10話 強者と弱者
表通りから外れた路地裏。そこにはある程度の大きさがあり人通りもなく、まさに悪いことをするならうってつけの場所だった。
最初は二人で行こうとしていたが、ギルとヘイドにダルグ、ラーニャ、ステラも付いてきた。
特にラーニャと、ステラに関しては危険だから、とギルは同行することを拒否していたが頑なに譲らず、自分たちの蒔いた種だから、の一点張りで付いてきた。ここまで言われてしまえばギルに彼女らの行動を制限する権利はない。
「――」
既にヘイドを止められないと判断したダルグは傍観者になっている。そして、興味関心においては、もう、この勝負の行方にあるようには見えず、片時もギルから目を離さないようにしているように見える。
路地裏にて対峙する二人。
ギルが酒場で起きたのは夕方に近くなっていて、少し薄暗い中でも互いの姿を失うことはしない。
「おい、へーみん。剣がないなら僕も素手にした方がいいすっか?」
ここまでの移動ですっかり頭の血が下がり、冷静さを取り戻した様子のヘイドはまた軽い口調に戻っている。いや違う。これは、あえてこの口調にすることで、冷静だということを装ってギルに揺さぶりをかけられるということなのだが、そんな、小賢しい真似がギルに通じるわけがない。
「そうだな……ん~と」
抜刀して剣を構えているヘイドに対して丸腰のギルは手で頭をかきながら周りをも渡す。
「よっと」
ヘイドに背中を見せてレンガ造りの街並みにひっそりと生えている木の下に行くと掛け声とともにジャンプした。
ポキンと軽い音がして着地したギルが持っていたのは、
「俺はこれでいいや」
長さ約四十センチ、太さ約二センチのごくごく普通な木の枝だった。
木自体はそこそこ大きく太い枝もある中、ギルが選択したのは、その中では比較的に小さいものだった。
「あっれ~、ちょっと君ふざけているのかな」
「ふざけていなよ。お互いの実力を考えた上での正当なハンデってやつかな。あまり俺が圧勝してもつまらないだろ。それとももっとハンデがほしいの、でも、これ以下になると紙になるかな」
「――ッ!」
ギルが言い放った瞬間ピキンと空気が割れるような音がした気がする。
さっきまでは目を糸目のように細くしていたヘイドだったが、その瞳からはするどい眼光が覗いている。
「一体どこまで僕をおちょくれば気が済むんだろうね。もしくは、あれか。負けた時の言い訳づくりってことなのかな、でも、もしも違うってなら泣いて喚いても許さないからね。これが終わったら地獄の拷問を味合わせてあげるよ」
「ご自由に」
憎しみをもっていうヘイドに対してギルは聞く耳半分で木の枝を振り回して感触を確かめている。
ブンブンと空気を斬る木の枝はお世辞にも剣と言い張るのには限界があり、それに関し言えば、枝である。
そこへ一人の少女が近づいてきた。
「ギル! やっぱりやめていこうよ。今なら謝れば許してくれるから。色々と言っていたけどギルがここまでする義理なんてないでしょ」
ステラは涙目になりながらギルの着ているルングコートの裾を掴み言う。幼げな少女にここまで言わせる時点で少年時代を経て青年時代に突入しているギルからすれば失格だろうが、引き下がるわけにもいかない。
「別にステラがそんなこと気にしなくてもいいのに、でも、どうしても理由が必要なら……そうだ。この指輪見つけてくれたお礼ってことでいいや」
そう言うと右手中指に嵌められている指輪に優しく触れる。
「そんな無理やり……」
「まあ、下がって見てなよ。俺……負けないから」
それでもなお食い下がってくるステラの頭を撫ぜてから、反転させてラーニャの方に向けて背中を押した。
「ちょ、ちょっとギル!」
最後まで文句を言いたかった様子のステラだったがラーニャの抱擁によって行動が制限されてしまいおとなしくなる。
「さてと……」
ギルは再び臨戦態勢に入っているヘイドと向き合う。
「別れの言葉はもういいのか?」
「そんな必要ないよ。まだ一飯の恩を返していないし、これからも接触する機会があるのに別れの言葉を
交わすなんておかしいだろ」
「ほう、つまりはこの僕に勝つつもりかい?」
「当然」
