ACT−3 樹林の中の使者=前編
「ここは…?」
少女は小さめな身体を起こしながら、呟いた。
辺りを見渡すと、そこはまさに無機質な部屋だった。目に映るほとんどのものが灰色で、鮮やかさが欠けらほども無い。オマケに窓も無いし、蛍光灯もチカチカと点滅していてすぐに明かりがなくなってしまいそうだ。
しかし、倒れた即席麺のカップや開けられたスナック菓子の赤い袋がなんかそこらに散乱していて、人がいたということはわかった。
こんな部屋早く出たい、陽の光を浴びたいと直感的に思った彼女──桜蜜吹雪は近くに落ちていカードキーと思われるものを拾う。
使い道を少し迷い、ふと思いついてドアの前の黒い板に翳すと扉が開いたので部屋を出た。
桜蜜吹雪は、強大なる力を誇る雪妖怪の族、桜蜜族の血筋の雪女だ。青髪の父・白髪の母とは全く違う黄緑色の髪の『変な雪女』ではあったが、力は規格外に強く、村1番の強者と言われるほどであった。
頭も悪くなく勉強も出来たので、主席の証のの赤いリボンを持って雪女の学校を卒業した。運動は得意でなかったが強大な力故、戦いには向いており倒しにくい化け物が村に現れた時はすぐに出向いて化け物を倒していた。
こんな力を持ってしまい気味悪がられたものの、吹雪の良さを分かってくれる仲間はおり、病気もせず楽しく元気に育った……
というのがその少女のここまでの記憶だ。しかし体はそれ以上に育っており、ここまでに何かが足りないような気さえした。これは恐らく、【記憶喪失】だった。
兎も角、それなら家に帰ろうと思考するのはおかしなことではない。とりあえず、外に出るため部屋を出た先に広がっていた廊下に吹雪は足を踏み入れた。
こんな場所、というか施設は知らなかったし、ここが村のある雪原かも分からなかったが、とりあえずこの建物を出なければならない。
廊下を進んだ先には大きな扉があり、そこを開くと吹雪が倒れていた部屋より広い部屋に出た。部屋の外から見渡すと、その部屋には外から入る光が漏れた扉がひとつ。
そしてとても長い銀髪で、目元を黒い機械で覆われた吹雪に似た服装の少女が入ったガラス張りの円柱もある。培養器と言う言葉が思いつくような大きな機械だ。
吹雪がその部屋に足を踏み入れる、と。
ビーッビーッ
そんなブザーが部屋に響きわり、赤いランプが周りを赤く照らす。一瞬恐怖を覚え足を部屋から抜くと、培養器の中の液体が一瞬にして上下の機械によって抜き取られ、開いたガラスから銀髪の少女が出てきた。
「──シンニュウシャハッケン、ハイジョシマス」
「えぇっ!?」
銀髪の少女が培養器に足をかけて蹴り、その勢いでこちらに向かってくる。
蹴られた培養機は張られたガラスがバリバリになっていて、力が強い事がよくわかった。
咄嗟に左手で結晶型に氷を展開しバリアのようにして攻撃を防ぐ。少女は右手の形が今さっき遠目で見た時と明らかに変わっていて、短刀のようになっていた。
空いた右手から氷の粒を放出し銀髪の少女を部屋の端に押し返す。
その隙に扉の裏を見てみると、そこにはポスターが貼ってあった。
『防御システム-REICO-の誤作動の場合 培養器に取り付けられたパネルに利き手を翳してください。REICOは…』
この続きはロボットの説明のようだ。この少女はREICO…レイコと言うらしい。
「それじゃあ、勝負と行こっか」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと、吹雪はまず壁際を通ってパネルの方に駆け出した。
「システムケンゲンショウカク、コレヨリレベル2ヘトイコウシマス サンダーシヨウキョカヲカクニン…ウチコミマス!」
レイコは突然立ち上がり、左の手のひらから雷を打ち出してきた。
「おわっと!?」
また左手にバリアを展開し防ごうとしたが…
「痛っ!」
バリアを開く前に雷に当たってしまった左手はバチバチと光り、痺れて動かせなくなってしまった。
……レベル2と言っていた。レベル3があることも想定できるので攻撃頻度が上がる前になるべく早くパネルに触れなければならない。
しかし移動の間もほぼ与えず、レイコはまた壁を蹴ってこちらに接近し雷撃を放つ。雷を避けれる体勢をとってレイコの攻撃を防ぎ、強めに氷の息吹を吹いてレイコを1メートルほどだけ離すと、右手を前に大きく伸ばしてもっと強い伊吹でさらにレイコを遠くへ飛ばす。
しかしすぐにレイコが体制を直して雷撃を放つ。攻撃に備える体勢に入ろうとしたが、痺れて動かせない左手は右手よりも遅くなってしまい、また左手は雷に当たってしまう。
