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「――――では、処理は必要ないと」
トウドウ特殊医務官はそう言って、私に最後の確認を行う。
私が頷いてそれに答えると、彼が情報端末に何かしらの操作を加える。
恐らくは、誓約書のようなものがそこに表示されているのだろう。
それはきっと私が「キド・カオンの死について一切の忘却を望まない」旨の――
……この特殊医務室に来るときはいつだってろくなことが起きない。
4年前のときも、そして、今回の一件でも。
私が今座る医務官との対話用の椅子は、いつも同じ感触だ。
「せめてここにいるだけは良い座り心地を」と言わんばかりに、柔らかい。
「……現時点を以て、クギョウ・アイハ級長には第二種秘匿条件が課せられる。今後この条件に違反した場合は厳罰に処されるので、十分に注意を」
そう淡々と口にするトウドウ医務官には、仕事をこなすという目的意識以外何も感じられない。
だからこそ私は、少しばかり問う気になった。
「私と同じように、キド・カオン級長の忘却を望まなかった者は、どれぐらいの数いましたか」
トウドウ医務官は、私のその問いに特に煩わしいと言った様子を見せない。
彼は、その曇りも活力もない機械的な両目で私を見ながら――
「藍以上の階位の者は、全員が君と同じ選択をした」
そう、教えてくれた。
私にはそれが「キド・カオンは皆に慕われていた」という風に聞こえた。
* * *
――キド・カオン紫月組級長は、旧西日本奪還計画の一環である『第三境界拡大作戦』に向けての前線偵察中、脅威A前後の【親】により構成された多数の敵集団と遭遇。
――同集団と紫月組は即時戦闘に突入。
――奇襲により苦戦を強いられた紫月組は多数の重傷者を発生させるも、キド・カオンの【第二解放】により大部分は撃退される。
――直後、キド・カオン級長はモリノ・ハヅミ副級長に指揮権を譲渡し当初任務である目標地点までの単独行動を開始。
――引き続き【第二解放】状態での残存戦力との戦闘を続行。以後の行動は不明。
――敵集団の撤退を確認後、別動隊により、残存する遺体の一部を回収。
――戦術院はキド・カオンの喪失により、『第三境界拡大作戦』の見直しに入る。
カオンさんの葬儀は、規定数以上の希望が集まりそれが受理されたので、希望者によって内々に行われた。
回収された遺体の一部は戦術院内の研究施設に預けられてしまったために、部屋の整理も兼ねて、遺体の代わりにカオンさんの遺品を火葬にかけることが戦術院側から強いられた。
遺品の殆どは私とハヅミが預かることにしたのだが、それでも、いくつかの物は預かりきれず、止むを得ず燃やされることになった。
戦術院の外に作られた焼却処理施設は、あまりにも無骨だ。
私達が最後まで兵器でしかないことを、揺らめく炎の内から伝えてくる。
私達には墓は作られない。必要がない。
死んだときは全て燃やされる。
燃やして、無かったことにされる。
……【ジュウナナ】においての『戦死』は、本来ならば皆が当然のものとして受け入れなければならないものであり、そうやって教育されている。
だがそれは、「表向きはそう教えている」というだけだ。
【ジュウナナ】になる以前の者には、戦死の報というのはほぼ全て届かない。
あれだけ、死について覚悟しろと説いておいて。
私に説かせておいて――
だが、それには理由がある。
【ジュウナナ】になる以前に具体的な戦死の事実を明るみにすることは、【霊器】の形成に思わぬ悪影響を与えることが、すでに判明しているのだ。
その理由も勿論、重々承知だ。
だから私も【ジュウナナ】になるまで知らなかった。
戦死者の忘却に選択権を得るまでは――まったく知らなかったのだ。
【黙霊】を迎える前に死ぬ【ジュウナナ】の方が、圧倒的に多いということを。
そして、私達はそれまで、死者のことを知らされなかった。
あるいは、忘れさせられていたのだということを。
……だが、それすらも、結局は言い訳でしかない。
