ACT-1 求めていた場所=後編
私が目をさますと、見知らぬ天井が映る。体を起こすと自分がベッドに寝かされていたとわかった。
雪女といえど布団の暖かさは好きなので、ぽふっともう一度体をベッドに落とす。えっと、寝る前の最後の記憶は……
思い出そうとすると、青年の顔が頭をよぎった。
そうだ、確かシロクマを撒いた後青年と歩いていて……倒れたのだろう。
…………ここが彼の家ならばこれは彼のベッドか?
そう思うと急に恥ずかしくなり、ベッドから急いで降りた。
窓から外を見ると、今は夜になってしまっていて、もうそろそろ月がてっぺんまで登りそうな頃のようだった。外は真っ白の雪景色で、少し雪が降り始めている。ここは二階のようだが、そこまで大きな移動はしていなさそうだ。
小さな机の上にあった電球式のランプを点けると、近くに置いてある本棚やクローゼットか鮮明に見える。
壁は丸太を積んでくくりつけた形で、ログハウスのようだ。
ランプの明かりを頼りに一段一段慎重に階段を降りると、私が起きた部屋よりも大きな部屋に出た。暖炉の前に揺り椅子が置いてあり、その上で藍希が本を持ったまま寝ていた。ここは彼の家で間違いなさそうだ。
部屋はくくりつけられた電球のほのかな明かりのみで薄暗く、暖炉があるのにそこに火はなかった。
……彼の種族がわからないなぁ、と思う。彼が本当に私の幼馴染のようなものなら雪妖怪種族だが、それならば天敵である火を使うもの、暖炉を家に置かない。
もし仮にこの家が空き家で、そこに住み着いているとしても、火がついてしまったりでもしたら大問題だからすぐに暖炉なんて潰すはずなのに。
だからと言って人間というのもおかしい。雪女の生活環境下にいて、人間が凍えないはずがない。
彼が『助けてもらった』と言っていたのも気になるが……あとでなんの種族か、とか聞いてみよう。記憶が戻るかもしれない。
まだ夜だし、藍希も寝ているし、と二階に戻ろうとすると、きゅ〜〜と吹雪のお腹が鳴いた。
「…………ん、ふぶき……?」
その音で藍希も目を覚ましたらしい。自分の顔をそっと手で覆った。
「おはよう、……って言ってもまだ夜だけどね。吹雪が起きなかったらどうしようかと思った〜」
藍希はにこにこと私に喋りかける。音には気づかれていないようで、ほっと小さめに息を吐いた。
「お腹空いてるよね、ちょっとこっちに座って待ってて」
揺り椅子に本を置いて立つと、部屋の真ん中のテーブルの周りに置いてある椅子を引いて、彼は部屋の奥のキッチンに行った。やっぱり音に気づいていたのか、と思ったがそういうわけでもなさそうだった。
椅子に座って待っていると、藍希が奥から大きな蜜柑のパイを持ってきてテーブルに置いた。
「うわぁ〜〜! 大きい……!」
「多分美味しい……はず……!」
藍希は丁寧に八つに分けると、パイと一緒に持ってきた皿に一つ置き、フォークを添えて吹雪の前に置いた。
「さ、召し上がれ」
「いただきます!」
フォークを吹雪がパイの上に入れると、生地がすっとパイを通って皿に当たる。
口に運ぶと、蜜柑の甘い匂いが広がり、パイは舌の上で滑らかに崩れて消えてしまう。思えば昼間に蜜柑をかじって以来何も食べていなかった。蜜柑の甘さが体にしみる。
「美味しい!」
そう言うと、藍希も「よかった!」と言って笑顔になった。
「ごちそうさまでした!」
カランという小さな音を立ててフォークを丁寧にさらに置いた。パイはとっても美味しくて、結局5切れも食べてしまった。
「美味しそうに食べてくれて、僕も嬉しいよ」
アイスティーを注ぎながら藍希もにこにことそう返した。
出してくれたアイスティーもちょうど私が飲みやすい甘さで、少し驚いた。
「っと、そうだ、忘れてた。藍希さんってなんの種族なんですか?」
すると一瞬引きつった様な顔になるも、すぐに笑顔に戻して「僕には敬語とかじゃなくていいよ、呼び捨てで構わないし」と言った。
「えーと、話が逸れたや。僕は人間だよ。とは言っても、ちょっと普通の人間じゃないけど」
「? 藍希さ……藍希はどこが普通じゃないの?」
妙に藍希、と呼ぶのが口に馴染んだ。本当に私は彼と一緒にいたことがあった様だ。
「ん、こういうの」
藍希が手をぎゅっと握る。そして手を開くと、そこには吹雪の髪飾りにつけられた花が握られていた。
「! すごい、マジック?」
「ううん、これにはタネも仕掛けもないよ」
