12話 アルグラード
「―――――――――――黙れ」
その声は普段と何も変わらない大きさだった。しかし、隠すことが全く感じられない憎しみ、敵対心が感じられる。どこか遊ぶ半分で相手をしていたことを本気で後悔する様な大きく見開いた目。
「む……ご………」
これまでの比ではない規模で放たれるギルの魔力。
あまりのプレッシャーに漏れ出す雷光に遠く離れた場所で見守っているはずのラーニャとステラさえも畏怖してしまった。
一番近く、ただそこに立っているだけのはずなのにダルグの皮膚は縦横無尽に暴れまわる鞭の様な雷系魔力によって浅く小さな傷ではあるが無数に付けられている。
「これはよくないものを目覚めさせてしまったかの」
足を強く踏ん張り嵐のように荒れ狂う魔力の豪風に体を持っていかれないようにする。
「三つ目だ。そこに寝ている奴は無駄な権力と家族を引き離そうとした。そして、お前は俺が最も重要としている参つ目の項目に引っ掛かった」
俯き、低く、暗く話すギルの目は鋭くダルグの心を突き刺す。そして、声にならない怒りを感じる。
「三つ目、それは、『兄妹』を侮辱する奴を許さない、だ」
「―――――」
顔を上げると、その目からは圧倒的なプレッシャーが放たれていてダルグは言葉を紡ぐことが出来ない。
「お前に見せたのが全力だと思ったのか? いいよ。見せてやるよ。ゾディアックの本当の実力を……」
そう言うとギルの右手中指に嵌めている指輪が光りだす。
「――――――――――――――――――――アルグラード」
「お母さんはギルとずっと昔から知っていたの?」
「ええ、そうよ。でも、忘れていたわ。手配書で顔を見たけど五年も行方をくらませていて、記憶に残らなかったのかしら」
母の手を握る娘は時折唇をかみしめながら言う。息を呑んで、湧き上がる鼓動の音が耳を鳴らし続けているが気にならない。
目の前で繰り広げられる魔力を用いた超人的闘いにステラはすっかり委縮しているようだ。彼女にとって初めて『戦闘』というものを目撃し、その対象が畏れられている罪人となれば当然と言える。
そんなステラは握る手に力を込めて震えをごまかしながら母に聞く。
「どうして、私たちを助けてくれるのかな?」
「大罪人……いえ、英雄の考えることは分からないわ、でも、後で感謝は伝えないといけないわね」
「うん」
それだけは理解できた。
ギルがどんな人であろうとも、ステラからしてみれば情けなく飢えて倒れていた一人の青年にすぎない。
今はただ怪我なく無事に帰ってきてくれることを願うのみ……。
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その会話が行われている裏側では殺伐とした空気が流れている。ピリピリと張りつめる空気は今にも肌を切り裂いてきそうだ。
その中心、殺意の目が、このうねりを増幅させている。
『神々さえも慄くその姿を顕現せよ、
轟け、
アルグラード』
怒りを秘めた声でギルが言うと、右手中指に嵌めている指輪が強く輝きだす。目を潰すほどの閃光ほど
眩くはない。
「むっ!」
いままでとは明らかに違うことが起きようとしている状況にダルグも敏感に反応した。
自身の胸の前に構えられた指輪はその輝きを増すと同じにして指から離れて宙に浮かびだす。そして、まばゆい光が指輪の原型を光で隠してしまうと、徐々に形を変えていく。
光の塊はやがて白く輝く大剣に成る。ギルはそこに向かって手を伸ばして、柄を掴みと同時にその光から抜きさった。
大剣を覆っていた光はパリーンと、まるで硝子を砕いたかのように綺麗に小さな欠片となって舞い落ちる。
「許さねえ」
さっきとは違う。
殺意のこもった目で睨みつけるギル。違うのはその表情だけじゃなくて、手に持つモノにもある。