【ジュウナナ】になって、己の無力を知って、死の息吹を感じて、力を付けようとして、今日まで生きて、戦い続けて、それでも尚私は納得がいってなかった。
キド・カオンが死ぬなんていうことが、信じられなかった。
どんなに私が特異な存在であったとしても、たとえ撃墜数で彼女を追い抜いていたとしても、異常を象徴する銀髪を得ても、それでも――
キド・カオンは間違いなく最強の【ジュウナナ】であり、そして。
間違いなく、私の憧れだった。
あの人が教えてくれたことが、見せてくれた強さと弱さが、その全てが、今の私を形作っている。
私なんかより比べ物にならないほど、選ばれた存在。
特異。
それがこんなにも、あっさりと――――
「――アイハ」
呼ばれて、意識が引き戻される。
振り向くと、そこには私を心配そうに見つめるツグネがいた。
もう処理場には、私とツグネの二人しかいない。
「そろそろ戻りましょう」
「……うん」
赤い日差しが、私達を夕の空気に馴染ませていく。
私は、自分の内側にある憎しみと怒りが、全てそれ以上の空しさで覆われてしまっていることを自覚していた。
「信じられないよ」
もどかしくなって、何かを口にしたくて、私は無意識にそう呟いていた。
並んで歩いていたツグネが、私を一瞥してから、小さく俯く。
「皆そうよ。私だって、信じられない。信じたくない」
……カオンさんの死を初めて知ったときのツグネは、私以上に動転していた。
涙を流して、何度も嘘だと言い続けた。
一方の私は、涙が出なかった。
呆然として――――本当にただ、立ち尽くすことしかできなかった。
周りのみんなが、ツグネが、カオンさんの死を悼む様を、一日眺めて、そのまま夜になり、朝を迎えて、食事をして、ようやく。
そのときになってようやく、もうどこにもカオンさんがいないことに気づいた。
あの声も、笑顔も、もう二度と聞くことも見ることもできないのだと実感した。
死は知っている。
だが、身近な――かけがえのない誰かを失うことは知らなかった。
それがこんなにも辛いということを、私はまだ知らなかったのだ。
「都合の良い考え方をしていたのは――私も同じかな」
「……アイハ?」
「情けないよ。ちょっと前に橙花の子たちにあんなことを言ったのに……私はなんだか錯覚していたみたいだ。自分は身も心も強くなって、どんなことにも動じない戦士になったんだって――――でも、全然違う。こんなにも悲しくて……どうすればいいかわからない。涙を流すことすら、できないよ。それがすごく、苦しい。悔しい」
ありのままを言葉にすると、ツグネはいきなり私の手を取る。
彼女の震えが伝わってくる。
「それの何がいけないの?」
今日までの涙で、今もその痕が色濃く残るツグネの両目。
その両の瞳が、私を真っ直ぐに見つめてくる。
「涙とか、強さとか、そんなもの関係ない。ねぇ、アイハ。私達はカオンさんに、妹のように可愛がってもらった。私達も姉のようにあの人を慕った。そうでしょう? 私達にとってかけがえの無い人だった。そんな人を失って、悲しくて、どうしようもなくなって――そう、どうしようもなくなるなんてのは、当たり前じゃないの? アイハは、それぐらいカオンさんと親しかった。カオンさんを大切に思っていた。それが、全部でしょ。それの何が――いけないの」
手が、強く強く握られる。
「私はアイハに、痛みを感じない存在になってほしくない。戦うだけのアイハになんか、なってほしくない。カオンさんだって、きっとそう望んでいるはず。それでいいの。今のアイハでいい。苦しんでいい。辛くなって、悲しくなって、何もできなくなるぐらいに、呆然としたっていい。そのことを悔しんでいい。痛みを感じていい。だってそれは、自然よ。当たり前のことよ」
だから、と。ツグネは何かを言おうとして、途中で止めた。
視線も、私から逸れる。
そして、離される手。
その頬にまた新しい涙が伝う。
「……ごめん、ツグネ」
そう謝った直後に、こうすることで誤魔化そうとしている自分の存在に気づく。
ツグネだって辛いのに、私は、なんて無神経なことを言ったのだろうか。
本当に私は――――自分勝手だ。