ACT1 夜空の拠点と鬼ごっこ=後編
陽気な暖かい日差しを木の葉が覆い隠す森の中。
藍希を追おうとした吹雪と麗子は、その途中、特に濃い木陰の下で一旦止まっていた。
「ぜぇ、はぁ、はぁ……」
「ますたぁ、大丈夫ですか……?」
運動音痴が動き続けている相手に追いつこうとするのは厳しかったらしい。生まれたときから知力の代わりに体力を失っている雪女は、三十秒足らずのダッシュで満身創痍になった。
「だっ……だいじょうぶ、ではある、んだけど……これ、わたし……走って……いける自信が……」
蛇足にはなるのだが、今日の吹雪の服装は今までとは違い、吹雪丸にもらって新たな吹雪のお気に入りとなったセーター服風の服である。赤いリボンは健在だが、今まで好んできていたブラウスと青スカートより動きやすいし、可愛らしいので今日もウキウキで着ていた。その服は前来ていた服より通気性もよく動きやすいはずなのだが、それでも走るのはつらい。
──肩を揺らす吹雪を見て、麗子が思わずうーんと悩み小さな思考回路を精一杯回し始める。
そもそも麗子の履いているローファーにはジェットエンジンが付いているので、麗子がその藍希とかいう奴の所に行くのは容易い。問題は吹雪をどうやってそちらまで連れて行くかなのだ。
吹雪を自分に乗せてジェットエンジンで飛翔し運ぶ──ことは考えたが、ほぼ間違いなく吹雪が木に衝突するので却下。……しかしそれ以上のアイデアが出てこないことに自分の思考エンジンの性能がひどいことを改めて自覚した。
「……っていうか……そもそも……なんで……藍希は……移動してるんだ……ろう……」
それもそうなのだ。
生体反応的には他に何もない──この探知は犬以上くらいのものの体温の反応でそこそこ広範囲を探知できるので、他の生物が近くにいるとは考えにくいである。しかし藍希は走り続けている──どういうことなのか、二人には皆目見当もつかない。
「っふぅ……よ、ようやく息が整ってきた……」
改めて麗子に生体反応の探知をしてもらい、麗子が左手の先から出してくれた水色の板を見入る。
せめて、藍希の移動が止まっていれば──と思ったのだが、まだ移動は続いているらしい。
どういうことだろうと吹雪が頭をひねろうとすると、吹雪の鼓膜に何かの振動が触れた。
──ビュオォォォ……
かすかな音だったが、これは──
「────風の音」
ちょうど藍希の方向な気がする。
そう吹雪に言われ麗子も耳をすませると、確かにかすかながら遠くで強風が吹いているかのような音が聞こえた。
「本当ですね……流石マスター! 聡明であられます!!」
「そんなんじゃないから!! ……でも、どういうことだろ……流石に藍希が風に飛ばされて──とかでもなかろうし」
この予想は実は半分程度当たっていたことを、後で吹雪は知ることとなる。
「藍希……さまは、身長体重どれくらいですか?」
「身長体重……ちゃんと聞いたことはないけど、身長は……180cm近くあるんじゃないかな? 体重も流石にわかんないけど、それ相応くらいだと思う」
「なるほど……それなら風に飛ばされた可能性は限りなく0に近いですね……」
子供くらいの大きさならよほどの突風で飛んで行ったのでは──なんで考えたのだが、話に聞いた藍希という男は普通の成人男性程度の体格らしい。それが風で飛んでいくなら吹雪も麗子もすでに空の上にいることだろう。
…………そして二人はまた頭を悩ませる。そもそも、風の音が聞こえたからと言って藍希のみに何がおこったかの予想はさすがにつけられない。
「……あ! マスター、相手の動きが止まりました!」
「ほんと!?」