「っ!?」
さらに痺れた左腕は今さっきよりも痛みを伴うようになってしまったが、容赦無くレイコは攻撃を繰り出す体制をとっていた。
「うぅ〜っ……最終手段! ロボットみたいだし耐えてね!?」
右足で床を強く踏み込む。すると、右足を中心として灰色の床にどんどん結晶の模様が浮き出てくる。
レイコはとっさに避けようとしたがもう遅く、レイコの足元の床を結晶の模様が蝕んだ次の瞬間に、レイコは氷の檻に閉じ込められる。レイコが抵抗して雷撃を放つが、機械音が部屋に響くだけで檻は破られない。
この隙に急いで右手をパネルに当てると、雷撃を放っていたレイコは急に俯き、目元を覆っていた黒い機械も取れて落っこちた。
左腕が回復し、レイコを檻から解放した頃、レイコは喋り出した。
「a……起動……」
この後レイコはコードっぽいものをひたすらに喋り続け、ようやく吹雪でもわかる言葉になった。
しかしその言葉は私吹雪の予想である「ココハドコデスカ?ワタシノマスターハドコデショウ……」なんていう言葉とはだいぶ違った。
「マスター登録完了しました。私は、麗子。貴方の従順なる下僕です。」
黒い機械がとれて露わになった大きな紅の瞳をこちらに向け、レイコはそう言った。
吹雪の予想よりも滑らかな日本語で、硬い表情もしておらず、にっこりと笑って。
……こちらを向いて、マスター、と。
「え?」
あの時、ポスターの下の方を読む余裕は無かったが、実は下の方に少し大きな字でこう書かれていた。
『シャットダウンが完了した後、すぐに博士を呼んでください。初めて視界で捉えた人型の生物をマスターと認識します』
●
背中にぴったりくっついて離れてくれないレイコ……いや麗子を極力無視するようにして外の光が漏れていると思われる扉を開いた。
一瞬、目が眩むほどの光が差し込むが、その光にすぐ目は慣れて建物の外が見えるようになる。建物の外はジャングルのようになっていて、吹雪の視界に映る全てが大きな木で埋め尽くされた。
青々と茂る様々な色の緑が空からの光を翻し、美しい林に囲まれていたらしい。外に出て改めてよく見ていると、思わず「うわぁ……!」と声を漏らす。
暑そうに見えたがそうでもなく涼しいくらいで、吹雪にはとても過ごしやすい気温だ。水とかがすぐ見つかるようには見えないが、まぁ良いだろう。
「マスター、樹林には『うわぁ……!』と話しかけたのに私には話しかけてくれないの酷くないですか?」
「それ話しかけたの分類に入るの? まぁどこぞの、部屋に入ったら急に襲ってきたロボットには言われたくないかも……」
「むぅ……システムなんですし許してください……せめて、名前と目標を教えてくださいよ! 私はマスターがやること全てを最善の方向に導くためサポートしますから! 」
吹雪はまぁそれくらいはいいか、と一呼吸おき、
「私は桜蜜吹雪。えっと、目標……お家に帰ること、かな? でも私のお家の近くはずーっと雪の雪原だし、すっごく遠そうだけど……」
「マスターのお家……そこに戻ることが最終目標ですね。それなら手っ取り早く移動できそうなワープホールでも見つけられないでしょうか…… Search掛けてみますね! ……あ、見つかりました」
「早くない?」
麗子が左手のひらを上に向けると、そこに仮想の水色の板が現れる。
それを覗くと、今私たちがいる場所、と考えられるオレンジ色のアイコンから少し離れたところに赤く目立ったアイコンがもうひとつあった。
「とりあえず、ここがワープホールじゃなくとも何かしら瞬間的な移動ができる手段がある場所、と思われます。ひとまず、ここに行ってみるのはどうでしょうか、マスター?」
ちらっと、褒めて欲しそうにわくわくとした顔を向けながらこちらを向いた。
ここは空気を読んであげよう、と褒め言葉を頭の中で構築する。
「なるほど、さすがロボットだね! それじゃあ麗子の言った場所に行ってみよう!」
「はい! ちなみに私はロボットではなくアンドロイドです!」
「ロボットとアンドロイドの違いってなんなのかな?」
今夜は、とても月が綺麗だ。ほのかに優しく温かいような金色の光は、ジャングルの木々の間にも優しく差し込み、時折葉なんかに反射してより美しい幻想的な光景に見えた。
とまぁ、結局目的地にたどり着く前に日が落ちてしまった。夜に歩こうとしたのだが、麗子に「この辺は猛獣が多いので夜に出歩くのはやめましょう!」と念を押されたため、ジャングルの中で特に木と木の間が広く、横になるスペースがある場所を見つけ野宿することにした。