「大剣か……」
ダルグが呟いたようにギルに右手には一点の曇りも見当たらない太陽に光を全て反射させるほどに輝き、白銀色の光を放つ大剣が握られていた。
どれほどの重量があるのか、コートを脱ぎ捨てているギルから覗かせていて、鍛え上げられている腕だが、大剣を持った瞬間にさらに大きく筋肉が呼応する。
隆起した筋肉は大剣の持つ破壊力を如実に表現していた。
「それが切り札と言うわけだな」
「十二神器・アルグラード。これがあんたを斬る剣の名前だ。覚えといて損はないぜ」
アルグラードと言われた大剣は刃渡りだけでも一メートルを余裕で超える長さを誇り、全体を銀色が包みこんでいる。分厚い刀身はすべてを貫き、彩られている白銀は一点の汚れも許していない。言い換えれば、その姿はまるで巨獣の牙のようだ。
「行くぞ、アルグラード」
アルグラードを両手で構えたギルが言った刹那、その姿はダルグの眼前にあった。電気負荷を用いた高速移動だったが明らかにさっきよりも動作に無駄がなく洗練されていた。
まるで、一陣の風が吹いた時のように、気付けばそこにいた。
「――むっ!」
これまでで速さに慣れていたはずのダルグも思わず声が漏れてしまう。
ギルはダルグの前で立ち止まることはせずに高速移動した惰力を利用して体を一回転させる。そこで身に着けた遠心力を加算してダルグの胴体向けて斬りつける。
「ハァアアア!」
「ぐっ……!」
間一髪のところでダルグは魔具を盾の様にして胴体が二つになることを防ぐ。しかし、その衝撃は魔具一個で受け止められるものでは到底なくダルグの体は地面を抉るようにして大きくふっ飛ばされる。
「ぐっ………はぁ、はぁ………ごぷっ!」
十数メートル飛ばされた地点でようやくダルグは止まることが出来た。
そこには綺麗にギルからダルグまでを結ぶ直線の轍が描かれている。
そんな軌跡の先には地面を抉り続けたことによって騎士装束が崩れ背中が丸出しになり、真っ赤になっているダルグが与えられた衝撃に悶絶していた。
「なかなかの反射能力だ。今のは結構本気で体を斬りに行っていたのに、力型魔力で魔具の防御力も大幅に強化したのか」
アルグラードを地面に突き刺して腕を組み余裕ありげな表情をしながらギルが言う。
「そうだ、単純に攻撃力が強化されるなら、単純に防御力が高いことだってありえない話ではないだろう、それに、たったあれだけで判断することは軽率だ、それでも、お前さんが剣の腕がかなり立つことがわかったぞ。なるほど、ヘイドの剣筋を簡単に見抜けたのも頷ける」
魔具を杖の代わりにしてダルグが起き上がる。
「俺の師匠は手抜きだけはしなかったからな。あれの剣を避けるには目を鍛えるのが一番早かった。でも、目だけじゃないぜ」
それだけ言うと再びギルの姿が残像を残して消えた。
「――はっ!」
背後に回っていたギルの一撃をダルグは寸分の違いもなく合わせてくる。
「その反応なかなかだ。でも、いつまで続くかな」
「なんだ、それはお互いさまのはずだ、その高速移動かなりの魔力を消耗してしまうのだろう、そろそろ平常運転に戻した方がいいじゃないのか」
「ご忠告どうも、でも、その心配には及ばないぜ」
刃と刃がせめぎ合う状態で均衡が保っていたがギルは一旦背後へと飛んだ。
――さてと、これからどうしようか……。確かに、あいつの言う通りあんまり高速移動は出来ないんだよな、長くやっていると鼻の良い騎士が群がってくる可能性があるな、でも、俺も久しぶりで制御がうまくできていないし、仕方がない。
「少しペースダウンで行きますか」
アルグラードを右手で持つとダルグに向けて攻寄る。それに気づいたダルグも魔具の柄の部分を短く持って細かく振り回せるようにして近づいて行く。
キンッ!
ガンッ!
キンッ!