藍希が両手を重ねて開くと、そこには昼間見た蜜柑があった。他にも、私が藍希を追っている途中に見つけたバスケットや、さっき使った皿と全く同じものまで出てきた。
「すご〜い……!」
「僕は、細胞を操るっていう能力みたいなものがあるんだ。ほら、昼間シロクマにやられてた傷もこの通りだよ。物の形さえ覚えてれば、細胞を生み出すこともできるし、その細胞に効果を付与したりもできる」
こんな力のおかげで、と彼が左の袖をまくると、そこには彼が傷を負った後など全くなかった。
「ほわぁ……」
「こんな力のせいで僕は灼熱の地獄の中だろうと、氷点下の酷寒の中だろうと、その時その時に体に暑さ耐性とか寒さ耐性とかつけられるから生き残っちゃうんだよね」
なるほど、全ての辻褄が合う。
私の様な雪女のそばにいてもその力さえあれば凍えたりなんかしない。そして、暖炉もこの雪原で人間が暮らすなら明らかにあった方がいい品だ。
「吹雪の疑問も解決した? ならちょっと別の話をしようか」
藍希が両手を握ってテーブルに置いた。
「吹雪、これからどうする?」
なげかけられた質問は、吹雪も迷っていたことだった。
「ここにいるのもいいと思うんだけど、ここよりは少し歩いて行ったところにある人間の町に住み着いた方が都合がいいはずなんだ。僕がここにいたのはあくまで吹雪を探すためだったから、正直ここにいる理由はないかなって思う」
ここらにあったという村もないし、吹雪としてもここに固執する理由はなかった。
「まぁ人間のとこに行くのに吹雪が抵抗あるかもしれないけど……ここの村の人たちも多分ものすごい遠くで暮らしていると思う。探すのは絶望的じゃないかなぁ……」
「……わかった、それでいいと思うな」
アイスティーのカップに口をつけ、一気に飲み干した。
藍希は静かに頷くと、「それじゃあ明日もうここを出てしまおう。町に行くのにも確か一週間くらいかかったはずだからね、今日準備して明日の朝出発しよう」と続けた。
「それじゃあ、今日は近くを散歩したりしてるよ」
私が言うと、窓から光が差し込んできた。思わず目の近くに手を添えてしまう。
それは、美しい暁の光だった。もうこんな時間にまでなっていたのか。
暁光は、まるで私たちの出発を祝福する様に感じた。
◯
日が暮れるまで頃にここにいてくれるなら外に出ててもいいし中にいてもいいから、と言った後藍希は森に食料調達に行った。
にしても何をして時間を潰そうか。それを考えながら何もなく揺り椅子に揺られていた。特段何かやりたいこともなかったし……
そうだ、と思って揺り椅子から降りて、近くの本棚の本を手にとってみた。
『花の図鑑』『料理のすすめ』『ゴリラでもできる! 算数』『天気のよみかた』『能力理論』
あとは大体小説だったが、私としては算数の本がものすごく気になる。藍希は間違いなく大人なはずなのに、たくさん開いたのかぼろぼろで、最近新しく書き込んだ様な跡まである。
能力理論も見たときこんな本があるのかと少し驚いた。能力の抑え方とかそう言ったものばかりつらつらと書かれていて、藍希もこう言うものに悩まされていたのかとは思った。
そういえば二階にも本棚はあった、と階段を駆け上がった。
適当な本を引っ張ると、それと一緒に挟まっていたらしい紙がパラパラと落ちた。
やってしまった、と紙を拾うと、その紙の内容が見えた。
『10月8日 今日は町の方に行ってきた。本もいくつも買ってこれたし、結構な収穫があったと思う。今日も吹雪はいない』
『11月15日 今日は本を読んでいた。算数に触れていたが、なんでこんな難解な問題を6歳だかの子供たちが解けるんだ? しかし足し算はなんとか理解できた。今日も吹雪はいない』
日記だった。15日の内容はやっぱり気になるのだが、割とこまめにつけられている。
他の本を取ると、これは……日記。
まさかと思って他の本も抜き取って確かめた。日記、日記、日記……
……二階の本棚に入っているものは全て日記だった。しかもそのほとんどに『今日も吹雪はいない』と書かれている。彼がいつから私を待っていたのか、日記の日付から逆算したら……
「300年、だ……!」
「ただいま〜」
声が口から零れたすぐ後、藍希の声が下から聞こえた。
まずい、最悪のタイミングで帰ってきたらしい。これは彼の知ってはいけない秘密だ、と本能が忙しく訴えていた。
日記を元の通りにしまって、『霧散』で身体を霧にし、窓の隙間から逃げた。
外の家から少し離れたところで実体に戻した後、森の中をひたすらに走っていた。森の中を探検していたことにするために。私は何も知らないことにするために。
