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続・出張料理人 俺の名はサブ  作者: まんぼう
9/12

9.鮑の旨さ

 六月になると毎年の事だが梅雨になる。この時期は料理の世界では夏の献立になる。

 かって雅也はこの時期には鮑を出していた。

 人数が少ない時は「水貝」や刺し身にして出していた。

「水貝」とは、生のアワビを水洗いしてから、ワタを取り外し、身を大き目の角切りにして、冷水または海水程度の塩水に浮かべ、その器の中に氷と彩り用のキュウリやウドの薄切りを浮かべ、三杯酢等をつけて食べる料理だ。磯の香りとコリコリした歯ざわりが特徴である。


「鮑の刺し身」は、料理する前に塩で身を磨き、固くする。そしてそれを薄く切り、これも歯ごたえを楽しむものである。

 鮑には俗に赤、と黒と呼ばれる種類が存在するが、刺し身や「水貝」に使うのは黒と呼ばれる「黒鮑」だ。固さが違う。


 鮑は本来は旨味成分の強い貝なのだが、これらの料理ではその旨味を充分に味わう事が出来ない。

 ならば、どうして楽しむかと言うとこれは「煮貝」と言う調理法がある。所謂、鮑を柔らかく煮た料理なのだが、これの名産地は山国の甲府だ。何故、ここが産地になったかと言うと、文献によるが、その昔、甲斐国は海に面しない内陸地域の為、塩などの海産物は、主に隣接する駿河国に頼っていた。駿河の海産物は、主に塩漬けや醤油漬け、干物など保存加工を施された上で駿州往還や中道往還、富士川水運を利用して甲斐に持ち込んでいたそうだ。

 駿河湾で獲れたアワビを加工し、醤油漬けにして木の樽に入れ、馬の背に乗せて甲斐に運んだところ、馬の体温と振動によって醤油がアワビに程良く染み込んで、甲府に着く頃にはちょうど良い味に仕上がったといわれる。

 本当か嘘かは知らないがサブは「昔の人は美味いものを考えてくれたものだ」と感謝していた。


「ふう~ん。やっぱり、料理する人はちゃんと勉強しているんだねえ~」

 サブの下拵えを見ながらその初老の女性はサブの講釈を訊いていた。

「いや、受け売りですよ。俺なんて中卒ですから」

 半分照れの笑いを浮かべながらもサブは手を休め無い。

「もうすぐ皆さん帰ってらっしゃいますね。そろそろ前菜の盛り付けに掛かります」

「はいはい、出来たらわたしが並べます」


 今日は、あるお得意先の法事だった。

 朝からサブはこの家に来て調理をしていた。人数が少ないので妻の幸子は連れて来なかったが、その代わりにこの家の古くから居るお手伝いさんの数子さんが配膳を手伝ってくれていた。

サブも慣れている彼女と組むのも安心出来た。

 前菜は夏らしくエシャレットをサブの手作りの諸味噌に付けて食べて貰う。更に「水貝」を酢の物代わりに出す。

 酢の物が無くなった代わりに「煮貝」を出す。そこまで行けば、刺し身にも鮑を使う。

 今日は小人数だからお客の食べる進行速度に合わせて刺し身を作るつもりだった。

 他には加茂茄子の胡麻味噌掛けで、これは雅也の考えた胡麻味噌を軽く揚げて火を通した加茂茄子にかけて針生姜を乗せて食べるのだ。当然、天麩羅も上げるが、今日はメインではなかった。

 やがて法事が終わり、今日のお客がお寺から帰って来た。サブは数子さんに言って、前菜から出して行く。「水貝」とエシャレットの組み合わせは思いの外好評だった様だ。

「暑い表から帰って来ると、こう言う料理が嬉しいねえ」

 お客の一人が言った言葉である。こう言う何気ない言葉が一番心に響く。そしてサブは次の料理に移って行く。煮貝を出して目先を変えると、いよいよ泡の刺し身に掛かる。

 いつもどおりの手順に狂いは無い。薄く削ぎ切りにする為に今日は「蛸引き」と呼ばれる刺し身包丁でも「削ぎ切り」専用の包丁を用意して来た。

 ゆっくりとだが確実に切って行き、それを並べて行く。鮑の白さが映える様に白地に青い網目模様の皿を用意してくれる様に頼んだのだ。

 ひとつずつ出来上がると数子さんがそれを運んでくれる。着けて食べる醤油はサブが拵えた「土佐醤油」だ。普通の濃い口醤油に酒と味醂を加え、昆布やかつお節を加えてひと煮立ちさせる寸前で火を止め、一晩寝かせた醤油だ。淡白な魚を食べる時に使う。普通の醤油よりも角が取れていて塩が優しい口当たりなのだ。


「うん、この固さ、コリコリ感が堪らないな」

 口々に聞こえる感想を耳にして安堵して次の料理に移って行く。

 加茂茄子はてっぺんを水平に切り、下も切って立てる様にする。これに切り込みを入れて油で素揚げする。やっと火が通った所で油から上げて、、先の尖った包丁で中をくり抜く、取り出した茄子の身を一口大に切り、開いた元の茄子の胴体に胡麻味噌を入れて、その上に先程の切った茄子の身を入れて、一番最初に切り取った茄子のてっぺんの部分を蓋変りに少し斜に乗せ、その隙に針生姜を載せる。

 これを茄子が冷めないうちに行うのだ。これも出来た順から出して貰う。熱さが命だからだ。

「ふおっ! 熱いな、これは上手い、今までさっぱりした感じの料理だったらかこの味噌の濃厚さがたまらんな」

「火傷しないでくださいね」

 サブが笑いながら答える。充実感を覚える瞬間だ。


 その後も色々な料理を出して、今日の法事の精進落としは終わった。法事のお客も帰り、サブは片付けをしている。

 どうやら施主はお客様を送って行ったみたいだった。台所にはサブと数子さんだけが残って仕事をしていた。

 あらかた片付け終るとサブは数子さんに小さなタッパを出した。

「数子さんこれ家に帰って食べてください」

「あら、何かしら? 開けてもいい?」

「どうぞ、見て確かめてください」

 数子さんが、蓋を開けて見るとそこには薄く切った「煮貝」が入っていた。

「まあ……いいの? 高いのに……」

「いいんですよ。実は残りですから」

「残りと言うには多すぎるけど……ありがとう。大事に食べさせて貰います」

 ニコニコしながらタッパを仕舞うと。サブは片付けの最後に十センチほどのお皿を取り出した。

 それには、鮑の刺身が綺麗に並べられていた。

「お昼、未だなんでしょう? これをおかずに食べましょう」

 サブがそう言うと数子さんは驚きながら

「まだ、残っていたのねえ~、でもこれ……わたしに食べられるかしら……」

 数子さんは、鮑の刺身が固いと言う固定観念からそう言ったのだった。

「大丈夫ですよ。もう柔らかくなっています。そして只固くコリコリ感を楽しむものでは無く、柔らかいけれども、鮑の旨さが味わえますよ。試してください、全く違う食感です」

 言われて数子さんは箸で鮑をつまみ口に入れると、確かにコリコリした感じは無いが、海の旨さを濃縮したような味わいが口の中一杯に広がった。

「まあ……こんなの初めて……子供の頃に良く海で遊んだ事を思い出すわ」

 数子さんはそう言って暫し、昔に戻った感じだった。

「ちょっと良いでしょう?」

 そう言ったサブの顔は少しだけ嬉しそうだった。


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