「ラァァア!」
「ふん!」
と、互いの間合いに入った瞬間からギルは目にも止まらないような剣戟を披露した。それを見て最初の内はギルの連撃について行くのがやっとだったダルグも柄を短く持っていたおかげか対等までについて行けるようになる。
「これは!」
短く紡いだその言葉でダルグは体に渾身の力を込める。
ギルの剣戟は素晴らしいものだった。一介の騎士では即座に斬り捨てられてもおかしくない。しかし、ダルグはこれまでの経験と怠ることのなかった修行の成果によってギルの剣術に拙い部分があると分かった。
それは、振り切った後の切り返しだ。高速移動の時も同様だがギルは動き出したものを止めてまた動かす、という一連の動作を無意識化で苦手としている。
「まずはその腕を斬りおとしてやろうか」
ギルは一歩強く踏み込むとダルグに右肩目掛けてアルグラードを振り下ろす。
「――!」
ダルグは頭を冷静にして最低限の動作のみでギルの剣をかわすと、すぐさま柄を長く持って力と魔力、遠心力を大いに活用して横薙ぎに払う。
「これでどうだ!」
「――なっ!」
アルグラードを使ってから初めて困惑した表情を浮かべたギル。
案の定、ギルの動作は一瞬だけ遅れが生じる。
――とった!
ダルグは今日一番の達成感を既に味わおうとしている。しかし、簡単に撃ち取られていては大罪人の名が泣く。
いかに思考を張り巡らせても体が動いてくれなければ意味がない。まさに、今のギルを表す言葉だった。
「――く……」
迫りくる凶刃に気付いていながらも体が反応してくれない。
――くそ、今日はこんなのばっかだな、でも、このままでは……。
キィィィン!
ダルグの魔具の刃がギルを切り裂く前にアルグラードへと接触した。さすがに渾身の力を込めた魔具の強撃はギルをもってしても受け止めることはできすアルグラードは勢いよく弾かれてギルの手を離れ、宙を舞っている。
「何!?」
驚愕の顔をして眉間に皺を寄せるダルグ。アルグラードを弾き飛ばすことが出来たことなど眼中にない。
ただ、
「まさか、反応できたのか!」
アルグラードが僅かでも魔具の速度を落としたことでギルの体は動き出して後方へと飛んでいた。足に急激な電気負荷をかけて行う高速移動。
今回はさすがに余裕がなかったのか、ギルの体の前には数メートルにわたって地面が抉れている。
「ちょっとびっくりしたけど、まだまだ余裕だね」
かわすことが出来た要因。それは猛獣の本能と言っていい。ギルが司るボアの本能的危機探知能力をもって行うことが出来た。故にギルの感覚としては体が勝手に動いたという印象が残る。
しかし、
「これでお前は得物を手放したことじゃ、詰んだの」
未だにアルグラードは空中をクルクルと回っている。ギルの手に収まるのはまだまだ先になりそうだ。さすがに魔具を持っている相手に対して丸腰は少し辛いかもしれない。
「次はない。さっきの状況的に高速移動は厳しく素手では私の攻撃は完璧には防げないのだろう」
「別に問題ないよ」
襲い来るダルグの言葉をギルは軽く受け流す。それを聞いてダルグは苦い顔をするが虚勢だと見抜いて無視する。
ドゴォォォン! 激しい音が鳴り響きながら魔具の一撃が地面を抉る。素手では受け止めきることが難しいと学習しているギルは回避している。
「ちょこちょこ動かず男らしくドンと構えて斬られろ」
「男らしく、っていう言葉は男女差別だぜ。俺は真の男女平等主義者でね。男らしい行動もすれば、女らしい行動もするのさ。だから、なんといわれても気にしないし」
言う通りギルはかなりの質量を誇り並に人間ならば数回振っただけで腕が疲労で持ち上がらなくなる程の魔具を振るうダルグの連撃をかわし続ける。
「えぇーい!」
我慢が聞かなくなったダルグはギルの行動を先読みして、来るだろう場所に目星をつけて大きく振りかぶった一撃をお見舞いする。
「―――――」
しかし、その時ダルグに目に入ったのは口元を緩めてほのかに微笑みを浮かべるギルの姿だった。
