ACT1 夜空の拠点と鬼ごっこ=前編
──唐突だが、一昨日の話である。
吹雪が吹雪丸に井戸の中へ落とされたあと、目が覚めた場所は夜だった。
紺碧の夜空には数え切れないほどの星が輝いている。月は見えないが、それを差し引いても星の明かりでだいぶ明るく思えた。
美しい星空を見上げながら目を覚ました吹雪の隣には藍希が居り、その隣には既に立ち上がって満天の星を見上げる吹雪丸の姿があった。
吹雪丸は、本当に美しいものに見とれているようにそれを熱心に眺めていたが、数秒すると何かに引っ張られたように吹雪の方を見て「起きた?」と吹雪の方へ声をかけた。
「うん……ここは?」
吹雪は起き上がって周りを見渡すと、その場所の異様さにようやく気がついた。
──星空以外、見えないのである。
否、今吹雪の寝ていたのは鮮やかな若草色の草の上であり、吹雪の目前には大きな建物もある。この建物もまた特殊な形をしているのだが、今は割愛する。……それほどに、この空間は不思議だったのだ。
普通、星空が見えていると言っても、自分の目線を真上から正面に戻せば何かしら建物やら森やら街並みやら、空以外の何かがあるはずだろう。
しかし、ここにはそれがないのだ。
地面の芝生は一定の範囲で途切れ、星空に変わっている。建物を中心として、それ以外はすべて星空。目に映るものは建物と地面それと立っている吹雪丸・未だ寝ている藍希、そして星空だけ。
吹雪の頭の混乱を見透かしたように吹雪丸が「ここ、面白いでしょ?」と口ずさんだ。
「吹雪ちゃん知ってる神話だと思うんだけど。その世界すべてに住む生物の食料を巡った争いの果てに、人間の精霊術師が戦争を終わらせるために結界を作った──ってやつ」
そう聞いて、学校を首席で卒業した秀才少女の頭にはその言葉がヒットする神話が思いついた。
「…………そのお話は歴史の授業で習ったから知ってる。精霊術師のその結界──『黄昏の精霊結界』で、この世全てが夜の闇に覆われるんだよね。でもその神話の続きは、太陽の女神様がこの世に降り立って、世界を照らして、以前より少しだけ争いのない世界になった──だと、思うんだけど」
だいぶ前の学校での記憶を脳から引っ張り出した吹雪が吹雪丸を見つめる。
色々細かいことを思い出した吹雪がそういえばと自分の服を見つめると、服はお気に入りのブラウスとスカートではなく、桜蜜族の雪女の正装衣装のままだったことを思い出した。あとで元の服に近いものを探そう、と頭の中にメモする。
すると、吹雪丸はそんな視線の主ににこりと微笑みを返した。
「此処はそのもしもの世界。もしも精霊結界が解かれずに、残り続けたら──っていう可能性が形になった世界だよ」
一瞬どういうことを言われたのかわからなかったが、自分の理解より脳の整理が早かったらしい。多分こう、と結論づけると吹雪はそれを口にした。
「……えっと、此処は分岐した世界──みたいなこと? 並行世界、みたいな」
その言葉を聞いた吹雪丸は人差し指を立てた右手を顔の横に持ってくると「そういうこと!」とウインクをした。
「理解力高いのとお話しするのは楽でいいよね!」
「ならよかった、けど──」
そういいながら、吹雪は夜空と地面の境目──吹雪丸の話を合わせると、精霊結界と地面の境目、の方を見た。
「それじゃあなんでこのあたりは精霊結界の中に無いの?」
純粋な疑問をぶつけると、吹雪丸の表情がさらに明るくなった。
「いい質問だね! 答えはこの近くには井戸──というか世界移動装置があるからだよ! あれの半径25m弱はこう言う視界妨害とかの神秘が働かなくなってるんだよね、世界移動の時に不便だから」
