9話 爪を見せる
憎悪に身を染めた凶刃は一片のためらいもなく振り下ろされる。
「――――っ!」
ステラは小さな喉の奥からひねり出したような小さな悲鳴を発する。
「おかあさぁあああああああああああああああああああああん!!」
これまでの言動から予測すれば、こうなることは必然だった。しかし、ラーニャに恐怖がないと言えばうそになる。だから、その瞬間だけは目を閉じることにした。
しかし、いくら待ってもラーニャの意識が刈り取られることはなかった。
その代わりに聞こえたのは騎士が喉から絞り出すようにして言う声だけだ。
「貴様……」
「――」
ヘイドのさっきよりもっと憎しみが増した声で言う。奥歯を噛んで、悔しさを表情で表している。
恐る恐るラーニャは目を開けてみると眼前に飛び込んできたのは風に揺れる銀色の髪だった。
ついさっき知り合ったばかりのはず、しかし、そこには確かに銀色の髪を靡かせて黒いロングコートを羽織った青年がいる。
「ギル」「……」
理解できない状況にラーニャもステラも固まる。そして、さらに驚いたのは、ギルは自らの体を盾にヘイドの凶刃を受け止めたのではなかった。
その場に血は一滴も流れていない。
「そんな指で!」
ラーニャが思わず口に手を当てながら驚嘆の声をあげる。
「舐めた真似をして!」
ギルは鉄すらも紙同然に切り裂く騎士剣を右手の親指と人差し指で挟むようにして受け止めている。彼の口元が笑い、余裕があることを無言で示していた。
「貴様までもが私の邪魔をするのか、行き倒れの分際で……そもそも、なぜ貴様はこの母娘を助ける!」
「純粋に助けようと思ったわけじゃないさ。俺は基本的に面倒ごとに首を突っ込まない主義だからな。でも、そんな俺でも三つだけ許していないことがある。その内お前は二つ違反した」
剣を掴んでいるのとは反対側の指を騎士の二人に突き出して人差し指だけを突き立てる。
「一つ目は実力に見合わない権力を傲慢に振り回して優越に浸り人々を罵る奴というか、権力的弱者を不要に貶めようとする奴と言った方が近いな。二つ目は理由に関係なく、理不尽に家族の絆を引き離そうとする奴だ。そんなわけで邪魔させてもらうよ」
「別にいいさ。行き倒れの一人くらい軽く捻ってやるよぉ!」
「――!」
顔を大きく歪ませて邪魔をされたことに激昂するヘイドの横でダルグは頭に何かが過っている。脳細胞が必死に何かを訴えかけているような気がする。
昔の記憶、こんな時に記憶が引き出せないと加齢による衰えを感じてしまうが、そんな些細なことどうでもよかった。
何かを見落としている。
杞憂に終わって欲しい胸の疼きを抱えヘイドを抑えようとする。
「ヘイド、一旦落ち着け、そいつはどこかで見かけたことがある。状況を整理すべきだ。不確定要素の介入には慎重になるべきだ! 私たちは何かを見失っている可能性がある!!」
「黙れ、くそジジイ! これだけコケにされて退くなんてできるはずがないだろう!」
しかし、ヘイドは聞く耳持たない。
意地でも叩き斬らないと気が済まない……と言うわけではなかった。
――離れねぇ。
ただ、退けないのだ。
ギルの挑発に乗っているように見えているヘイドだったが真実は違い、虚勢を張っているだけで、決して表情には出ないように細心の注意を払ってはいるが、たった二本の指で挟まれているはずなのに騎士剣はピクリともしなかった。
本能的にも体は危機感を感じているのか額を伝う冷や汗が止まらない。
物理的にあり得ないのだ、レイピアにも似た騎士剣の僅かな腹を人差し指と親指で挟み込み、まだまだ力のある若者であるヘイドが全力で動かそうとしているのにまったく動かないことなど。
「離せ! てめぇぇえ!」
――おかしい、おかしい、何もかもが今日に限ってうまくいかない。
そんな焦燥感がヘイドの中で燻っている。そんな様子は目を見れば素人でも識別可能であり、故にギルもその目を見ると、
「じゃあ、これでいいかな」
それだけ言うと挟んでいる二本の指に力を込め直角に捻る。すると、パキンと綺麗な金属音と共に剣は二つに分断された。
「はあ!?」
折られた剣はカランと音を立てて床に落ちて、小さく飛び散った破片が光に反射してキラキラと輝いている、
これまでは動きたい体と動かせない体で均衡を保ってきたが、剣が折られたことによって、急に動くことが出来る様になって思わずふらついてしまうヘイドだったが、そんなことはどうでもいい。
「――――」
――声が出ない。
ここで重要なのは特殊金属によって鍛えられて普通の剣よりもずっと強度を持つはずなのだが、意図もたやすく折れたことだ。
「離したぜ。これで満足か?」
計り知れない力を持つギルにヘイドとダルグは畏怖する。そして、本能的無意識にギルとの距離をとっ
た。
明らかにさっきとは突き付けて来る目線に変化がある。