吹雪がもう一度そこを覗き込むと、確かに藍希の位置と思われるアイコンが動きを止めていた。
「これなら追いつける……けど、やっぱり距離はそこそこ……」
「少しずつ行きましょう! なんならマスターおんぶしますか?」
「そ、それは最終手段にしとく……」
そんなこんなで、吹雪と麗子がまた少しずつ歩き出した。
●
「つーかまえた!」
とん、と後ろから背中を軽く押され、一瞬よろけたがすぐに体勢を立て直した。
すでに風は止み、振り向いた藍希の後ろにはニコニコと笑っている少年がいるだけだ。
いつの間に鬼ごっこになっていたんだろう、と思いながらかがんで少年に目線を合わせた。
「負けちゃった。それじゃあ、遊んであげる。何がしたい?」
そこそこ井戸の方からは離れられたはずだし、ここなら吹雪もそう簡単に来るまいと判断したためである。もしここがまだ井戸、もとい吹雪から近そうな地点だったのなら意地でも鬼ごっこの延長戦をしていたところだ。
「……うーん…………じゃ、色鬼! 余が最初の鬼ね! えっと、えっと……じゃあー、緑! 余、十秒数える!」
そう言って少年が目を瞑ったのを見て、藍希は自分の手を少年の頭──鮮やかな深緑色の髪の上にどかっと置いた。
びっくりしたようで、少年が思わずと言った感じで目を開いた。そして三秒ほど考えてから、目をキラキラ輝かせた。
「余の髪の毛、緑! オニーサン、賢い!」
藍希が少年の頭の上に置いた手を動かしてワシャワシャと撫でてやると、少年もそれに合わせてきゃっきゃと楽しそうに笑う。
「次、オニーサン、鬼!」
「じゃあ、黒ね。いーち……」
少年が藍希のお腹、黒いセーターに触った。
「余の勝ち!」
また藍希が少年の頭をワシャワシャと撫でてやると、また少年もそれに合わせてきゃっきゃと嬉しそうに笑う。
「飽きた!」
なんとなく、遊んでいれば何度かこう言うこと言われるんだろうなぁと覚悟していたので、藍希は動じず「それじゃあ次は何するの?」と笑った。
「えっとー戦いごっこ!」
そう言いながら、少年が扇子を開いた。予想通りではあったので「想定内」と思いつつ、細胞操作でまた足を強化──さっきの強化とはまた違った細胞改変を施し、立ち上がって風圧に備えた。
ビュオォォォォォォ
藍希の足元から強烈な風がふきあげる────のだが、藍希の体は最初のように浮かない。
「──? オニーサン、何でー?」
それもそのはず、細胞操作で藍希が足に施した改変は足の重量増加である。
重くて持ち上がらないんじゃあ、いくら風が強くとも藍希の体が宙に舞うことはない。自分も足を持ち上げられないので動けなくなるのが欠点か。
風が止むと、ようやく藍希は足への改変を解いてもう一度屈んだ。
「オニーサンすごーい! 余の風、きかない!」
少年が目を輝かせながら閉じた扇子をブンブンと振り回す。
「すごいでしょ」
適当に藍希がノると、少年は嬉しそうにきゃっきゃと笑った。これだけ見ていれば無害極まりない子供に見えるのだが、これでえげつなく強力な風の魔法を使ってくるのだから油断ならない。
────と、すってんと言った感じで少年が転んだ。
思いついた効果音とは裏腹に、頭を思いっきり頭に打ち付けたようで、むくりと起き上がった少年の額から赤黒い血が流れてしまっている。
「うわ、大丈夫? 痛く無い?」
藍希がそう言いながら少年の方へ数歩寄るも、少年はきょとんとした顔をしていた。
「? 余、痛い、わかんない……」
「痛い、わかんない……?」
疑問を持ちながらも、藍希が少年の額の傷に手を当てて、細胞操作の能力で治癒をする。
「とりあえずはい、治った」
「?」
