に旅をしていた──今も一緒に行動する、仲間であるらしい。以前麗子を迎えに行っている時は別の予定が重なっていて、合流できていなかったのだとか。吹雪たちは今さっき会ったばかりである。
そんなわけで吹雪たちからしてみれば、ヒョウに対する印象は『まだよくわからない人』にとどまっていた。今回の遠足でどういう人なのか知るのも、吹雪の中では目的の一つになっている。
ヒョウの衣装は白いがきめ細かな絹の模様が入った白のシャツに黒の大きめなズボンを合わせたものである。
水色に黒の衣装である吹雪丸と並ぶと、吹雪丸の淡藤色の髪と似た髪色をしていることもあり、一瞬兄弟のようにも見える。
「皆さんの準備がよければ、早めに出発しましょう」
「それじゃあ、行くかー!」
ヒョウの言葉に賛同するようにして声をあげた吹雪丸に、一同が「おー!」と可愛らしい合いの手を入れた。
●
世界を移動するために必要な装置、井戸は世界の様々な場所にある。
時には森の中、時には木の中、海辺に設置されている時もある。
しかし天紋台のある世界はこのどれにも当てはまらない。天紋台の世界の井戸は、天紋台の中、玄関から入ってすぐの扉の部屋の中にあるためだ。
そこからちゃぽんちゃぽんとそれに入り、吹雪が目を開けると────そこは見上げるほど大きく高い白亜の壁の下、大きな影の中だった。
「──あれ?」
すると吹雪が違和感を感じる。その原因を探ろうと、吹雪が辺りを見渡そうとすると────
「…………あ、立ってるんだ」
見わたそうとして、今自分の足が地面と垂直になっていることに気づいた。
井戸から出た時は寝ていたのが普通だったので、立っているのに違和感を感じていたらしい。麗子や藍希、颯燕はまだ地面に寝転がっている。
どうして自分だけ立っていられたのか──それを聞こうと吹雪丸を目線で探すと、吹雪の視界は難しい顔をした彼女をとらえた。
「……なんだこれ」
吹雪丸の視線は、白壁に隣接して設置されている井戸の下の方に向いている──井戸の下を見た吹雪も、次の瞬間には吹雪丸と同じ顔に変わった。
「こ、これ……」
こんなのを見れば吹雪丸も難しい顔になる。隣のヒョウも吹雪丸と同じような顔をしているが、吹雪丸や吹雪と理由は同じだろう。
──井戸の下の地面がまぁるく、無くなっているのだ。
無くなっている、というよりは掘られている、という表現の方が正しいが、ごっそりと地面が無くなっていることは確かなのだ。さすがに自然現象ではなく、人為的なものだろう。
掘られた地面はかなり深く、底がギリギリ視認できる程度だ。縄梯子がかけられているから、誰か作業していたのだろう。
しかし、掘られたことにより地面の下の井戸の壁はむき出しになっているが、井戸の底には到達していないらしい。だが今も掘り進められているのだとすれば、底にたどり着くのは時間の問題だろう。
「なんでこんな穴を……?」
思わず吹雪がそう呟く。
「マジでこの穴をあける意図がわからん……井戸の周りを掘るなってお母さんに教えてもらわなかったんかなあの王子……」
「────王子?」
吹雪丸の言葉に気になる単語を見つけた吹雪が首をかしげた。
「前来た時、ここの国の王子様に会ったんですよ。えっと──十八年前でしたっけ」
ヒョウがそう答えると、吹雪もなるほどと首を縦に振った。
「多分今政治握ってるのはその時の王子様だと思うんだよね。前は割と男性主権で女性の権利が大きくなかったんだけど、どうなっただろう……権利が平等な感じになってるといいよねぇ」
「そんな政治情勢まで知ってるんだ! でもそっか、そういう風に考えると楽しいのかも……炎延国、でいいんだよね? ここの歴史とか知ってみたいな」
