Please show me a smile, sweety
「皐月!」
ノックも忘れて皐月の部屋に入ってしまったことに気付いて、ごめん!とまた小さく叫んで、一旦部屋の外に出る。いつもならここで殴り倒されてもおかしくないのだ。皐月は自分の部屋に無断に入られるのを嫌う。コンコン、と素早く二回ノックをしてから、もう一度部屋のドアを押し開けた。
「あれ?」
さっきは急いでいたので見えなかったらしい。皐月の部屋はその主を欠いていた。あちらこちらに散乱するぬいぐるみや筆記用具やら服やら本やらその他の小物やらが、皐月の苛立ちを如実に語っていて、一瞬塙太は絶句する。が、すぐに気を取り直して階下へと急ぐ。
とぐろを巻くような格好でソファの上でうつらうつらとしている瑛里に、
「皐月、いなかった!」
必要以上の大声で報告する。
「じゃあ探しなよ」
眠りの邪魔をされて、不快感を露わに返ってきた瑛里の言葉に、
「言われなくても探しに行くよ」
答えた。
好きなもの。嫌いなもの。怖いもの。嬉しくなるもの。たまに好きでたまに大嫌いなもの。興味はあるけどそこまでは好きじゃないもの。バラエティに富んだ好き嫌いを皐月は持っている。嫌いになることなんて殆どない塙太にとっては、それすらも新鮮だ。
イライラして、とりあえず部屋のものに当たり散らしてみたけど、まだ気分が収まらないから外に出た。そんなところだろうか。
庭用のサンダルをつっかけただけで外に飛び出した。走りにくいことに気付く。空気が肌寒い。もうそろそろ秋なのか。そんなことにもようやく気付く。
まずはコンビニ。家からたったの五分で着けるここに、皐月は来るはず。それとももう来たあとか。
いない。
いまだに両目とも一.五の自慢の視力で皐月が店内にいないことを確かめると、迷わずに引き返す。そして、ひとつめのコーナーを右に曲がる。あとはまっすぐ。
カンカンと木製のサンダルが音を立てる。何かに似てる。ああ、あれか。踏切だ。カンカンカンカン。踏切が閉まってしまえば、もう渡れない。遅れてしまえば、もうそれっきり。それっきり。悲愴感漂うような自分の思考に、塙太はふ、と笑みをもらした。
まったくもう。
出逢ったときからそうだったのだ。皐月だけが、塙太を焦らせ、追い詰め、焦らして急がせる。マイペースだと自覚している自分の性格では考えられないことだ。本当に。そこに疑問なんて挟むべきじゃなかった。何で好きなんだろうとか。いつまで好きなんだろうとか。そんなことをしている暇があるなら、もっと皐月に答えれば良かったのだ。間に合わないかもしれない。でも、待っててくれている気がする。それを確かめなければ。そして、皐月に伝えなければ。
息が切れてくる。こんなに全力疾走したのは、どれくらいぶりだろう?だけど、あと少し。あと、もう少し。
コンクリートで出来た階段を一段飛ばしに上がって、塙太は目的地に着いた。
何故かはわからない。だけど、皐月はいつもここに来る。何か嫌なことがあるたびに、もっと言えば塙太とけんかをするたびにここにくる。この、家からほどよく近い児童公園に。
「…は、はぁっ…、皐月……」
息も切れ切れに呟いて、塙太は額の汗を上着の袖で拭き取った。
「塙太…」
こころなしか驚いてみえる皐月の顔が、ぼんやりとしたオレンジ色の街灯に照らされる。ブランコに座ったまま、微動だにしない。その瞳だけが、じっと塙太を見つめていた。息を整えながら一歩ずつ近付いていく塙太を、じっと見つめる。
そういえば、ここに来るたびにいつも皐月はブランコに乗っている。それにも意味があったりして。
そんなおちゃらけたことを思いつく間に、塙太は皐月の目の前に立っていた。
「なに」
普段よりかはか細い声で、こちらを見上げる。大きな瞳はまっすぐにこちらを見つめ、口唇は少しだけへの字に結ばれている。それを見て、その愛くるしさを見て、思わず塙太の顔がほころんだ。
「なに!」
攻撃的にもう一度、皐月が口を開く。
「うん」
満面の笑みで塙太は頷く。
「なんなのよ!」
皐月は気が短い。
さらに笑みの広がった顔をどうにも出来ずに、そのまま、塙太はそれを口にした。
「うん。あのね、皐月。おれ、皐月が好きだ」
「……は?」
両眉をアーチのように上げて、口をきれいなOの形に開けて、皐月がそう言うのを塙太は見つめた。
「いま、なんて……?」
「好きだ」
「なに、急に」
「うーん。急じゃなくて、どっちかっていうと遅れてるんだろ?おれ。ごめん、気付かなくて」
「なに言ってんの。なに、気付かないって…」
「いやだから、好きって言ってなかったなあと思って」
「だから今言うの?」
「うー、うん。そうなるか。いや、おれはずっと好きだったよ」
「でも、言ってないっていうのは、今日まで気付かなかったんだ?」
「う、うん…。恥ずかしながら。…でも、皐月。おれ、皐月に出逢ったときから、皐月のこと、大好きだから」
どんどんと俯いていってしまう皐月を不安げに見つめる。遅かった、かな。やっぱり。ブランコの方に上半身を屈めて、そっと皐月の名を呼んでみる。