依然としてキョトンとした表情の少年が、藍希に触れられていた額に自分の手を重ねる──と言うか、袖の中に隠れたままの手を当てるが、なんのことだろう、と言うような感じ表情をしていた。まるで、怪我をしていたことに気づかなかったような。
「……というか君、お母さんかお父さんは? そもそもなんでこんな森の中に?」
藍希が気になっていたことをぶつけてみると、少年は小さく考え込む。
「んー…………オカーサン、どこかわかんない……」
「えっとつまり…………迷子?」
「余、迷子ちがう!! オカーサン、どっか行った!!」
迷子か……と藍希が思っていると、後ろからぱたぱたという足音が聞こえた。
「藍希〜! ようやく見つけた!」
振り向くと見えたのは案の定、藍希のことを探していた吹雪と麗子──なのだが、藍希からしてみると吹雪が知らない女の子を連れてきた状況である。
「吹雪!? なんでここに……」
「────!」
するとビュウ、という音がして、藍希の横を強い風が通った。
まさかと思いもう一度後ろを向く──少年の方を向いたのだが、少年の姿はすでにそこにはない。もう一度振り向く──吹雪と麗子の方を見ると、少年が吹雪を見上げていた。
「じー……」
「?? ど、どうしたの……?」
吹雪は子供好きな方だという自覚はあるが、見つめられると流石にどうしていいのかわからない。
「髪が黄緑色で、お花の髪飾りをつけてて、服に赤いリボン…………お前が吹雪?」
「…………」
かがんで、吹雪が少年と目線を合わせる。
「そうだよ、私は桜蜜吹雪。あなたのお名前はなんていうの?」
「余は颯燕! 杜颯燕!」
服装と話し方に混じった言葉でなんとなく中華系の文化の中で育った子なのかな、とは思っていたが、名前を聞いてそう確信した。
「颯燕くん! ……えっと、颯燕くんはどこからきたの?」
「井戸から来た!!」
そう聞いて、一瞬で状況を把握できた吹雪と藍希が唇を噛む。
「「(井戸から来た────すなわち、世界規模の迷子!!)」」
これだけ聞くと面白いように聞こえるが、実際かなりまずい問題である。
どの世界から来たのかもわからない上、もしあたりの世界を運よく引けたとしてもそこに颯燕の言う母──マーマーを探すのも一苦労となるからだ。最悪、あたりの世界を引いても颯燕の母を見つけられないパターンもあるだろう。
「──藍希、これは吹雪丸ちゃんに相談して見るのがいいんじゃあ……」
「僕も、そう思う……僕たちの知ってる方法で解決できるような迷子じゃないよ、それ……」
ちなみに藍希の言う『僕たちの知っている方法』とはおんぶしながら村の中央の方で「この子のお母さんいませんかー!!」と騒ぎ立てる方法である。閉鎖的なコミュニティであり、かつ横のつながりが強い空間であるから効果が現れる方法なのだが、この探し方しか知らない二人はそれを知る由も無い。
藍希とそんなことを話していると、吹雪の後ろでおとなしく待機していた麗子が吹雪の身にまとっている服の裾を引っ張った。
「あの、マスター……この人が、マスターの探していた藍希さまですか?」
「うん、そうだよ! ──」
とこの勢いで吹雪が麗子に藍希を紹介しようとしたのだが、ここで口が止まった。
この後帰ったら、麗子のことを吹雪丸ちゃんに説明しなくちゃいけない。
ついでに言うと、吹雪丸ちゃんはもう一人、今は出かけているが最初からあの建物に住んでいる人がいるから後で紹介する──とも言っていた。つまり、この先自己紹介の機会はたくさんあるのだ。そのいちいちに話をしていくのは面倒──
「…………とりあえず、みんなで吹雪丸ちゃんのところに帰ろうか……」
将来的に幾度も必要になりそうな他者説明を放棄した雪女がそう言うと、一同は大人しくそれに従った。