そんな話をしていると、吹雪丸が思い出したような顔をしたのち目を瞑り、突き出した右手を穴のふちの地面に当てた。
「ん〜〜〜っと……『アンファン・エールデ』」
吹雪丸が呪文のようなもの、を唱える。
次の瞬間、地面がズズズズ、と小さく音を立てながら形を変え、井戸の周りの掘られた地面が埋められた。
「──!!」
吹雪が驚いていると、吹雪丸が立ち上がってふぅ、と息をつく。
「いや〜これ久しぶりにやった……地属性なんてほとんど使う機会ないから、呪文思い出すのに一瞬戸惑っちゃった」
「ほんと、主のそれ、久しぶりに見ました……」
するとがしっと吹雪丸の右腕が掴まれた。
「ち、地属性……なかなか使える人のいないレア魔法……!! 吹雪丸ちゃん、すごい!!」
キラキラと目を輝かせながら吹雪がそう言っているのを見ると、吹雪丸がにこりと笑った。
そんなことをしていると他の面々も起き始めたので、吹雪たちは移動を開始した。
ちなみに道中で聞いた話だが、井戸による世界移動は慣れてくると気絶せずに済むらしい。世界移動に慣れた、と言うことを自覚して、なんだか変な気持ちになった。
吹雪が初め『白亜の壁』と感じた壁は、吹雪丸によると大きな城の一部らしい。
通称『王城』。その名の通り、王族の暮らしている城だ。この城は円形になっている国の領土を囲むようにして建てられていて、国境の役割も果たしているそうだ。
同じ高さの壁が滑らかな形で続いているわけではなく、上に長い箱が連なるような形で立っていて、高さは一部分に向かって高くなる形となっている。一番高く、一番大きな箱が王様の暮らす居住区らしい。こちらは『王室』と呼ばれるそうだ。
その一番高いところから真反対、一番低い場所に国へ入るための門があった。
門、と言ったがそれは朱色の大きな扉で、吹雪の目にそれは玄関のようにも映る。
その扉の左右には女性が二人。扉の左右に髪をポニーテールに結い、吹雪たちの来ている似せたものではない本物の中華服を着ていて、両方黒くて大きな槍を持っている。きつい顔つきからして、門番のような人だろうか。
「あの方々、お役人さま……でしょうか? 女性がこういうのやっている、って珍しい気がしますね!」
麗子がそう吹雪の服の裾を引きながら弾んだ声で言った。
「確かに……女の人がやってる、って普通かと思ったけど、あんまりないよね」
「そういえば、前に来た時は男の人だった気が……女性の権利、向上して職業選択の自由が出て来たんでしょうか」
その言葉に吹雪だけでなく、ヒョウも反応する。
ヒョウの言葉を聞いた吹雪が、内政に対してさらに興味を抱く。中の様子にわくわくし始めていると、藍希の服の裾を掴みながら付いて来た颯燕も楽しそうにしていることに気づく。
「余、楽しみ!」
「そうだね。僕も結構楽しみ」
にこにこしながら年下に構ってやる藍希を見て吹雪が勝手に和んでいると、吹雪丸が「ちょっと官吏さんに話つけてくるね!」と言って二人の女性──官吏のうち、片方の方へ駆けていった。
すると少し話し込んだ後、扉が人ひとり通れる程度開けられ、吹雪丸がこいこいと手を振った。
それを見たヒョウが先導して吹雪丸の方へいくと、続いて吹雪たちもそれについていく。
「旅の方々、炎延国へようこそ。楽しんでいってください」
官吏はさっき遠目から見ていた時のきつい顔ではなく、柔らかな笑顔を浮かべる。歓迎されているような気がして、少しばかり嬉しい気持ちになった。
「行こうか! 颯燕くんのお母さん、見つかるといいね!」
吹雪丸がそういうと、颯燕は嬉しそうに「うん!」と言いながら、掴む服の裾を吹雪丸に変更した。
扉の隙間に入って行った吹雪丸・颯燕に続き、ヒョウ・麗子・吹雪とどんどん入っていく。
