6話 事情
「―――――っえ!?」
きっと、独り言の様な感じで呟いたのだろうけどその声は確実にギルの耳に届いている。
ギルが聞こえていたということは当然ラーニャの耳にも届いていたということで、
「ステラ!」
ここにきてラーニャが声を荒げる。その声で我に返ったのかステラは両手で口をふさいでこれ以上喋らないようにしている。
「ごめんなさい、お母さん」
「ううん、お母さんこそ大きな声を出してごめんね。でも、どこに騎士の目があるかわからないから。用心は常にしておいてね」
これまでの芯の強そうな印象が強かったラーニャから一転、優しく娘に語り掛ける姿はまるで別人のようだった。
「あ、あ、それじゃあ、ギル、私のお願いは……そうだ、数日間私の遊び相手をしてよ。それでいいや」
「―――――――――」
慌てた表情を浮かべて投げやり感を満載に代替案を提示するステラだったが、現時点ではそんなことはどうでもよかった。
「………ねえ、ステラ、その言葉について詳しく聞いてもいい?ファーガルニの現状については何となく知っているけど本質は分からないから………」
「…………………お母さん」
「――はあ、仕方がないね。つい漏らしてしまったこちらに非がある。ギルはただ知りたいだけだからね。なら、大丈夫でしょう」
心配そうにラーニャを見つめ、その答えを待つ間のステラはどこか怯えている印象があるが、そのことに把握しているのかラーニャは片手で額を抑えながらため息混じりの息を漏らして賛同する。
「私が説明する前にギルはどこまでファーガルニ王国というものを知っているのかしら?」
「近隣六大王国の一角。先王が死ぬ前は民衆と比較的に仲が良かったらしいけど、数年前先王が死んでからは実の息子が現王になって途端に権力を横暴に行使して民衆にバカ高い税金をかけて自らの生活だけを豊かにしていった。民衆の中には満足に食べることも出来ない人がいながら自分たちの身を削ることをせずに肥え太る姿は見て『王族、貴族の楽園の国』なんて呼ばれていることかな」
「そうね。その認識で間違っていないよ。というかそれでほぼ完結している。少し前までは抵抗軍が幾つか活動していたけど、国に勝てなくて今では沈黙。先例があったからいけると判断したんでしょうけど……無理だったみたい」
「俺もずっと見分でしかなかったから来てみて改めてわかったよ。辛い状況なんだな。でも、だからこそ俺に恵みを施してくれたからお礼がしたかったのにラーニャさんもステラも欲がなさすぎるよ。本当にその爪の垢でも王族の馬鹿どもに飲ませたいね」
胸の前で腕を組みながら呆れ越え混じりに言うギルだったが、ラーニャは少し目を細めて「ギル……」と言うと自らの唇に人差し指を押し当てる。
「あまり王家を侮辱する発言はするもんじゃないわ。どこで監視しているのか分からないからね。ヘタして見つかると国家に反逆の意図ありとして拘束されてしまう」
過去に何かあったのだろうか、唇をかみしめて言うラーニャにギルは気づいた。
今いる酒場にある窓から外の様子を眺めてみると、街を歩いていた時と同様に周りの人々には笑顔がない。否、ない訳じゃない。でも、みんな辛く、苦しい生活を送ること義務付けられている感覚に捕らわれているせいか会話の節々に、動作の所々に脱力する様な所業が混じっている。
その光景を見てギルは口元に手を置いて厳しい表情をする。
「何だろうな。噂に聞いていたけど、でも実際に目にしてよくわかったよ。昔の、あの最悪の時代のロンドリアを彷彿とさせる光景がこの国には広がっているよ」
「えっ!? ギルはロンドリアの出身なの?」
何気なく言った言葉にラーニャが機敏に反応する。
「まあね、と言っても最近は本当に用事がある時にしか立ち入らないようにしているけどね」
「それじゃあ、ギルは『ロンドリアの奇跡』を目撃したの?」
口調は変わらないままだったが明らかにラーニャは興奮している様子だった。そんな母親の姿は見たことが無かったのかステラは口をポカンと開けて目を点にしている。
「え、あの……お母さんどうしたの、そんなに興奮して?」
息を荒げる母親に突っ込まずにはいられなかったステラは母親に問う。
「――そういえば、町の人もロンドリアがどうした、とか、私たちにもあの奇跡が起きないのかな、とか言っていたことを聞いたことがあるけど、それと関係あるの?」
ラーニャがステラの最初の問いに答える前にステラが質問を重ねる。立ち上がったラーニャの双眸は一点の狂いもなくロンドリア出身と言ったギルを捉えている。