●
先ほど、説明を割愛したものについて話そう。黄昏の精霊結界の中心にそびえる異様な建造物、天紋台のことである。
精霊結界の夜空──正確には昼と夜で若干明るさが変わる──の中にある、白地の円柱に濃紺で模様が描かれた建物。それが天紋台である。
天紋台、と言うと天文台のごとく星を観測し天文学的学習を促進させるためだけの建物だと思われるが、これは吹雪丸たちの寝泊まりするシェアハウスだ。
「ただいまー! ……でいいんだよね?」
吹雪が控えめにそう言いながら、玄関の重い濃紺の両開き扉を開けると、中には吹雪丸がちょうど待っていた。
「それで合ってるよ、おかえり! ……って思ったより連れが多いね?」
吹雪の後ろに並ぶ三人を見た吹雪丸がそう言うと、吹雪も困ったように「あはは」と笑った。
天紋台は四階建構造──正しくは三階+地下一階の構造となっている。一階は風呂などの共用スペース、二階は個人部屋、三階──もとい屋上は小さな星を眺めるためのスペースになっていて、残る地下一階にはリビングと、二階に入りきらない人数のための個人部屋がある。
地下一階のリビングに集まった一同は、大きなダイニングテーブルを囲んでいた。
「それじゃあ一同軽く名前だけ確認────まず私ね! 藍紅吹雪丸です!! この建物のオーナーです!!!」
吹雪丸が元気よく手を挙げる。
「えっと、それじゃあ次私……桜蜜吹雪です、居候です」
吹雪丸に習い、吹雪も小さく手を挙げた。
「火炎城麗子です! マスターの下僕です! マスターに仇なすものは木っ端微塵にします!!」
ニッコリの笑顔で物騒なことを高らかに発言した麗子に吹雪がつっかかった。
「麗子下僕とか言わないで!! お友達!! お友達だから!!」
「……おと……もだち……!!」
そう聞いた麗子が目を輝かせながらぽわっと顔を赤くした。
「……えっと、次。僕は籠天藍希です」
「あれ、藍希って籠天っていう苗字だったの?」
藍希の自己紹介を聞いて「そういえば藍希の苗字知らなかった」と気づいた吹雪が突っ込む。
「結構前につけてもらった。気に入ってるんだ」
「いいと思う!!」
「最後に余!!」
颯燕が元気よく手をあげる。ちなみに颯燕は他のメンバーより頭二個分背が小さいため、椅子の上に置かれたクッションの上に座っている。
「余、杜颯燕!」
「…………この子が一番謎なんだけど流石に情報が少なすぎない?」
予期せぬ来訪者に心の中で一番戸惑っていた吹雪丸がそう言うと、吹雪もお手上げだと言うように両手を横で上下した。
「私もあんまりわかんない……種族は、人間……なのかな、少なくとも雪女の族じゃ無いと思う」
「この子は風の魔法が強いから、何かそういう類のものだったり……」
藍希も情報を出して色々と考えてみるが、何も思いつかない。
「余人間違う! 余、キョンシー!」
「「「キョンシー!?」」」
その言葉に、夢見心地だった麗子まで反応する。
「どっひゃぁー……これまたすごいの連れてきたね……」
「……そういえば転んで怪我をしてた時、痛いのがわかんないって言ってたっけ──」
「藍希さまを生体反応探知で探した時、颯燕さまは見つけられなかったのも──」
そう言われると一同が疑問に思っていたことが一気に解決してしまう。藍希の隣に、キョンシーと言う初めてみる生命に好奇心で目を輝かせる雪女が座っているのだが、これはまだ気づかれていない。
「んー……ひとまず、この子は吹雪ちゃん曰く『世界規模の迷子の可能性』があるんでしょ? ……うーん、中華系の文化の世界かぁ……一つは知ってるなぁ、行ってみる?」
吹雪丸がそう言うと、全員がキョトンとした表情になった。