ACT-2 ちぐはぐな思いやり=前編
吹雪の目がさめると、そこは灰色の建物とそれが倒壊したであろう瓦礫が立ち並び、鼠色の雲が仕切詰められた輝きのない銀色の世界だった。
冷たくて硬い石の地面に手をついて体を起こし辺りを見回しても、そこには何もない。吹雪は何があったんだっけと一瞬考え込む。
「……っ、そうだ麗子!」
太陽にきらめく銀髪で赤眼の少女の顔を思い出し、吹雪は辺りを見回すが、何もない。
あの樹林の中で彼女を置いてきたことを思うと、気が気でならずわかりやすく吹雪の顔が青ざめた。
「どうしよう……あ、もしかしたら、」
世界の移動みたいなのを行なった後、麗子と私は違う場所に出てきたのかもしれない、と。一縷の希望を見つけ少女は立ち上がった。
それと同時に、自分が元いた世界に帰りたかったことを思い出して、もう一度辺りを見回す。
今自分がいるところにはあまりないが、どこを見ても視界に映るおびただしい数の瓦礫。瓦礫の中で一番を主張するかのようにか細く立っている灰色の棒。窓ガラスが割れた吹雪の何倍もの大きさの建物、時々視界に映る赤黒い何か。
……ここは元いた世界じゃなさそうだし、それに元いた世界であっては欲しくないなと思った。
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「どうなってる……の!」
頭の上でくるりと腕を回すと、目前にいる灰色の丸っこいロボットの首の周りに尖った氷が回りながら出現し、腕を前に伸ばすとその氷は勢いよくロボットの首に突き刺さり、前進を続けていたロボットは動きを止めて倒れこむ。
「ひぃふぅみぃよぉいぃむぅなぁやぁ……えっと、これで九体目……?」
すると、また近くにほのかな赤いランプの光が見えてくる。
遠目で見るとそれは今倒したロボットと同じ作りで、手に小さな槍を持った吹雪の身長の二分の一ほどで灰色のロボットのようだ。倒すのは簡単だが、今度はそれが三体一緒になってこちらへ進んでくる。
まだこちらの姿は見られていないことを願って吹雪は瓦礫の隙間に身を隠しながら、少しずつ移動していく。
ところどころにもし麗子がいたら自分がいるとわかってもらえるように氷を残してきたが、まだ麗子、というか話の通じるモノに出会っていない。
そろそろ疲れたなぁ、と思いながら歩いていると吹雪の鼻の先をかすめ、何かが飛んでいく。
左側から右へ行ったそれは何かの矢のようで、吹雪の右側にあった瓦礫にその矢が突き刺さっていた。
心底嫌そうな顔で左側を向くと、そこには今まで見た中で一番大きい灰色のロボットが、筒状の腕を前に出して仁王立ちしていた。
その腕からは薄く白い煙が漏れており、あれから矢を発射してたんだなぁなんて息をつく暇もなく、二発目の矢が予備動作なしに打ち込まれた。
「本当にどうなってるの!」
吹雪は思わずそう言葉をこぼしながらかがんで矢を回避する。その矢は一瞬前まで私の頭があったところだ、なんて思うと冷や汗が頬を伝った。
一旦体を霧状に変えて退避して、ロボットのちょうど背後で実体化して手に用意した刀でロボットの首を吹っ飛ばした……と思ったのだが。
「おわっ」
足がもつれて姿勢が崩れ、思わず左足を後ろにつく。
するとシャキーンと金属が滑る音が辺りに響き、ロボットの背中から出てきたナイフが吹雪の白いブラウスの腹部を少し貫く。
「あっぶな!」
あのままよろけないでいたら、刀がロボットの首に当たる前にナイフが吹雪の腹部に刺さっていただろう。
冷や汗をかき、自分の運動能力の低さと足場の悪さに感謝しながら大きく後ろに飛びのくと、ロボットはくるりと向きを変えこちらに筒状の腕の先を見せるとすぐに矢が発射される。