「わぁ……!!」
壁の中の様子を見た吹雪が、思わず声をあげる。
扉の先は、まさしく異世界の様相であった。
アイボリーの煉瓦が連なった道が目前にずっと伸びていて、一番遠く、道の終わりには大きな城──王城の一番高い部分、王室が真正面から見える。それを正面から見据えると、外側から遠目で見える部分よりも装飾がなされていて細かな作りになっていることがわかった。
そしてその王室の下、煉瓦の道の周りにはたくさんの屋台が並んでいる。屋台──というか家屋のようなものも多いが、服が売られていたり、料理が売られていたり、色んなお店が設置されている。
何より目を引くのが、その風景の中を往来する人々だ。
皆きらびやかな中華服を見にまとい、頭には鮮やかな髪飾りをつけた女性ばかりで────
「…………あれ、男の人が、いない?」
「うわっ!!」
吹雪の頭に疑問が上がった刹那、後ろから断末魔のような声が聞こえる。まだ入っていないのは──
「藍希!?」
後ろを向くと、藍希が二人の官吏にそれぞれ右腕左腕を掴まれ拘束されていた。
「ちょっ、まっ……!! そいつ私の連れ!! 悪いやつじゃないから離してあげて!?」
それに気づいたらしい吹雪丸が耳飾りを見せながらそう言うが、官吏は首を振る。
「只今、この国では成人男性の入国を許可しておらず、見つけ次第拘束する勅令が下っています。お子様は結構ですが、この方は連行させていただきます。皆様は気にせず、観光をお楽しみください」
「連れを一人持ってかれて気にせず楽しめるか!! ……ってか」
吹雪丸が後ろ──ヒョウを見ると、吹雪も思わずそちらを見た。
「……吹雪丸さま、ヒョウさんって……」
麗子が吹雪丸の方へ歩み寄り、こそっと官吏には聞こえないように耳打ちをする。
「男、なんだけど……これは完全に女と認識されてるね」
すると刹那、ヒョウが口を開こうとし────
「むぐ!! むぐー!!!」
「ビークワイエット! 余計なことは言うな、お前まで持ってかれるのはめんどい!!」
ヒョウが必死の抵抗を始めるが、ヒョウの口を押さえているだけ吹雪丸の方が優っている状況だった。ヒョウの髪がばさばさと揺れる。
そんな風に揉めていると、藍希が既に後ろで手を縛られ、口元を布で覆われている状態になっていた。
「おわ、藍希!? 大丈……」
夫、と言おうとした吹雪が固まる。
「ぐう」
──藍希が目を閉じて眠り始めていたためである。
「……吹雪丸ちゃん、あれなんか薬を打たれたとかによる強制睡眠と徹夜続きの疲労による気絶、どっちだと思う?」
「…………ちょっと白黒つけ難いかなー……」
「むぐー!!!」
「オニーサン、死んだー?」
物騒な言葉が飛び交ううるさい会話を聞き流しながら官吏は黙々と作業を進め、官吏の片方が藍希の頭を麻袋で覆うと、背中に担いで素早く王室の方へと走って行ってしまった。
「あっ逃げられた!? ちょっ、ヒョウくんいくよ!!」
「ぷっはぁ!! もういいですよ僕は女々しいですよ!! このやろー!!」
解放されたヒョウと解放した吹雪丸が藍希の連れて行かれた方──王城の方へと向きなおる。
「待ってください! 私たちはどうすれば……」
吹雪丸の手を掴んだ麗子がそう言うと、吹雪丸は一瞬固まる。
「えーっと……そっちは颯燕くんのマーマーの捜索お願いしていい!? こっちで藍希くんなんとかしてくる!! えっと、えっと──日がくれた頃に王城の真ん前で集合! じゃっ!!」
そう吐き捨てると、吹雪丸とヒョウがすたこらさっさといった様子で走っていってしまう。
「待ってー!! 何にも手がかりとかないんだけどー!?」
吹雪の悲痛な叫びは、二人には届かなかった。