自信満々に言うギルを「ふっ」と鼻で笑うとヘイドは怪しく口元を吊り上げるとギルに言ってきた。
「なあ、平民。僕と賭けをしよう。もしも、君が勝てばその母娘には金輪際強引手手段を用いないと誓うよ。逆に僕が勝てばあの母娘のことは自由にさせてもらうし、君も僕の奴隷になってもらうよ。それでいいかな」
「ああ、いいよ」
即答で返事を返すギルにヘイドは口元を抑えて必死に笑いをこらえる。本人はばれていないと思っているのかは知らないが、ギルから――客観的に見れば体が震えていることは一目瞭然だ。
「本気で馬鹿だね。本気になったこの僕に勝てるはずもないのに……」
「―――――」
都合のいいヘイドの頭はさっきの酒場での攻防は記憶から消えたのか全く気にする素振りがない。
そして、その会話の終了と共に始まる無言の時間。
――こいつはどうしてやろうか。近衛騎士の僕をここまでおちょくったんだ。強制労働ではなまぬるいな、そうだ、両手両足を縛ってゆっくりと切り刻んでいこう。人間が痛む姿を観察すればいい実験になるだろうし……。
そんなことを考えているヘイドだったが、実際にはギルに聞こえる程度の声で漏れていた。
ギルも考えに浸っているヘイドもその場を動くことは一切なかった。
お互いがお互いの出方を窺っていると思っていいだろう。未知数の相手だからこそ下手に動くことは出来ない。その考えだけは両者一致していた。
どれだけ力の差があっても最初だけはなめてかからないのが、ギルの主義だ。
痺れを切らしたかのように最初に動き出したのはヘイドだ。
まるで風に乗っているかのように滑らかかつ高速にギルに近づくと酒場内とは比べ物にならないほどの強力なひと振りを披露する。
「最初は足!」
ギルの膝付近を狙って振りぬかれた剣は何にも当たることなく空を斬る。それも当然のことだ。ギルは飛び跳ねるようにジャンプしてそれをかわす。
「馬鹿め!」
まるでそうすることが分かっていたかのようにヘイドが吠える。
「足が地面から離れた以上これはかわせない!」
騎士剣を両手でしっかりと構えるとギルの頭上から真っすぐに振り下ろす。
ギルはまったく慌てるそぶりを見せることなく目線だけ剣に向ける。そして、振り下ろされるタイミングに合わせて剣の腹と木の枝が垂直の軌道を描くように振るった。つまりは剣の腹を木の枝で押したのだ。
「よっと――」
「なに!」
そうヘイドが驚くのも無理はない。確実に一撃を決められる状況で攻撃を外したのだから。
ヘイドの一撃は剣の腹を押されたことによって軌道がずれてギルの体のすぐ横を過る。
「ほらやっぱりあんたは弱い。作られた強さに騙されているだけ、本当の強さを受け入れろ、そうすれば
痛い思いをしなくて済むぞ」
「黙れ!!」
地面に着地したギルは覆いっきり斬り込んだ反動で態勢が前に出ていたヘイドに近づいて耳元で言う。
「くそッ!」
予想をはるかに上回る劣勢を強いられている状況にヘイドは額に青筋を浮かべてやけくそに近い形での連撃を仕掛けてくる。
「はぁあああ!」
二撃、三撃、四撃、五撃と間髪入れずに斬り込まれてくる剣戟はギルの常人をはるかに凌ぐ反射神経によってことごとく回避されていき、運良く体を貫こうとする一撃に対してはさっき同様に剣の腹を押し軌道を変える形で防ぎ切っている。
「なぜ! なぜ! なぜ! 僕は上級剣術を習得したんだ。なのに、どうしてこんな愚民に剣が当たらないんだ! 早く僕に殺されろよぉぉぉぉぉお!」
焦りと油断で半狂乱になりつつある心をなんとか制御してヘイドは力強く一歩を踏みしめるとギルの胸を目掛けて渾身の突きを繰り出す。
「剣が当たらない理由、まともな剣術を習ってない俺でもわかるよ……それは脇が開いているからだ」
ヘイドの一撃は体を捻らせるだけの最小限の動きで回避したギル。そのままカウンターの要領でヘイドの懐に潜り込むと木の枝をヘイドの脇の下に当てる。そして、そのまま斬りあげた。
「――ひッ!」
もちろん、木の枝に刃なんかついてないから切れることなんかあり得ないが、もしも、刃がついていたら今ごろヘイドの片腕は斬りおとされていた。
それは騎士としての本能が教えていてくれていた。