「なるほど……っていうか、あの井戸は世界移動するためのものだったんだね」
そう言いながら吹雪が立ち上がり、精霊結界と地面の境界の一歩手前に立った。
……本当に不思議な風景だ、と改めて思う。夜空は綺麗で美しいけれど、決して触れないもの。それが手の届いてしまいそうな本当に近い距離にあるのだ。
「うーん……これ、触れる?」
そこまで考えた吹雪の口からは、そんな言葉が溢れていた。
「触れるよ! まぁ結界って言っても視界妨害のやつだから実体はないもので、手が空を切る感じになるけど。あ、上半身突っ込むのはいいけど下半身はダメね、中に完全に入られると連れもどせなくなる可能性の方が高いから!」
その言葉を聞いた吹雪が足を一歩前に踏み出すと、右足と結界には一センチくらいの隙間しかなくなってしまう。
そして、吹雪は好奇心のままに自分の右手を精霊結界に入れようと────
──した手を、後ろから伸びてきた別の腕に手首を掴まれて、止められた。
「……何、してるの」
言わずもがな、腕の主は目をさますと変なものに触ろうとしていた吹雪を本気で心配した藍希である。
その光景を笑いをこらえながら見ていた吹雪丸が、一言。
「そういえばなんだけど、一回寝たらちょっと行って欲しいところがあるんだよね」
●流星の銀世界●
意識が覚醒する瞬間は、水の中から顔を出したようななんでもないただの波長の動きのように感じる。
吹雪が目を覚ますと、何やら柔らかいような、硬いようなよくわからないものを枕に寝ていたらしいことに気づいた。太陽の下のようで、その眩しさに一回目を開きかけたがすぐに瞼を閉じてしまった。
「ますたぁ!」
すると、聞き覚えのある楽しそうな声が耳の鼓膜に触れた。
驚きながら目を開くと、そこにはこちらを覗き込む少女の姿があった。
長い銀髪、大きな黄色のリボン、夕暮れの色の大きな瞳、愛おしいものを見ているように人間らしくはにかんだ笑顔。初めて会ってから数日のはずだが、何年も会えていなかった友達に会ったような気分になる。
「麗子!」
氷のように透き通った瞳の視線と麗子の瞳の視線がばちんと交差すると、それを合図にしたように麗子の表情が明るくなった。
「はい! マスターの麗子です!」
吹雪は体を起こすと、ようやく麗子に膝枕されていたことに気づいた。
「よく眠れましたか?」
「うん、ありがとう」
よいしょと吹雪が立ち上がると、座っていた麗子が吹雪のお腹のあたりに抱きついた。
「……えへへ、ますたぁ…………会いたかった、です」
そう呟きながら恍惚とした表情を浮かべる麗子は、さながら光の届かない暗い草原に一輪だけ太陽のように咲いているガーベラのように吹雪の瞳に映った。それを見た吹雪も思わず再会の喜びが一層強く感じられてしまう。
そして本当に嬉しそうに笑っている彼女を見ると、本当にこの少女がアンドロイド、機械だとは思えないとつくづく思う。
麗子の頭にそっと自分の手を重ね、「私も」と吹雪はつぶやくと、麗子の頭を優しく撫でながら周りを見渡し始めた。
……当たり前なのだが、ついこの前見た場所と同じ景色が広がっていた。
今吹雪は立っている場所は古びた遺跡の中、井戸の前である。そして遺跡の積まれた石の隙間には、たくさんの木々が茂っている。
葉が優しげな風に吹かれてざぁっと歌うようにお互いで音を鳴らすと、麗子と初めて会ったあの日を思い出す。
ここは、間違いなくあの場所──あの世界だった。
「えっと……そういえば藍希は?」
森の木々から視線を逸らし、首をかしげて吹雪はそう聞いた。すると麗子はホールドをほどき、立ち上がりながら答える。
「あいき……マスターより先に起きられて、どこかへ行ってしまったひとですか?」
