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Please guide me, sweety

塙太の母親は塙太がまだ小学生になるかならないかの頃に亡くなった。だから、鮮明な記憶というのはあんまりない。だけどひとつだけはっきりと覚えていることがある。


 『女の子には優しくしないとだめよ』


 耳にたこが出来るくらいに、その言葉を聞いた覚えがある。それは、甘い呪いとなって塙太を包み込んだ。時として度を越したレディーファーストは誤解を産む。何気なく接したつもりの相手に、塙太が彼女を好きなのだと誤解される。それはいつしか噂という形になって皐月の耳に届く。いつも、そういった噂は塙太のまったく計り知れないところで、皐月の方へと先に届くのだ。そして、皐月が泣く。しかも、怒る。塙太はその都度反省する。皐月の泣く顔なんて、本当は見ていたくないのだ。反省する。だけれど、どうやってそういった誤解を減らせばいいかが、いまいちわからない。


 「最低だよ。もうね、最悪。塙太は元々頭の出来は良くないけど、そこまでだとは思わなかった。ある意味、完璧だよ」


 夜のリビングルーム。灯りに照らされて瞳孔が狭まった猫科の瞳で睨みつけながら、苦々しい口調で瑛里が言う。さらさらりと酷いことを平気で口にする猫に、塙太は曖昧な笑顔で、


 「え、そんなにだめ?」


 どうやら皐月は何かに対して相当鬱憤が溜まっているらしい。そしてそれは塙太が気付いていないことらしい。それは何か。


 ことなかれ主義の瑛里とて、主人があのようにへそを曲げていては寝床に戻りにくい。相談にのってあげても良い、と居丈高に言った猫相手に、塙太は懸命に今までの経緯を話し始めた。


 いつ皐月が怒ったのか。どうやって怒ったのか。どうやって機嫌を直したのか。


 エピソードは尽きることもなく、小一時間も塙太は延々と皐月が怒った話をし続けていた。未だ終わりの見えない塙太の語りにしびれを切らした瑛里がストップをかけたところ。


 「そんなに、だめ?」


 確認するように、聞く。その語尾はごにょごにょと口の中だけで呟かれるばかり。


 「だめだね。そりゃ皐月も怒るよ。むしろボクには、何で塙太が今までのその数々の経験の中で学んでこなかったのかが理解不能」

 「ええぇー……」


 がっくりと頭を垂れてうなだれる哀れな塙太をすまし顔で見やると、瑛里は、


 「ねえ。本当―にわからないの?」

 「何が?」

 「皐月が怒るのはまあしょっちゅうだし、あんな直情的な性格してるからすぐにかっかするけれど。でも、わからないかなあ?いつも皐月が塙太にああやって怒りをぶつける時は決まった理由があると思うんだけど」

 「本当に?」

 「いや、だから。それを塙太が気付かないと、いつまでたっても同じだよ」

 「そっか」


 気付かないとだめか。そういえば皐月もよくそのようなことを言う。鈍いとか気が利かないとか朴念仁とか。


 このままでは同じことの繰り返し。瑛里の言うことももっともだ。おれが変わらなくては!

 決意に燃えた瞳をきっとあげて、塙太が瑛里を見つめる。お、と瑛里は片方のひげをぴくりとさせた。これはもしかするともしかして問題解決か、と。


 「瑛里。おれ、変わるよ。もう同じことで皐月を怒らせたりしない」

 「うん。そうだね」


 瑛里が満足そうに尻尾をくゆらせる。やれやれ。これで今日は安眠出来そうだ。


 「何に気付けばいいのか、教えてくれないかな」


 真面目にそうほざく塙太を、瑛里はしばし見つめ返して、ややあってからゆるりと首を振る。


 「もうね。全然駄目」





 皐月の好きな食べ物ならいくらでも挙げられる。皐月の好きな色、好きな匂い、好きな作家にテレビに漫画に音楽、何だって挙げられる。

 何でもわかってるさ。と傲慢になるつもりは塙太にはまったくない。と、いうのもひとつわからないことがあるからだ。


 皐月は好き嫌いが非常にはっきりしている。感情表現も非常にわかりやすいものを好む。二人の間の距離をぐんと縮めたのも、最初に手をつないできたのも、皐月だ。キスを最初にしたのだって皐月からだった。大好き!とは皐月の口癖だが、塙太にはそれがどうにもよくわからない。


 「なんで、皐月はおれのことを好きなんだろう?って。思うときがあるんだよね。別に自分を卑下するつもりなんてないんだけど、何でおれなんだろうーって。たまにね」


 ため息をつくのすらも無駄に思えてきて、瑛里はふんと鼻息をもらした。ついでに口を開く。


 「まあ、今みたいなことを不思議に思ってる時点で、塙太はだめだめ人間確定だよね」

 「ええー、厳しいなあ瑛里は」

 苦笑して後ろ頭を掻く塙太に、

 「いや、真剣にそう思うよ、ボクは」

 とどめをくわえてやる。


 その声音があまりにも淡々としていたので、塙太は上目遣いをするようにテーブルの上にきちんと座ってこちらを見つめ返している黒猫を見やった。丸い大きな瞳に、不安そうな自分が映っている。


 「おれって……」

 「またそれ?おれは、おれって、おれも、おれが、おれおれおれ。塙太は何だかんだ言って、自分のことしか考えてない。見えてない。皐月はどうしたの?どこに行っちゃったの?」


 瑛里にしては珍しく苛立った声でそう問い詰められて、塙太はしどろもどろに、


 「皐月は…皐月は…」


 言いかけて、やめる。なに、と小さく瑛里が続きを促した。一度目を瞑ってから、息を大きく吸う。そして、


 「皐月は、いつでも中心にいるよ。何してたって、どこにいたって、おれの軸は皐月だから。皐月と出逢ったときから」

 思いがけず熱い塙太の心の内を目の当たりにして、今度は瑛里が黙る番だ。しかし一瞬のあとに、いつものペースを取り戻すと、にやりと笑った。

 「それ、皐月が聞いたら、どうするかな」

 「ええ!」


 顔を真っ赤にする。皐月が今のを聞いたら。それはありえない。というか、ありえないで欲しい。だって恥ずかしいではないか。愛の告白なんて。そんな。皐月じゃないんだから。みんながみんな、皐月のように素直に表現出来るわけではないのだ。少なくとも、塙太には難しい質問だ。


 「だだ、だめだよ!こんなの聞かせられないでしょ。絶対、だめ」

 「塙太さあ」

 言いながら、そろりと前足を出して歩き出す。長い尻尾は催眠術師のコインのようにくにゃくにゃりと塙太の眼前を揺れる。

 「皐月に、一度でも好きって言った?」

 「………」


 答えようとして踏みとどまる。言った。と思う。でも、本当に?四年間分の思い出をダイジェストで頭の中で再生する。高速再生。見当たらなかった。妙だけど、見当たらなかった。その事実に愕然とする。心の中では何万回と唱えているっていうのに。


 言ってないのか。おれは。それって、最悪じゃないか?失礼っていうか、わかりにくいっていうか…。不安になるのは皐月の方かもなあ…。皐月じゃなくても怒るかも!


 「言って、ないかも…」

 「言ってあげないの?」


 言葉と共に、瑛里がもう一度、尻尾を揺らす。それを合図にして、塙太がソファから立ち上がった。ばたばたと慌ただしい足音をたてて、二階へと急いで行く。


 「手間がかかるったら」



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