それに腕を斬りおとすことは出来ていなくてもヘイドに恐怖を植え付けることは出来る。
「素人目でもまだまだ指摘するところはたくさんあるよ。足、肩、肘……」
そう言いながらギルは該当箇所を木の枝で突いていく。そして、最後に頭を突いて、
「上級剣術が何だか知らないけど、俺が師範なら落第点だね。自称エリートくん。もう一度やり直せ」
「ぐ……ぐう……」
ヘイドの持つ剣の動きが鈍る。
こいつには勝てない、そんな思いがどこかで生まれている。しかし、上流階級生まれ育ってきたヘイドは失敗なんてしてこなかった為、彼の人生がその事実を認めようとしない。
――故に、
「この僕が負けるなんてありえない!」
自分の鼓舞するための虚勢にしか聞こえなかったがヘイドの目はまだ色を失っておらず剣を横薙ぎに振るった。
「――っと!」
しかし、ギルは体を僅かに後退させて攻撃を回避すると今度は急接近してヘイドの足に器用に自分の足を滑り込ませ引っ掛けて転ばせた。
そして、尻餅をついたヘイドの首元に木の枝を突き付ける。
「認めろ。お前の負けだ」
「あ……うぐ…………」
唇を強く噛みしめすぎて血が滲んできている。
――親だ、嫌だ、嫌だ。この僕が負けるなんてあってはいけない。本当ならただの剣術だけで完膚なきまでに倒しきっていたはずなのに仕方がない。僕が負けることなんかあり得ないんだ!! 目に物を見せてやる。
ヘイドは一瞬速度を上げて左手で首元に突き付けられている木の枝を掃うと同時に剣を振り回した。
「おっと」
まだ戦闘意欲があったことに驚きつつもギルは容易く回避する。
「愚民相手に使うなんてプライドが許さなかったが見せてあげるよ。僕の本当の実力をさ」
起き上がったヘイドは剣をしっかりと両手で握る。
「はぁああ!」
その声と共に剣の周りの空気流れが不規則になっていき、そのまま、まだまだギルとの距離が離れているのにもかかわらず剣を振った。
キィィン!
と、甲高い音が聞こえたと同時にギルは「おぉと」ここにきて初めて不意を突かれたような声を出した。その声と同時に今いた場所を飛んで、斜め後ろに下がる。
それもそのはずヘイドとギルの直線状にある建物には大きな屑跡が残っていた。もしも、ギルが緊急回避をしなかったら体が二つになっていただろう。実際に不意を突かれと事もあって反応が少し遅れて手に持っていた木の枝は綺麗な切り口を残して二つに斬られている。
その正体は、高密度に圧縮しすぎて半透明にまでなった空気の塊を斬撃として飛ばして、ギルの体を切断しようとしたが失敗した。
「風系魔力か。しっかりと魔力が使えたんだな。最初っから使えばいいのに」
「君みたいな愚民に最初から使うなんて普通ならありえないよ。それよりも君魔力を知っているんだね。へえ、驚いた。魔力についてしていることもだけど、この攻撃を避けたこと、結構すごいんだよ。まあ、完璧じゃなかったみたいだけど」
「―――」
そう言って不敵に笑むヘイドを横目にギルは頬から流れる血に手をやった。よく見ると顔に数か所の切り傷がついている。
「不意打ちだったからね。でも、これ以上俺に傷をつけるのは無理だよ」
「いつまでも強がっているといい!」
決して距離を縮めることなくヘイドはその場で数えきれないほどの連撃を繰り出した。
それらはすべて空気の刃となってギルに襲い掛かる。
無制限に打ち出される空気の刃に視界全てが覆い塞がってしまうそうだ。
どこにも逃げ場はないと時間させるには十分な量だった。ギルが次にどの場所に行っても確実に飛ぶ斬撃の強襲にあってしまう。
「面白い」
しかし、それは普通の人間ならばの話。
ギルは目を大きく見開いて無駄な動きをすべて排除し空気の刃を回避し続ける。
「馬鹿な……」
驚愕の声が響く。
逃げ場がないように思われていた空気に刃をギルは手傷を一切負わずにかわしきったのだ。
「もうおしまいか」
「くそ、くそ、くそ」
今度こそギルの切り刻まれる瞬間を見られると思って期待していのにまたしても裏切られたことにヘイドの焦燥の色がまた見えてくる。
「なら、これでどうだ!」
剣を胸の前で構えると再び空気の流れに変化が訪れる。
「これはやばいんじゃないのかな」