「……え? 藍希どこいったんだろ……」
もう一度あたりを見回してみるが、近くに藍希の姿は発見できない。
「そうだ麗子、近くの生きてる人の反応を見る……とかできたんだっけ?」
「はい、できます!! やります!!」
麗子が左手のひらを上に向けると、そこに仮想の水色の板が現れる。これも前やってもらったことあったなぁ、と謎のノスタルジアを覚える。
それを覗くと、今私たちがいる場所であるオレンジ色のアイコンから少し離れた、とは言ってもそれほど遠くはなさそうな場所にところにアイコンがもうひとつあった。
「生体反応は見つけました! ……でも、何か結構動いてますね……?」
そう言われ、改めてアイコンを見てみると、確かに藍希と思われるアイコンは少しずつ動いていた。
「速度的には走っている……マスター、これ方向的には私たちの座標から離れて行っています!!」
「うそ!? それじゃあ早く追いかけないと──!!」
●
数刻前、藍希が起きた時のことである。
彼が目をさますと、そこは森の中、井戸の真横、蒼穹の下の小さな遺跡の中だった。
隣を見ると、吹雪が同じように倒れている。……それを見て思わず微笑みが溢れ、片手を口に当てた。
「(麗子、って人を探すんだっけ……)」
立ち上がってあたりを見回したが、近くに人影のようなものは見かけられなかった。
「(……流石に近くにいない、よね)」
藍希が吹雪が起きるのを待とうと、遺跡の古びた石畳に腰を下ろそうとしたその時、何かの音が藍希の鼓膜を優しく叩いた。
──ビュオォォ……
風の音……だと思う、それが聞こえた。
ところが、風の圧は感じない。別のところで、局所的な突風でも起こっているのだろうか。
──ビュオォォォォ……
「(──風の音が近くなった?)」
しかし、まだ風圧は感じない。
思い立って、風の音が聞こえたような気がする方に数歩だけ──まだ眠っている吹雪から大きく離れない程度だけ歩いて行ってみると、そちらからうっすらと風の音が聞こえた気がした。
──刹那、体が浮いた。
「え!?」
浮いた体は、そのままその風の音が聞こえた方向へ引っ張られていく。数コンマ遅れて『ゴウッ』という風の音が聞こえて、ようやく自分が風によって体を浮かされたことを知覚した。
ついでにと言った感じで、この風は自然に起こったものではない、とも理解する。常識と照らし合わせて、通常の成人男性程度の体重である自分が浮き上がる風はそう簡単に、しかも突発的に起こるはずがない。
「あ、これどうなるんだろ」と一瞬自分の運命を放棄しそうになってしまったが、イヤイヤどこかに止まらなきゃまずい、と思い直して手近な木の方に手を伸ばし──自身の能力、細胞操作を用いて指先から枝を生やし、それを木のような太さへ変え、大樹のように大きくなったそれを他の木の枝に巻きつけて体を運び、ぶら下がる。
木を消して自分の腕だけで枝にしがみつくと、なんとか風の音がしていた方向へ体が運ばれていくのは止まったが、未だ風は止まっていないようでまだ下半身から風の向きへと引っ張られていく。
「──你好!」
するといきなり、頭上から愛くるしいような声が聞こえて、ぎょっとしながら藍希は上を向いた。
そちらを見ると自分の捕まっている枝の上に、深緑色でまとめられた中華風の服装をして右手に閉じた扇子を持った、小さな少年が器用に立っていた。
暗い葉っぱの色をそのまま写したような色の髪、どこか濁ったような気のする青色の瞳、そして金縁に金の模様が入った上等そうな中華服。背丈は小柄だが、どこかのお坊ちゃんだと言われて紹介されたなら大人しくそれを信じていた気がする。