――嵌められた。
そう脳裏に浮かんだが、アルグラードは手元になく防戦一方の相手に何ができるのかと、吐き捨てて遠慮なく魔具を振り下ろす。
激しい衝撃音と共に土煙がこれまでよりも多く舞う。最初の様に視界を完璧に奪う程ではない。ギルの姿も右手付近だけ砂によって影に覆われてしまうが大半はそのまま視認することが出来る。
さっきのギルの表情からこの一撃が避けられると踏んでいたダルグは間髪入れずに攻撃を仕掛けようとする。しかし、気が付けばギルの姿が遠くなっている。
ダルグに一撃を避けた時に後ろへと距離をとっていたのだろう。
「それがなんだというのじゃ」
ダルグは魔具を短く持ち直してギルの後を追う。だが、足が動こうとした時にとんでもないものが目に入った。
舞い上がった土煙が少量だったことでダルグが追う時には視界が完全に晴れようとしている。 視界の晴れたギルの右腕に握られていたのは白銀の雷で構成された激しい光を放つ長槍だった。
「今度は状況が逆だな!」
「むっ!」
ダルグはその雷槍の脅威を肌で感じたのだろう。慌てて回避行動をとろうとするが、ギルが言ったようにさっきと状況的に逆転していた。前に進むために前方に体重が乗っているため足を使った回避は不可能だ。
それを見越して、不敵に笑むとギルは足を強く踏ん張って大きく振りかぶり投げる。
「ボルグ・ギニス!」
バリィィと空間を切り裂く勢いで雷槍が猛進していく。
「ぁぁぁあああああああああ!」
喉から絞り出すように声を張り上げて、その声を糧に自らを鼓舞する。
―――足は動かすことが難しいの、ならば。
ダルグは咄嗟に握っていた魔具の柄から手を離す。そして、すぐに両手で刃を抑える。
これまでにもあった様に刀身を盾に使うのだ。でも、少し違うのは完璧に防御に特化していることである。
仮に防げてもすぐに反撃することは難しい。しかし、それでも、この一撃は防がなければならない。
ダルグが魔具を構え直す時間は数瞬しかなかったはずだ、すべての準備が整った時、目の前にはギルに放った槍があった。
一閃。
ギルの槍とダルグの魔具が衝突したとき空気が脈打つかのように揺れた。空気が張り裂けるような音も鳴り響き周りにいたステラやラーニャは耳を塞いでいる。それでも、侵入する騒音によって顔を顰めていた。
ぶつかり合った槍と盾は両者一歩も譲らなかった。しかし、槍の方がやや攻撃力が上回っていたらしくてダルグは魔具を構えたまま足を引きずるように後退していく。
「く……ぐ……」
どれだけ足に力を込めて踏ん張っても雷槍の威力が衰えることはない。
ズズズと両足が引きずられていき地面にはその跡が刻まれていく。
魔具を掴む手に込める握力も限界近くなって来る。そこで、ダルグは気づいた。
――少し威力が弱くなったか……。
よくよく考えればわかることだ。あれだけの高濃度の雷系魔力の長時間効果を維持するのであればもっと長い時間をかけて魔力を練り込んでいかなければいけないが、あの短時間だけで撃ち込まれた雷槍は圧倒的にスタミナがない。
「はぁあああ!」
それに気づいてからのダルグの行動は早い。自身の魔力を魔具の防御につぎ込んで雄叫びを上げながら必死に耐えた。
――雷槍の最期は小さなペンの形をしていた。
威力の低下を感じてからは徐々に形を小さくして行き、ペンよりは小さくなることなく静電気の様に周りに吸収されていった。
「――ふう」
魔具を構えながら方で呼吸をしていたダルグは思わず安堵の息を吐いてしまう。まだ、戦闘は終わっていないため短絡的な行為ではあるが、それだけの達成感があった。
深呼吸をした後、何度かゆっくりと瞬きをすると目を前方に向けた。自分の放った雷槍を防がれたギルの顔を拝もうというのだ。
――落胆の顔が見られるかもしれん。
しかし、ダルグに眼前に広がる光景は優越感に浸れるものではなかった。なぜなら、そこには風に靡かれて銀色の髪が逆立ち、額が露わになったギルがいたからだ。