すると吹雪から、『ぐぅぅぅぅ……』という音がした。吹雪が頬を赤く染める。
「マスター、それなら私食料取ってきますよ! 私は睡眠必要ありませんので!」
麗子がその恥ずかしさを切り裂くように大きめな声でそう言った。
「た、頼んだ…… バナナ以外でよろしく……ジャングルのバナナはゲテモノって聞いた気がする……」
「わかりました!」
麗子がジャングルの木々を掻き分けて進む後ろ姿を眺めていると、疲労のせいか吹雪もつい微睡み……木に寄りかかって眠りについた。
麗子はまず初めに、バナナを発見した。
「ジャングルのバナナがゲテモノなんて私の辞書にはないのですが……」
試しに、皮を剥いてみると、その可愛らしかったはずのバナナが正体を表した。
薄い黄色の暖かな色合いが顔を出すと思いきや、中から出てきたのは黒ずんだ橙の身だった。先端に行くにつれて連れて黒味が増した赤い触手のようにも見えるだらんと力なく垂れた細長い何かが皮の中の所々に生えて気持ち悪さを引き出している。皮の内側も真っ黒に染まっており……結論。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! これなんですか!? こんなバナナ根絶やしにしておくのが人類にとって最善でしょう!? アルファサンダー!」
1時間ほどで周囲のバナナを根絶やしにして気が済むと、また歩き出した。
そして、歩き始めてから数時間した頃に川を見つけた。
「(川……川なら魚が居るのでは? 水も持ち帰ればさらにマスターに褒めて貰えそうですね! 持っていきましょう!)」
麗子はそこらのココナッツの中身をくり抜き、その中に水を入れたものを3つほど用意し、近くの蔦を三つ編みにして丈夫にしたひもをくくりつけた。
魚も捕り、手際よくその辺に落ちていた比較的綺麗な葉っぱに包む。
満足した麗子はマスター、吹雪の元へ戻ろうと、吹雪の居場所を捜索する。
そこで麗子は吹雪の所に、大きな生命反応があることに気づく。この大きさなら、……
『ウ゛ガァ゛ァァァァァァァァ』
どこからか聞こえた雄叫びで確信する。熊、のようだ。
麗子は靴裏のロケットエンジンを起動して、吹雪の所まで一直線に突っ切って行った……!
「なんでこんなジャングルにシロクマいるの?」
夜明けも近そうな頃、何かの気配を感じ取り目を覚ました吹雪の第一声はこれだ。
近づいてきたのは真っ白い大きな熊。ホッキョクグマなどの正式名称はあるが、大きく言うと "シロクマ"の種類だ。
『ウ゛ガァ゛ァァァァァァァァァ』
大きな声がさらにジャングルの森に反響した。この声に反応して麗子が来ることだろう。麗子に分かりやすいように雪の結晶のあとでも残しながら…
「逃げよう」
……まさにすったかたーと言った様子で、吹雪が駆け出した。
ジャングルの木々で視界が悪いこともあり、良くいえば小柄な吹雪を、シロクマはすぐに見失ってしまった。
その直後、麗子がその近くの草むらの中に到着した。
「少々遅かったようですね……」
麗子が吹雪の寝る支度をしていた位置を見ると、そこにはもう誰も居なかった。代わりに、シロクマがその近くに何かを探すようにして彷徨いていた。
本来回避して進むべきなのだが、丁度行きたい方向を塞いでしまっている。足裏のロケットも、今はもう燃料不足で使えなさそうだ。
なんとかシロクマが別の方向を向いた隙に、麗子はそこを通ろうと全速力で駆け出すが、
目前にはテントウムシがいた。
……麗子というロボットの数少ない欠点。それは、
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?!?」
虫のフォルムの直視が出来ず、それに過剰反応してしまうことだった。
つまり虫嫌い。
さすがにこれだけの悲鳴をあげてしまえばテントウムシはどこかへ飛び去り、シロクマはこちらを向いた。
「あー……」
爪を立てて攻撃しようとするシロクマに対し、麗子は電撃を放とうとしたが、放つ直前の体勢で、まるで時間が止まったかのように双方が硬直した。
麗子を見ると、全身が汗ばんで、表情は疲れきったような顔をしていた。麗子の中で、自分の嫌な記憶の一ページと被った絵を前にして、その恐怖が麗子の背筋をなぞった。
「あ…」
そして世界は動き出した。
『このシロクマも、やればいいんですよね』