ギルが引きつった顔をするのも無理ない。
ギルとヘイドの中間地点に大きな竜巻が発生している。
「どれだけ君が早くても逃げ場がなかったら避けることは出来ない、つまり、僕に勝ちなんだよ!」
ヘイドは自身の魔力をどんどん使っていき竜巻に規模をさらに大きくしていく。
「お前、こんな事をすれば周りの被害が相当なものになるぞ。仮にも王国騎士だろ、そんなことしていいのかよ」
ある程度距離を離しているギルにも鋭い竜巻の風が肌に当たってくる。
「知らないね、そんなことより僕は今君に勝つ、それしか考えられないんだ!」
狂ったように笑いながら言うヘイドは竜巻を納める気がない様だ。
「ちい、仕方がない。これで説教は確定だな」
ギルは姿勢を低くして息を整える。
そして、一閃の光が走った。
「なに!」
一瞬の眩い光で目を閉じたヘイドだったが、目を開けた時にギルはその場にいなかった。
「一体どこへ? それにあれは魔力……っ!」
「雷系魔力っていうんだ。知っているだろ」
その声はヘイドの後ろから聞こえる。慌てて振り返ると、そこにギルがいた。
「まさか雷系魔力を使えるとは思っていなかったよ。道理で反射能力が高いと思った。電気負荷をかければ反射能力は飛躍的に伸びる。それにしても平民のくせに魔力をそこまで使えるとは驚いたぞ、生まれ持った血も違えば教育環境も違う。少し魔力を使えるくらいで調子に乗るなよ。僕と君じゃ魔力の質が違うんだ!」
「まあ、その通りなのが悔しいな」
よくよく周りを見ると地面や壁に踏み込んだ超高速移動の跡が残っている。
「いまさら魔力が使えたところで何ができる? これだけ距離が近ければ巨大な魔力は使えない。それまでに竜巻が周囲を吹き飛ばす方が早い。それに僕は体を鍛えているからね、関節技を仕掛けても簡単には気絶もしない」
「普通の人間ならな……警告、少しビリッとするよ」
ギルはヘイドに向けて人差し指を突き出す。そして、その指を喉につけると、
「ボルグ!」
唱えた瞬間にヘイドの体の周りを白銀の雷光が包む。
「ぐあぁぁぁぁぁあ!」
「別にお前を倒すのに強力な魔力は必要ない、一番小さいので十分だ」
喉がはち切れんばかりに悲鳴を上げるヘイド。この辺り一面に聞こえる程の声量で叫ぶが、この区域自体が犯罪の温床となっていて、その中には騎士や貴族の端くれ物が町の女を連れ込んで己の欲求を発散させているため、ここでどんなに悲鳴が聞こえても誰も手をさしだすことはしない。
この状況でも言うことが出来、レイドの悲鳴は誰かに聞こえているはずだが、皮肉にも騎士団に通報する人はいない。
町が作りだした闇に自ら足を踏み込んだことになったレイド。
永遠とも一瞬ともいえる時間が過ぎて雷光がはじけ飛びヘイドは意識を失ったようで何の抵抗もなく地面に倒れる。口からは内臓でも焦げてしまったのか黒い息を吐いている。
ヘイドの着ている騎士装束は電流によって所々に焦げ跡がついて黒くなっている。そして、彼が作っていた竜巻も魔力の維持が出来なくなり風に吹かれるように霧散していく。
「ふう~」
ようやく終わったことに安堵しているギルを他所に二人の人が体を大きく震わせていた。
その光景を見ていたダルグとラーニャだ。
「そうか、そうじゃったのか……やっと見つけたぞ! 生きていたのか大罪人――今日はなんと良き日か!」
ダルグが憎らしそうに、そして、嬉しそうに言う。
「――やっと思い出した。そうか、五年、五年も経てば気付かないものね」
「お母さんどうかしたの?」
歓喜に震えて涙を流すラーニャに不思議そうに尋ねるステラ。
「ええ、ギルの事、初めて見たような気がしなかったのよ、でも、どこで見たのか、ずっと思い出せなかったの……ようやく思い出せたわ」
「ギルの……こと?」
「えっとね、ステラ。私たちは魔力特性が無くて、魔法が使えないから理解が難しいかもしれないけど、雷系魔力は普通、黄金色を放つの、でも、世界でただ一人白銀色の雷系魔力を操る人がいる。そして、それを操るということは私たちの英雄であることの証」
「それってギルのことだよね。それがどうしたの?」
不思議そうに首をかしげるステラにラーニャは優しく言った。