「塙太のばか!遅いのよ、とろいのよ、いちいち!」
言いながら皐月が抱きついてきた。突然のことに皐月を支えきれずに、塙太は足をすべらせてその場に仰向けに倒れ込む。皐月を首に巻き付けたまま。
「大好き!」
公園の砂でしたたかに打った後頭部がじーんじーんと嫌な周波数を頭の内部で奏でる。それでも、皐月のその言葉は塙太を幸せにする。へら、と笑いかけて、皐月の髪をなでてやる。
「うん」
「うんじゃないでしょ!」
がばりと胸に埋めていた顔を皐月が上げる。
「え?」
言葉に頼らずに、それよりも遙かに雄弁な眼光でもって答えてくれる皐月を見て、塙太はその言わんとすることを悟った。
「あ、おれも、好きだ、よ?」
「何でそんなに消極的なの!」
「いや、消極的とか、そういうわけではなくてさ。そう何回も聞かれると、ちょっと恥ずかしいっていうか。強制的に言わされてもっていうか」
「何で!強制的じゃないもん。自分の気持ちに恥ずかしいも何もないでしょ。それとも、塙太はあたしのことを恥ずかしいとでも思ってるの、あたしが魔女だから!」
「ああ、全然違う!違う方向に行こうとしてるよ、皐月!」
慌てて両肘を軸に上半身を起こして、皐月と向かい合う。こつん、と自分の額を彼女の額に
くっつけて、
「おれは、皐月が好きなんだ。関係ないよ、魔女だとか何だとかはさ」
「ほんとうに?」
口唇をとんがらせて、皐月が尚も問う。その仕草がまるで幼子のようで、塙太はぷっと吹き出した。そして、子供に言い聞かせる保育士の口調で、
「ほんとうに」
下唇を前歯で軽く噛んで笑む。それは皐月の、満足のいったときの顔だ。それに安堵して塙太は視線を動かそうとして、かたわらのブランコに目をやった。
「皐月さあ」
「なに?」
「ブランコ好きなの?」
「は?好きだけど、なんで?」
「いや、おれとけんかするとさ、よくこの公園でブランコ乗ってるじゃん。そんなに好きなのかなと思ってさ」
「塙太のばか!」
怒声とともに頭突きを見舞わされた。目の奥がちかちかする。
「え、ちょっと、皐月、さん…?」
「この公園は!あたしと塙太が初めて出逢った場所!このブランコは、あたしが塙太に出逢ったときに乗ってたの!」
「あ、そういえば……」
「そういえばあ?」
ドスのきいた声で言うと、皐月はぴょんと立ち上がってしまう。もういい!と口早に言うのが聞こえた。
足早に去ってしまうかと思えば、汚れてもいない自分のスカートをぱたぱたとはたいてちらちらと塙太の方を気にする。塙太が立ち上がると、ようやく皐月は公園の出口に向かって歩き始めた。その足取りは、足早に行っては不自然に止まり、また急に歩き始めるという、何ともわかりやすいもの。まったく。自分の鈍感さにも呆れるな。塙太が皐月の背中に声をかける。
「さーつき」
「なによ」
「おれ、ブランコ好きだよ」
「なにそれ」
「今、好きになった」
皐月は足を止めて、数秒じっとしていた。何度か足を前に出そうとしては踏み出さず、そのうち顔をうなだれたまま、塙太の方に歩みよってくる。
「あのね。言っておくけど!」
居丈高な口ぶりで人差し指を塙太の目の前につきつけると、皐月は、
「塙太は!これからもずっと、あたし以上にあたしのことを好きでいないと、だめなんだからね」
無茶苦茶なことを言い出す。
それに優しく微笑み返す。ゆっくり、つきつけられた人差し指を手の平にしまって、かわりに小指を出させる。それに自分の小指をからませると、
「うん。約束な」
ぼんっ!と音がしそうな勢いで皐月の顔が茹でタコのようになった。もともと色が白いので、余計に赤くみえる。
ごにょごにょと何か口の中で呟く皐月の肩を抱き寄せて、その髪に口づける。そして額に。きつく閉じられたまぶたに。鼻の頭に。頬に。それから、その口唇に。
「やれやれ」
公園の階段を上ったすぐのところに鎮座している瑛里の姿を見つけて、塙太は微笑んだ。
皐月は好き嫌いが激しい。皐月は感情表現が素直で大胆で、なのに時として妙にあまのじゃくになる。わがままになったり気弱になったり、泣いたり笑ったり、太陽のようで月のようで。たまに思ったりもする。自分に振り回されて、疲れないのかなって。急に自分を嫌ってみたり、世界を呪ってみたり。そんな自分に嫌悪感を抱いて泣き出したり。花の香りに一喜一憂。雲の動きに笑い出して、雨の気配に怯える。苺が大好きでピンクが大好きで、部屋の整理整頓が何より苦手。皐月の毎日は忙しそうだ。
そんな皐月の傍におれはいる。ずっといる。
そして、そんな皐月がおれは好きだ。大好きだ。
きっとずっと。
「ほらほら、行くよ、塙太」
「うん」
肩の上に瑛里をのせて、皐月が塙太に向かっておいでおいでをする。
塙太が皐月の手を握ろうとしたまさにそのとき、皐月はその可憐な首を傾げると、まったく何でもないといった風に、
「あ、そうだ。塙太さ、牛乳をボトルから飲んだりするのやめてよね」
怒ってたんじゃん。やっぱり。
苦笑しながら見上げた月はまんまる。
「ごめんごめん」
そっと皐月の手に自分のをからませた。




