男子生徒
「花の対義語ってなんだと思いますか?」
隣に座る女性がしかめっつらで首をかしげた。
「そもそも、花は名詞だから対義語なんて存在しないと思うよ」
「そう硬いこと言わないで、考えてみてくださいよ」
彼女が下を向くと、長い茶髪が両頬に垂れる。それとともに彼の嗅覚を甘い匂いが刺激した。すこし、息が詰まる。
「…果実?」
「あーなるほど、文学的に考えたら何になりますか」
顔をあげた彼女は、またしかめっつらで彼を睨み返した。
「もう面倒くさいなぁ」
「なんでもいいんで教えてください」
彼はそんな彼女の顔を見て笑ってしまった。
「なんだよもう…面倒くさいなぁ…。文学的には…汚物?」
「汚物とは、また新しくて面白いですね」
「新しいかな、パッと思いついたのがそれだった」
「汚物は今まで聞いてきた中で初めてですね」
「今まで聞いてきた人は何て答えたのよ」
相変わらず彼女の表情はイライラしているように見えた。それに対して、彼は気にも止めないようなのんびりとした口調で考えながら
「そうですね……、果実や種のパターンと」
「じゃあ、私と一緒じゃない」
「あと、土とか、ですね。…あと、鳥とか」
「鳥?」
「はい」
「花は土から栄養を得ているのに変な話だね。鳥は…なぜだろう」
「聞いた人によると、花鳥風月からですかね」
聞いた側にも関わらず、彼は頓狂な様子で話していた。
「そこから取るなら、鳥は類義語になるような…」
今度は、彼女が一生懸命考え出した。他人の意見は気になるらしい。好奇心大盛な彼女らしくて、この様子がまた面白く感じられた。さきほどまで嫌そうな顔をしていたのに、顎に手をおいて、どういう意図があるのか一生懸命考えている様子だ。
「花の対義語って意外と難しいんですね」
「だから、さっきも言ったようにないことを考えているからだよ」
顎から手を離し、彼女は考えるのやめたようだ。
「俺は、ちなみに……男と置きたかったんですけど。…それだとどうしても太宰と被ってしまうんですよね」
そう言ったあとは彼女の相槌も特になく、沈黙が続いた。周りのテーブルでは、みな顔を向き合わせて、縮こまりながらみんなが話をしていた。
沈黙を破ったのは彼の方だった。
「まぁ、花の話は置いておきましょう」
「そうそう、花に例える物や語句をイメージにすればいいのだよ。
豪華、花のように愛らしい、華美、花見、雪の花、花色…」
「ああ、なんだ考えていたんですね」
「うん」
いつのまにか、彼女はまた顎に手を添えて考えているようだった。しかし、先程までの様子とは違い、明るい顔をしていた。好奇心の種に、いつの間にか水をやっていたようだ。
彼も考えた。
「そこから連想すると」
「うん?」
「男って出てきません?」
「したら、花の反対は…貧相、醜い、汚物、見世物、汚辱…」
「ああ、なんだか話が噛み合っていませんね」
「すまんね、聞いていたよ。じゃあ…」
「はい?」
「じゃあ、男はそれらとイコールになってしまう」
「…割りとそうかも」
彼も彼女の真似をして顎に手を添えてみる。ちらっと見て彼女は今度は腕組みをして眉間にシワを寄せながら彼を睨んだ。
「えっ、男ってそういう生き物なの?」
「どうなんでしょう?」
「はっきりしないわね」
「誰でもそんな面をもっていると考えると、人なのかもしれないです」
「じゃあ、花=人も成立するじゃないか…。ということは」
「ということは?」
「対義というのは何事も背中合わせということさ」
「対義語かつ類義ということでしょうか」
「……」
彼女は自分で言いながらもしっくりきていない様子。彼は彼女のヒラメキを再び待つことにした。彼自身も考えるのが好きだし、じっくり考えたいと思うところまできているのだが、彼女がどういう話をし始めるのかという方向に興味が注がれる。彼女の意見を聴きたい、今何を考えているのだろう。一緒に同じことを考えている振りをして、彼の視線は、一点を見つめ、自分の出した考察に彷徨してる目の前の女性から離れがたくなっていた。
十二月二十二日、年の暮れ。
彼からのラインが彼女のスマホを揺らした。
「何時に出ますか?」
帰り支度をしながら、彼女は面倒くさそうな顔をして画面を開き、疑問形に答えた。
「十四時半には出たいと考えている」
「いま、駅前をぶらぶらしているので、出るとき声かけてください」
「なんで?」
「渡したいものがあるので、会いに行きます」
イライラが増した彼女は、スマホで時間を見た。今は十二時過ぎ。適当な返事をして済まそうと思ったが、しつこい彼の性格を考えると、ここではぐらかしてしまっても先延ばしになるだけだと考えた。
「ごめん、もう出れそうだから。そのまま駅にいて」
「エッ、もう帰れるんですか?予定よりだいぶ早いですね」
「うん。こっちこなくていいから。あと二十分くらい」
「分かりました、すみません。こっちまで来てらって」
「私そこから電車乗りますし、二十分後に三井住友のビルの入口あたりで」
彼の返信を見ずに、ケータイを紺色のPコートのポケットにつっこみ、重い荷物を肩から背負って、駅に向かった。特に急ぐ風でもなく。
自転車にまたがって彼はそこにいた。昼間はこの時期でも暖かいのでコートを着ていない人も少なくない。ニットからはみ出した青いシャツ。ズボンと靴のあいだから、くるぶしが見えている。作り笑いをしたような、ヘンテコな笑みを浮かべて、彼女に会釈した。
「こんにちは」
「…こんにちは」
彼は自転車のかごに入ったブルーのカバンから、小さな白い封筒を取り出した。
「なにこれ?」
「えっ、ラブレターです。」