「ステラは知らないかもしれないけど、今じゃあ、六大王国なんて言われているけど元々は七大王国だったんだのよ」
最初に口を開いたのはギルだった。
その途中から興奮さめないラーニャが継いで話す。
「今のファーガルニよりもさらに国内状況は最悪と言われてね、まさに国民を道具としか思っていなかったロンドリア旧王国はたった十二人の抵抗軍によって一瞬のうちに倒されてしまうの。それで、のちにロンドリアは共和国として再出発を始め、その英雄たちはそのあと姿を消した。たまに噂を聞くけど生きているのか、死んでいるのか不明なの。当時の七大王国で最強の軍事力を持っていたロンドリアが倒されたから私たちはその歴史的出来事を『ロンドリアの奇跡』って呼んでいるの」
興奮している影響なのかいつもよりも饒舌になっているラーニャに目を配りながらステラはポンッと手を打って仮説を立てた。
「あっ! ということはロンドリアで起きたようにファーガルニでもその英雄じゃなくてもいいから誰かが王国を倒してくれると願っているってこと?」
「ええ、そうなの……」
そこまで言うとラーニャのさっきの興奮はどこへ行ったのだろうか、急に元気をなくすと椅子に腰を下ろす。
「そう、私たちは願った。男たちは立ち上がって動いたわ。でも十年たっても倒されることはなかったし、抵抗軍に加担したものは全員拘束されて処刑されたわね。今じゃもう誰も抵抗しなくなった。変に期待して打ち砕かれるなら最初から期待なんかさせてほしくないからね」
その口調は多分自分の知り合いの中にも抵抗軍に参加した人がいたのだろう。
「そう、今のファーガルニを変えられるのはあの十二人の英雄だけ。でも、もう淡い期待は持たないわ、今ではこのファーガルニで要領よく生きる術を見つけることが先決だからね」
そこまで言うとステラの頭を優しく撫ぜる。
「だったらなおさら俺の面倒を見ている場合じゃないだろ!」
ここまでの様子を時に険しそうな表情で、時に微笑ましい表情で傍観していたギルが横からさし込んでくる。
「その通りだね、お母さん」
「ええ、全くその通りね。でも、なんとなくギルには恩を売っておいてもいいような気がしたの。私の感はよく当たるからね」
クスクスと笑い、まるで、今日の料理は失敗したね、感覚で言う二人にギルは困惑している。
「そんな短絡的な性格だからお父さんには逃げられたのに」
「それを言わないでほしいな、ステラ」
笑って終わらせようとしたラーニャを突き刺す鋭いステラの言葉。皮肉で言ったつもりはなく、どちらも脱力した笑顔も包まれている。
「別に私としてはステラと一緒に過ごすことが出来ている。これだけで十分なの、確かに生活は厳しいけど娘の笑顔のためなら頑張れるんだよ」
ラーニャが浮かべるその笑顔は働く女性の凛々しさを表現するとともに母親としての愛情がこもっているものだった。
「――懐かしいな」
そんな光景を見てギルは小さな声で漏らした。偉大なる両親をラーニャに自分をステラに重ね合わせて幼き日の記憶が鮮明に蘇ってきてギルは今日一番の優しい表情を浮かべる。
そして決断をした。
「ラーニャさん、しばらく俺この店手伝うよ。せめてものお礼だ。もちろん給金はいらない。これで恩返しになるかな?」
「――感謝するよ、ギル。でもその気持ちで十分よ」
申し出に対して一瞬も考えることなく断った。それからもギルは説得を試みるがラーニャは頑なに首を縦に振ってくれない。
「どうしてなんだ。気を使う必要はないんだよ、当然のことだからね。ていうかそのくらいしないと恩が返せないんだけど……」
『――――――』
ギルは手を使って精一杯に抗議するが、その提案に母娘は苦い顔をする。
その様子がどこか違和感を覚えてギルも首をかしげる。
「ギル、君が本当に恩を返したいと思うならすぐにこの国を出ること。住民である私たちには出国審査は厳しいけど外国人のギルには甘いはずだからね」
「どうして……?」
その言葉の真意がつかめずにギルは呆然とする。
「きっと、このままここにいたら最悪な気分になるよ」
そんなギルの眼前から俯いた様子のステラが言ってくる。
「はぁ? 意味が分からないけど」
「いつもと同じならもうすぐ来るから……」
そのステラの言葉にラーニャは深いため息をつく。
まったく意味が分からないまま話が進んでいて完璧において行かれているギルは頭の中の『?』マークが増える一方だ。
「説明して……」
バンッ!