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「いやぁ、見応えあったねぇ。懐かしかったわ」
宿舎に戻る道中、カオンさんが伸びをしながら暢気に言う。
そりゃあ見ている方は楽しかったもしれないが。
「実際私、あれ結構緊張していましたからね」
それを聞いて、「はぁ?」と声をあげるカオンさん。
「いきなり【霊器】出して【第二解放】ぶっ放すような奴が緊張? 笑える冗談だなぁ」
「まぁ、確かにあれはやりすぎだったかもしれませんけど」
「後にも先にも教室であんなことしたのは、アイハだけなんじゃない?」
「……否定はしませんよ」
はっはっはと大げさな笑い声。それに比べてツグネの表情は重いし、ハヅミはハヅミでいつもの通りものすごく眠そうだ。
窓から見える空はもうすっかり闇色だ。
今日は夜番が無いので私は本でも読みながら眠るつもりだった。
ハヅミもこのまま私室に直行し、ベッドに沈んで1秒もしないうちに眠ることだろう。
と、そうこうしている内に、宿舎に到着する。
私とツグネは1階に部屋があるが、ハヅミとカオンさんの部屋は3階だ。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
そう挨拶しあってから階段で別れようとした、そのとき。
「――アイハ」
カオンさんが階段の上から声をかけてくる。
珍しく、少し真面目な表情で。
「……何ですか?」
「明日の夜って、暇ある?」
「明日ですか? すいません、明日は一日、哨戒が入っています」
「あちゃー、そっか。まぁ、いいか」
少し困った表情を見せるカオンさん。一体どうしたのだろう。
「何か用ですか? この後でも別にいいですけど」
「いや、この後は駄目だ。ちょっとあたしが夜番入っていてね。また今度、暇なときにでも話すよ」
カオンさんはそう言って、手をひらひらと振りながら、うつらうつらするハヅミを抱えて階段を上っていく。
色々と気になるところはあるものの、私は結局ツグネと部屋に戻った。
そして、ベッドに身体を沈めながらツグネの方を向く。
「……いつまで気にしているのさ」
私がそう言うと、ツグネから明らかに不機嫌そうな視線が向けられる。
「アイハは、ほんっとに自分勝手」
「何がさ。別に何も間違ったことは言ってなかったでしょ」
「間違っていたわよ。アイハの言葉にはいつだって自分のことが抜けているわ。軽々しく【第二解放】なんてするし……」
「自分のことが抜けている? どういう意味?」
「だから! 周りがアイハのことをどう想っているか、まるで考えていないってこと!」
周りが私をどう想っているか?
それが、今日の話とどう関係するのだろうか。
私はむしろ、周りを気にして、自分のことを考えて発言していたつもりだが。
「だって私が教官から求められていたのは、ああすることだよ? あの子達は私を現実逃避に使っていた。それは【ジュウナナ】として必要なことじゃない」
「そうね。それは大事なことよ。でも、アイハのは、行き過ぎだって言っているの」
「……行き過ぎ?」
「死の恐怖を乗り越えることと、命を粗末にしてもいいことは、全然違うんだからね」
別にそんなつもりで言ったのではないのだけれど、ツグネはどこかでそういうニュアンスを汲み取ったらしい。
「……もういいわ。昔からこうだったし」
はぁとため息を吐かれてしまう。
やや釈然としないが、ツグネが直後に「この話はもうやめましょう」と区切りにかかったので、こちらとしては言及しにくい。
「明日もあることだし、さっさと寝るわよ」
「……うん。あ、でもその前に本読むけどいい?」
「いいけど、枕元明るくして読んでね。あとなるべく早く寝ること」
「わかってるって」
……とは言いつつも、結局は夜更かしをすることになる。
その日読んだのは、カオンさんがまた旧時代の市街地から引っ張り出して見つけてきた古い本だ。
その文字の中に広がる世界は、今の世界とはまるで違う。
平和を前提としたもの。平和が当たり前の場所。
ジュウナナサイが普通の世界。
私はそうやって、本を読んでいる間だけ自分が何者かを忘れる。
そして、その忘却にいつも快感を覚えていた。
やがて、主人公が犯人をついに特定するところにまで至るというところで――
私の意識は、眠気に負けた。
* * *
――振り下ろした一刀が、肉を切り裂く。
ようやく届いた刃が【親】を急所ごと両断し、ついにその命を断つ。
私は、【霊器】を携えたまま、二つになった【親】の身体が動かないことを確認し、周囲の状況を観察する。
ぼろぼろに荒れ果てた旧時代の市街地。
無数の【陽魔】の骸。
そして――疲弊した仲間達。
「ツグネ。これで全部?」
《全部よ。確認した》
通信器越しのツグネの声にも明らかに疲れがあることがわかる。
……ここ最近、出撃の頻度がやたらと多い。
しかもそれは、撃退戦――【親】の存在を確認し、【子】の戦力を削り撤退をさせる戦い――ではなく、確固とした殲滅戦――【親】を確実に殺す戦い――ばかりだ。
そして、どれもこれも西側から。
つまり、旧西日本からの出現パターンばかりである。
まるで――私達藍雪組を西側に行かせたくないかのように。
《迎えが来るまでしばらくかかるわ。みんなを引き連れて一先ず南下して。合流して待ちましょう》
「了解」
……春も終わる。日差しが暑い。
じりじりと太陽が、私達を照らす。
――あの日、階段で別れてからカオンさんとは会っていない。
お互いに出撃が重なってしまっているようで、帰ってきても院内にその姿が見えないのだ。
一体あの日、カオンさんは何を話そうとしていたのか。
くだらない内容かもしれないが、これだけ時間が経つと逆に気になってしまう。
「……とりあえず帰ろう」
一先ず雑念を振り払って、私は前線の仲間と共にツグネの元へ急ぐ。
できれば今日こそ、帰ってきてカオンさんがいるといいのだが。
こういう疲れたときこそ、あの人の笑う顔が見たい。そう切に思う。
……だが、その日も結局カオンさんと会うことはできず。
――そして。
今回の出撃から帰還して、次の日。
カオンさんが死んだという報せが、私達の下に届いた。