普通なら、そこそこの年月待っていたなんて言い換えなくてもいいはずなのに、彼は言い換えて私に説明していた。つまり、おそらくはこの事実を知られたくなかったのだと思う。
彼ならできるのだ。細胞を操る彼なら、怪我も、病気も、老いさえも、なかったことにできてしまうのだ。
『少年の手を引いて少女が笑いかけると、少年は嬉しそうに少女の手を取った』
『いつの日からか、ずっと彼と一緒だった』
藍希はいい人だった。できるなら、全部を思い出すまで彼についていきたい。心からそう思うのだが今はただ、次々に浮かび上がってくるよくわからない光景が頭にフラッシュバックして、頭がずきずきと痛む。
どれくらい走ったのだろうか。もう日が暮れて、雪も朱に染まっていた。
藍希には日が暮れる頃に家にいて暮れ、と言われたのに申し訳ないことをしてしまった。
もう少し走ると、森を抜けて、崖の様なところに出てきた。
「あ」
『段々と大人に離されていく仲間たちが見える』
手すりはあるが、飛び
「あ」
『束の間に飛び出た殺傷の氷が視界の隅に映る』
越えようと思えば飛び越えら
「あ」
『涙で何も見えなくなったところに、誰かの声が聞こえる』
れる高さだっ
「あぁ……ッ」
…………その場に私は倒れこんだ。
●
僕が二階に来ると、そこは普段と変わらない様子だった。しかし。
本棚に触れると、細胞がそこに触れた後がありありと感じられた。吹雪に日記を読まれたのか……と思うと少し穴に入りたい気分になるなぁ……
ここに吹雪がいないということは、と辺りを見ると窓が少し開いていた。
確か吹雪は霧散して隙間さえあればどこからでも出入りできたはずだと思って窓から近くを見回した。
ずっと見ていると、遠くの方に小さな足跡が見えた。
……まずい。
一階に降りて、足跡の方に向かって走る。全速力でも足りない、と思い脚に強化を施して、ひたすらに走った。あの方向に吹雪が行ってしまうなんて、最悪のパターンすぎる。
目的の場所、崖まで来るともう夜になっていて、月が浮かんでいた。するとそこには二度と見たくなかった顔があった。
「はろ〜! 久しぶりだね! 300年ぶりくらいかなぁ?」
妙に嬉しそうな赤色の宝石が2つ、眼鏡の奥で薄く煌めいた。そいつは手すりに座ってけらけらと笑っている。その足元に吹雪が倒れていた。
「! 吹雪!」
吹雪を抱き上げると、吹雪は何かに苦しんでいるかの様な顔をしていた。
まさか、と思ってそいつの方を見ると、「心外だなぁ、私な訳ないじゃんかね」と言って両手をやれやれというかの様に上げた。
「……吹雪は、どうしたんだ」
「記憶の穴にハマっただけだよ。思い出してしまっているのに思い出せてない、いわば錯乱状態かな」
記憶の穴?と首を傾げるとそいつは、「吹雪が今持っていない記憶のあったスペースに落ちたんだよ」と重ねた。
「…………どうすれば治る?」
「やけに警戒心バリッバリじゃない? ……えっとね、記憶を戻せば起きるこた起きるよ。その記憶は、私が持ってるし起こそうと思えばいつでも起こせる」
「なら……!」
そいつの方に向き直ると、そいつは首を振った。
「覚悟はできてるの?」
なんの覚悟だ、と思った。こいつは300年前、僕に『井戸の近くで待っていろ』と言っただけなのだ。今更また新しい無理難題を押し付けようとでもしているのか、と。
「今度はこの子を抱きとめられる?」
…………吹雪をぎゅっと、絶対に手放してやるものかと抱え直した。
「もちろんだ」
そいつはほっと息を吐いた。
「その答えが聞きたかった! それじゃあ、やるよ?」
そいつが眼鏡を外し、右目に手を当てると、当てた手に赤い色の光が宿った。その手を外すと、赤色の右目は青色に変わっていた。
「さぁ、これより先の未来を、切り開いてちょうだいね?」
赤い光が宿ったままの手を吹雪の上にかざすと、光は青色に変わりながら吹雪の中に入った。
すると吹雪が少しずつ、瞼を開いていく。
吹雪を優しく雪の上に寝かすと、彼女は自分で体を起こした。
辺りを見回している最中、吹雪の服が変化していく。雪の結晶が描かれた布がたくさん使われた、桜蜜族の雪女の正装だった。
そして吹雪は確かめる様に、声を出した。
「……なんで生きてる?」
立ち上がってこちらに背を向けると、吹雪は月に向かってこう言った。
……今度は絶対に。
「死ななくちゃ」
死なせなんかしてやらないから。
to be countinue…