迷宮都市《ダンジョンシティ》b
「どういたしまして」
不意を突かれたことに驚きながらも、触れた箇所を左手で押さえてこたえるイット。
スネコは頬を赤らめながらも露店へと走り出す。
「慌てて転ぶなよ」
ローブの裾を揺らし離れていく背に声をかける。すると背後からひどく陰気な声が響く。
「ズルイ……ひとりだけ」
イットが驚き振り返ると、そこではヴァーニィが不機嫌な表情をしていた。
「なんで、そんな不機嫌なんだよ。おまえだって買うのを認めたようなもんじゃないか」
「…………」
ヴァーニィは頬を膨らませると無言で抗議の目を向け続ける。
(まさか自分の分も買えってことじゃないよな?)
背中に冷たい汗が流れるのを感じつつも、イットはヴァーニィが機嫌を悪くした原因を探る。
ひとり分のブローチでも、後のやりくりに影響を与えかねないのに、ふたり分になると誤差が抑えきれなくなる。
だが、家計の状態をよく知るヴァーニィもスネコ同様に普段は物欲を現すことはめったにない。彼としてはできればこっちの妹の我が儘には応えてやりたいところだった。
「どっ、どれが欲しいんだ」
なるべく、安い物であることを祈りつつもイットが尋ねる。
その言葉を聞いたヴァーニィはスイとむきだしの腕をまっすぐ伸ばした。
「あれがいいです」
ヴァーニィが指したの先を見てイットは目を疑う。
そこに並べられたプラチナの指輪には、木製のブローチより3つか4つ桁のちがう値札がつけられていた。
「無理だ、無理無理っ」
「じゃ別のものでいいです」
その場から逃げるようにきびすをかえすイットに、ヴァーニィはあっさりと要求を取り下げた。
最初に無茶な要求をして、相手に断らせてから本命の要求をつきつける。それが相手の交渉術であろうと気づいても、イットは安堵せずにはいられなかった。
「で、本当はどれが欲しいんだ?」
なるべく、要求が低くなることを願いながら尋ねなおす。
「本当はお金のかかるものなんて要らないんです」
「そうか、ヴァーニィが家計想いで俺も嬉しいよ」
「ヴァーニィはね」
早く楽になりたいイットに、ヴァーニィは要求をもったいつける。
「ヴァーニィはですね……」
「ヴァーニィはなにが欲しいんだ?」
「ヴァーニィはお兄ちゃんの赤ちゃんが欲しいです」
「ぶっ」
下がると思った要求が、別の方向へ急上昇した。
「結婚指輪はあとでいいですから……ね」
「ねっ、じゃない!」
頬を赤らめるおねだりするヴァーニィはいつのまにかイットの腕をとり、往来であるにもかかわらず未成熟な胸を押しつける。
「できればお兄ちゃんに似た男の子がいいけど、女の子でも可愛くなると思いますよ」
「そういう問題じゃないっ」
臭い付けをする動物のように、その身をこすりつける妹をイットは引き離そうとする。
ただでさえ彼らは目立つのに、この奇行により多くの人の目が集まる。
「銀貨……いや銅貨で買えるものにしてくれ」
「そこはせめて金貨と言ってっ」
「言えるかっ」
「それに愛はお金じゃ買えないです」
「だからって、子供は兄にねだるものじゃない。そもそもオマエまだ11だろ」
「大丈夫です、5つ差くらい問題じゃないです」
「問題は歳の差じゃねーっ」
「ほら、私たち早熟だし、おっぱいはまだ育ってないけど、妊娠すれば大きくなるっていうし」
「胸の大きさは関係ない、とにかく離せ!」
「妊娠するまで離れません!」
「こら~、ヴァーちゃん、なにしてるの~」
騒ぎに気が付いたニュウが戻ってくると、ヴァーニィの後ろ首を掴み子猫の様に持ち上げる。
「むぅ、ニュウお姉ちゃん、その呼び方はやめてください」
「だめよ、ひとりで抜け駆けしちゃ~。お姉ちゃんだって我慢してるだから~。メッ」
そう言ってヴァーニィの額を軽くこづく。
「お姉ちゃんだって我慢してるんだからね」
ニュウはヴァーニィを持ち上げたまま、もう一度そこを強調しチラリとイットの方をチラリとみる。
「…………」
「お姉ちゃんだって……」
「わかったニュウ姉。俺がまちがってたんだ」
同じ台詞を繰り返す姉にイットはため息とともに非を認めた。
「そうわかってくれたのね」
喜色を浮かべる姉に、イットは財布からとりだした銀貨を1枚手渡す。
「も~、そういうんじゃないのに~」
自分の願いを流されたことを不服そうにしながらもニュウは銀貨を受け取った。
「ほら、ヴァーニィも」
「お小遣いが欲しいわけじゃないのに~」
ヴァーニィも頬を膨らませ抗議するが、銀貨はちゃんと受け取った。
残るひとりをどうするか悩んだイットであるが、のけ者にするわけにはいかないと渋々とダイガをよびつけ、同じように銀貨を手渡した。
「おー、どうしたんだ兄ちゃん。獲物が獲れなくてやせ細った狐みたいになった兄ちゃんが、お小遣いくれるなんて……まさか夜逃げまえの思い出づくりか!?」
「人聞きの悪いことを言うな」
イットはダイガの頭を叩いて黙らせる。
「このことはここにいるメンバーだけのナイショだからな」
わかったわかったと気楽に応えるダイガにそう厳命した。
「おっ、おまたせ」
走ってきたのだろう、息を切らしたスネコが戻ってくる。そして、ブローチを手にしたままヴァーニィに近づくと、その胸にくっつけた。木目の浮かぶブローチには可愛い兎が彫られていた。
「えっ、これは?」
ヴァーニィは突然のプレゼントに目を白黒させる。
「ヴァーニィちゃんに似合うかなって」
「あっ、ありがとう……ございます」
スネコの行動をダシに、イットへ迫っていたヴァーニィは頬を引きつらせながらも礼をいう。
「うんうん、僕のほうこそ。今日は助けてくれてありがとうです」
無邪気な笑顔で伝えるスネコをみたヴァーニィは何も言わずさきほど受け取った銀貨を返した。姉であるニュウもそれに習う。
「ん、どうしたの?」
空気を読めないダイガだけが両手に掴んだ串焼きを美味そうに食べていた。