そんなことを考えていた藍希に、彼がにこっ、と屈託のない笑顔を浮かべると同時に藍希を襲っていた突風も消え、藍希は完全に枝にぶら下がっている状態となる。
「お前が吹雪?」
「(────吹雪を、探している?)」
少年が腰を曲げ、自分の顔を藍希の頭の方に寄せながら言った言葉に対し、藍希の頭にはいくばくかの疑問を浮かんだ。
ニン、というのは中華系の文化の言葉遣いで君、のような意味だったはずだ、これは覚えている。しかし問題は言葉遣いではなく、彼から吹雪、という単語が出てきたことだ。吹雪、という単語を相手から聞いて初めて、藍希はようやく彼に対して不審感を抱いた。
もしも彼が吹雪を殺す、なんてことを思っているのなら、自分が吹雪であると偽って吹雪に危険が及ばないようにするのが最善なのだが──
「──残念ながら、僕は吹雪じゃない」
藍希は少しの間だけ考えたのち、そう正直に答えた。嘘が得意ではなかったし、小さな子供は感で嘘を見破ったりするような印象があったためだ。
「ほーん……じゃーぁ、お前は余と遊んでくれる?」
「え?」
思わずそう声がこぼれた。
少年は流れるような動作で近くの別の木の枝へ芸のように洗練された印象の動きでとびうつると、持っていた扇子をぱっと開く。その姿は鮮やかで、本当に見世物のようにも見えた。
そして少年はおもむろにそれをこちらへ向けて仰いだ。
ぶわぁっ!!
一瞬の出来事だったように思う。
少年の持つ扇子からこんな風を受けたことがない、という程度の風量が洪水のように押し寄せ、藍希の掴んでいた枝がバキィと悲壮な音を立てて、いともたやすく折られてしまったのだ。
その瞬間枝ごと藍希の体は風に従って進んでいくが、少年がすでに別の枝に乗り移っていて、ニコニコと笑みを浮かべていた。
「遊ぼー!」
「────っ、」
なんとか途中で別の木の枝に捕まった藍希は、そのまま一度地に足をつけた。
「……いいよ、遊んであげる。ただし、僕とかけっこで勝負して勝ったらだよ!」
そう少年の方に向かって言った藍希は森の奥へと進んでいく。
吹雪のいた井戸からできるだけ離れた場所へ、少しずつでも距離を作るようにして。この風を操るらしい少年とまだ眠っているかもしれない吹雪を鉢合わせないようにしたい、という思いである。
細胞操作の能力で足を大幅に強化したので、今や多分この世界で藍希よりも速く走っている者はいないと思われる、のだが──
びゅうん!
藍希の前方から、藍希を押し戻すかのような強い向かい風が吹いてくる。
「面白い! 余、やる!」
彼の深い深い夜のような青の瞳が、ただただ藍希だけを見据えていた。それをちらりと一瞥した藍希は、向かい風に負けないよう張り巡らされた木の間を潜って少しずつ進んでいく。
幸い、彼の足自体は遅くないから、追いつかれることはない──と思いたいが、人間の体をいとも容易く運ぶ風を彼が持つ以上、少しずつ距離は縮まっていくだろう。
「(少しでも、一旦吹雪の場所から離れたい──!)」
藍希が精一杯足を動かす間、そういえば麗子とかいう人物は吹雪を見つけられていたりしないだろうか、なんてことが浮かんだ。
書き直し(三度目)終わりましたね……。
こんばんは、藍紅と言います。なんだかんだでようやく納得のいく感じになって満足です!! 新キャラのビジュアルは名前が出た頃にツイッターで晒します!! 具体的にいうと次回上がったらですね!!
多分もうここの全体書き換えはない──と思うんですが、近々多分サブタイトル変更祭りやります。なんちゃらの世界、っていう名付け方のネタ切れが起こったためです。仕方ないね。
事務連絡は以上、あとは寝ますノシ
閲覧ありがとうございました! 次回も見ていただけると嬉しいです!!