なびいたサイドテールの先を矢がかすめて後方へ、灰色の空を切り裂くように飛翔する。
足を地面に着いた頃に吹雪の手に刀はなく、左手に持った弓を前に出して右手に掴んだ氷の矢を無理やり八本打ち出す。しかしうち当たりそうになったのは三本だけで、その中でも一本しかロボットの頭には刺さらない。無理やり打ち出したのだから、当たってよかったと考えるべきか。
「こいつ思ったより強い……!」とつぶやきながら新しく矢を二本生成する。
さっきより丁寧に弓の弦を引こうとした時、筒状の腕が一度ガシャンと音を立てると、ぐるぐると回り出した。
嫌な予感がしてパッと弓と矢を砕いて二、三歩下がると、回っている腕から弾丸が横殴りの雨のように発射されてくる。
「うっそぉ!?」
ダダダダダダダダダダダダと強い音を立てながら、その隙間にカラカラと薬莢が落ちて石の地面に当たる。軽やかな音に反して心臓の鼓動を止める凶悪な兵器は、まだまだ止まらない。
そして、弾がどんどん少しずつ後ろへ下がる吹雪の近くをかすめるようになってくる。さすがロボット、少しずつ標準を整えたりしているのだろう。
音が大きいからマグナム弾だ、威力は何より銃弾なんて熱いものに当たったらひとたまりもないと諦めて一旦身体を霧に変えて退避し瓦礫の後ろで実体化した。
するとすぐに銃声は鳴り止み、ロボットの頭がぐるぐると回っているのが瓦礫の隙間から伺えた。そういえばあのロボットは動いていないから、凍らせて動きを止めることは簡単……なのだが、照準を合わせる隙がなかった。
いや、今なら1秒くらいで照準を合わせれば……そう思い、すっと立ち上がると、後ろから金属の擦れる音がする。
『何かいる!』
直感的に感じ取り、後ろに振り向いて氷の結晶の盾を展開する。
すると氷の盾に阻まれ、カキーンと大きな音を立てて小さな槍が三本地面に転がる。前を見ると、そこにはさっき見た丸型のロボットが三体、こちらへ前進してきていた。
後ろからジーっと機械音がする。もしかしなくとも、大きいさっきから戦っている方のロボットが立ち上がった吹雪へ照準を合わせたのだろう。
どう切り抜けようか考えようとすると、ぱんっと両手を合わせたような音が聞こえた。
刹那、目前のロボット三体が橙の炎に包まれる。
空気と金属を溶かしながらその炎はい一瞬のうちに吹雪の背丈を越えるほど大きくなる。
赤々と燃え続ける炎は、その場を黒く焦がし、火の粉を散らす。普段ならこれほどの大きさの炎の近くにいたら、雪女である吹雪はすぐに倒れるはずだが、なぜか熱さはさほど感じない不思議な炎。その炎は、灰色の空を赤い絵の具で塗りつぶしたように、どんどん赤を周囲に散らばらせていく。
その炎が消えた頃にロボットたちは灰色の液体に変わっていた。
炎に気を取られて後ろのロボットを忘れていた! と後ろを振り向いた先でも、あそこに鎮座していたはずのロボットは液体と真っ黒になった配線のようなものになっていた。
『お前、今回は引きが悪かったな』
ゾワっとする、背筋が精神的に凍るようなぐぐもった音が吹雪の鼓膜を揺らした。
声がした方を向くとそこには、真っ黒の人影が腕を組んで立っていた。それが手に持っていた薄橙のお札のようなものをに息を吹くと、お札は真っ黒になって灰色に戻った空の中へ消えていく。
なんで、あなたが。
そんな吹雪の疑問は声にならず、指の先は震えていた。
能淵様。
なぜ自分はこの名前を知っているんだろう、と吹雪は自問を繰り返す。
『そりゃあ、怖いだろうな。俺は生物が大体一番怖いって思うものの具現なんだから』
能淵様が少しずつこちらに歩みを進めてくる。
さっきまで麗子が相手をしてくれていたんじゃないの? 怖い、怖い、怖い!! 逃げなくちゃいけない、早く逃げなきゃ……死ぬ!