そんな様子を見て一息ついたギルの後ろから声がかけられた。
「ギル……君は一体……」
「俺のことなんてどうでもいい……今大切なのはあなたの考えを正すことだ。ラーニャさんあなたは間違っている」
「えっ!?」
顔だけ振り返って言うギルはラーニャが聞いてきたこととは関係ないようなことを言い出した。しかし、冗談でこの場の雰囲気を変えようという考えも感じられなくて、本気でギルはラーニャに語りかけている。
「さっき自己犠牲で終わらせようとしているけど、それじゃあ後でステラが悲しむよ。それに、国は……ってか、あの騎士は難癖つけてでもステラを攫いに来る。絶対にね」
「君に何が分かるというの!?」
「分かるさ。俺だって同じことをされたからね」
「……」
妙に説得力がある言い方に言葉が詰まってしまうラーニャ。その目には確固たる因縁が宿っているようにも見える。しかし、ラーニャはまだ納得していなようだ。
「お母さん、死んじゃだめ!」
「ステラ………」
そこへ飛び込んできたのはステラだった。皮肉にも母親の決死の決意が失敗に終わったからこそ再びラーニャに触れあうことが出来たステラの瞳には大粒の涙が溜まっている。
そんな娘をラーニャは強く抱きしめる。すると、途端にダムが決壊したかのようにラーニャは「う……ぐす……」と嗚咽を含みながら鳴きだした。
ようやく自己満足のためだけに命を散らそうとしていたことが理解できたのだろう。
「ありがとう、ギル。お母さんを助けてくれて、でも、この国の騎士に逆らったギルに今度は罪を背負うことに……」
ラーニャに抱きしめられながらギルにことを心配してくれるステラだったが「ふっ」とギルは鼻で笑う。
「心配しないでいいよ、ステラ。今さら近衛騎士二人をいじめたくらいで発生する罪なんて、俺が昔犯した償う権利すら与えられない罪に比べれば微々たるものだし、今更一つ増えたところでたいして変わらないよ」
「――えっ!?」
とんでもないことを聞いたような気がしたステラはギルに聞き返そうとするが既にギルはステラから目線を外して正面を向いている。
「ふー! ふー!」「………」
そこには怒りで我を忘れかけているヘイドに、眉間に深い皺を寄せて脳内を高速回転させて考え事をしているダルグが目に入る。
ダルグは今にも飛びだして斬りかかりに行きそうなヘイドを抑えている。
「殺す! 殺す! 貴様だけは私が殺す!」
「待て、と何度も言っているだろ、ヘイド。騎士剣を片手でいともたやすくへし折るなど普通の人間のできることではない。今は様子を見ることが大切だ。それにお前は剣を折られたからもう手持ちがない」
「そんなこと知ったことか!」
「ヘイド!」
ダルグの制止を振り切ってギルに向けて突っ込んでくる。その際に、ダルグの腰にさしてある剣を強引に抜き両手で構えた。
ものすごい形相を浮かべて、目には屈辱を受けたギルしか映っていなくて冷静な判断が全くできてない。
「死ねぇ!」
「よっと!」
距離を詰めたヘイドは腰に位置から斜め上へと切りあげる形で斬りつける。しかし、ギルは容易く姿勢を低くしてかわした。空しくヘイドの初撃は空を斬る。
「――こいつ!」
すぐにヘイドは二撃、三撃と攻撃を加えていくがギルは風に舞う紙の様に造作もなくかわし続ける。
「ちょこまかと……!」
「――」
太刀筋が雑になってきていて酒場内がヘイドの剣によって無数の傷がつけられていっていることにギルは気づく。
木造づくりの壁に床の刀傷はどれだけ時間が経過しても癒えることは無い。
そして、
「あっ……」
そのことに注意しすぎたのかギルの態勢が一瞬崩れてしまう。並の騎士では大した隙にはならないのだろうが、ヘイドは高等剣術を習得していたため、そんな隙を決して見逃さなかった。
「今度こそ!」
「まだまだ」
無理に態勢を立て直そうとはせずに重力に任せて態勢を沈ませていきヘイドの剣を紙一重でかわして、すぐさま足に力を込めて態勢を整えると剣を振り下ろしたばかりで隙だらけになっているヘイドの顔面に強力な一発を殴りいれた。
一瞬ではあるがレイドの顔面は、これほどまで! と言いたくなる程めり込んだ。
「らぁあ!」
「ぐ……ぐはっ!」
その声と共にヘイドはギルに思いっきり殴り飛ばされてしまう。
ドンッ! と体を床に強く叩きつけられたヘイドはすぐに剣をまだ掴んでいるのか確認して起き上がろうとするが目線の先には圧倒的プレッシャーを放ちながらヘイドを見下さすギルの姿がある。
「愚民ごときがこの私を見下すな!」
「……これ以上は店の迷惑になる。まだやりたいなら場所を変えよう」
ヘイドに追撃をすることなく提案を出すギル。
顔面を殴られて鼻血がでたこともあって少し頭から血が下がってきたヘイドはしばらく考えて、
「いいだろう」
流れている鼻血を拭いながら答える。