4話 拾われた先
『――――――――』
――どこからだろうか。鼻をくすぐる甘美なにおいがする。そして、なぜか不快音として扱われることのないトントントンとリズムよく包丁を扱う音。
相変わらず体は重い。でも、瞼は開くことが出来た。
「……ここは……?」
死が近づいてきていると思い、それを受け入れる形で目を閉じたはずだったが、再び開いた現前に広がっていたのは、さっきまでいた路地の計算高く敷き詰められた石でもなければ、雲が一つもなかった空でもない。
見慣れない天井だった。
目線を左右に振って状況を確認してみると、どうやら青年は複数に並べられた椅子の上に寝転がっているようだ。その上から毛布がかけられている。
ここまで来ると導き出される結論は一つだ。
結局餓死はせずに心優しい誰かに拾ってもらった、というところだろうか。
まだ微かに視界がぼやける。何回か目を開閉させていると、徐々に意識が覚醒していき、どこかフワフワしていた脳の思考に『現実』という名の刺激が注入される。
「酒場か………」
改めて冴え切った目で周りを見渡すと数は多くないが円形のテーブルに付随する複数の椅子があり、その奥にはカウンターテーブルがある。
そして、そこに一人の女性が厨房に立ちジュージューとどこか心地よい音を立てながら料理をしている。
「――」
現在の状況を確認できつつあることは僥倖だが、この先のどういうふうに行動すればいいのか青年は周り切っていない脳で考える。
考えられるパターンは二種類に大別できる。
一つは、他意のない善意によって青年が保護された場合。
二つは、彼女は奴隷商人かなんかで青年を売り飛ばす算段で準備をしていること。
と、ここまで青年は考えたが後者の考えは即座に切り捨てた。
悪意を持って青年を身の内に置くならせめて身柄は拘束しておくべきだからだ。今はこうして寝かせてもらっているだけ、その気になれば抜け出すことなど容易い。
――でも、どうして俺を助けるんだ。
青年の脳裏にはその考えが延々に回っている。
「あ、やっと起きたね」
思考を巡らせて考えていると、突然頭の真横から声がした。その方に目を向けてみると、子供の雰囲気を脱し切れていない少女がいた。
肩まで届くクリーム色の髪を左右に揺らしながら丸く大きな瞳は青年を捉えている。ワンピース型の服に身を包み服から伸びる肢体は白く、そして、溢れ出すオーラは純真そのものだった。さっき、騎士の悪意に触れていたこともあって余計に考えられるのだろう。
小さな体に似合わないほどの沢山の料理が乗った皿を抱えながら青年の方に寄り添ってくる。
「お兄ちゃん、気分はどう? 料理はもう少し待ってね」
青年の近くに配置されているテーブルに料理を置くと少女はニコッと微笑んだ。
「お母さん、お兄さんが目を覚ましたよ!」
顔だけを振り向かせておそらく母であろう、クリーム色よりも金髪に近い長髪を後ろで一つにまとめていて、その目つきはとても鋭く、でも、時折優しくなる。まさに妙齢の女性を絵にかいたような魅力的な人だった。
「あら、それはよかった、体調はどうかしら? 気分はいい? お腹減っているんでしょ? もう少し待っていて、もうすぐ完成するから」
現在、豪快に鍋を振り回している人とは思えないほどに優しい言葉を投げかけられた青年はあまりのギャップに驚く。それと同時に青年は幼き日の光景を今目の前に繰り広げられている光景を重ねて思わず笑みがこぼれてしまう。
「まだまだ人も捨てたものじゃねえな」
助けられた身であることは重々承知していても、そう思わずにはいられない。青年は目にかかっている前髪を横に分けて瞑目して呟いた。
慌ただしく動き回る妙齢の女性。
その手伝いをする、多分、娘に該当する少女。
少し色の違う髪の毛だが、母娘だということは一目でわかるし、テキパキと動き回る様子を見れば感嘆の息が漏れる。
「まだまだ若そうね。このくらい食べられるでしょ?」
そういって彼女の母親が作った料理はどう考えても青年の胃袋の体積を上回るもののように見えた。
「助かる。ありがとう」
その言葉しか出てこなかった。
青年は現在、寝かされていた複数連なる椅子から起き上がって料理が並べられているテーブルの椅子に腰かけている。
少しふらつきながらも一回席を立つと、地面に転がった際に汚れてしまった一張羅でもあるロングコートを叩いてきた。
何か手伝おうか、と聞いたら「座っていればいいよ」とのあっけない回答が母親から帰ってきて、申し訳ないと思いつつも再び席に着く。
実際、青年の手助けはいらないのだろう。なぜなら、そこには一人で作っているとは思えない速度で次から次へと料理が運ばれてくる。
「でも、よかった、お兄ちゃんが無事に目を覚ましてくれて」
そんなことを言ってくれるのは母親が作った料理をどんどん運んでくる少女だった。
髪の色や声音はそっくりな気がするが中身は全く違うというか、母親の見た目に沿わない仕事ぶりからは予想も出来なくて、目の前できりきりと働いているのは華奢でおしとやかな雰囲気が感じられる。でも、無邪気な子供であることに変わりはない、十二~十三歳くらいの元気な娘だった。
「お待たせ、さあ召し上がれ。青年!」
厨房で作っていた最後の料理を娘と二人に分けて運んできた母親が料理をテーブルに置いた後に両手を腰に当てて言った。
「い、いただきます」
気圧される勢いで言う母親に青年は黙って従うほかなかった。