しかし、金縛りにあったように指先が、腕が、足が、首が動かない。
唯一動く目でそれを追っていると、能淵様は吹雪の隣へ立った。
『少し眠ってな』
能淵様がそう言い放ち、吹雪の首の後ろに何かが当てられると、膝が折れ、吹雪は前に出された能淵様の真っ黒な腕に向かって倒れこんだ。
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次に吹雪が目をさますと、そこは小さな井戸の前だった。
周りの様子は違えど、麗子と一緒に辿りついたあの井戸と全く同じものが、そこに瓦礫に混じって置かれていた。しかし前に見たものよりひび割れていて、劣化が進んでいるようだ。
どうしてここに、と思うと能淵様の姿が脳裏に映る。
そうだ、あれは……? と思い辺りを見回すと、すぐ近くの瓦礫に能淵様は背中を預けて立っていた。
「…………!」
思わず吹雪が後ずさると、それに気づいた能淵様は若干吹雪と距離をとった。
『お前、目が覚めたなら早く井戸の中に入れよ、そしたら別の世界に行けるんだぞ。わかってるんじゃなかったのか?』
能淵様の声を聞くと、あの低い音が鼓膜を揺らすと、どうしてか吹雪の頭は恐怖で塗りつぶされる。
頭が働かなくなる。腰が抜ける。手足に力が入らなくなる。
さっきは戦闘の余韻で緊張感があったせいかここまで怖いとは思わなかったが、またあの時麗子と一緒にそれと相対した時と同じ悪寒が吹雪の脳髄を抉る。
次第に呼吸が荒くなっていくのが自分でもわかる。早く、動かない体に鞭を打って井戸の中に入るべきだと意識が警鐘を鳴らしている。
……でも、違和感があった。
麗子と一緒にこれを見たときの嫌なほどの殺気はどこへ言った? あの時はそれに怯えていると思ったのに、どうしてさほど殺気を纏わないそれを前にしても自分は恐れている? いや、私は何を恐れている?
「…………ぁ、あなた、は」
声を絞り出す。
聞きたいと思った。聞いてみないと、ここから進めないと思った。
「また、わたし……を、倒そうと、しない……の?」
途切れ途切れに出た言葉は、能淵様の耳に入る。
すると、能淵様はさも当たり前のように淡々と言葉を紡ぐ。
『だって、俺がお前を倒す理由がないだろ?』
「…………は?」
思わず、吹雪はそう声を漏らした。
ならば、どうして麗子を襲った? あのとき必死に吹雪を逃がそうとしてくれた麗子の頑張りが、思いが、優しさが、否定されたような気がした。
『ここにいたら、お前は死ぬかもしれない。さっさと出ろ』
言っていることと、やっていることが真逆だ、と脳は理解した。理解してしまった、あの怪物に近い何かの矛盾を。
能淵様がこちらへ歩いてくる。
吹雪の前に立つと、それは吹雪の腹を掴もうとする。
しかし、吹雪はその手を拒み、恐怖を乗り越え、言い放つ。
「ならどうして、麗子に戦闘を仕掛けたの……!」
能淵様は一度振り払われた手をまた吹雪に伸ばし、腹を掴む。
そして、軽々と吹雪を持ち上げた。
『あの時は誤算だったな、麗子とか言ったか? あいつさえ落とせば、お前は何もしないで待ってくれると思ったんだが』
独り言のように、能淵様が言葉を漏らした。
『単純だ、ただ』
吹雪を井戸の淵に座らせると、能淵様は右手で吹雪の額を押す。すると吹雪の体は傾き、井戸の中へと落ちていく。
『邪魔だったんだ』
その音を最後に、吹雪は金色に輝く水がなみなみと注がれた井戸の中へ墜ちて行った。
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吹雪を井戸の中へ売れた能淵様は、ふぅっと息をついた。
そして、安心したようにその場に座り込んで胡坐をかくと、横に結った髪をいじりながら呟いた。
『あいつはもう、乗り越えられるのかもしれねぇな』
ずっと空を覆っていた暗雲が切れて、青い空が垣間見えた。この世界でも青い空が見えたんだな、なんてふふっと笑う。
『でも、俺は過保護だからな』
独り言は、静かな空気の中に溶けた。
そして、能淵様の姿も次第に薄くなり、霧のように消える。
そこでは何もなかった、と終末の世界は風をそよがせた。