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あめゆじゅ  作者: に*か
1/1

*

一番有効な気の引きかたって知ってるか


 あいつは急にそう言って、


死ぬことさ


 達観したように笑った。



***


 死ねばそれは永遠となって、時間が止まることと同義だ。

そこで成長を止めてしまったかのように。姿かたちが変わることもない。

 悲しみはいつまでも心の中に居座り、それが、大切なものであればあるほど、深く鮮明に残り続ける。

――――――記憶として。生きているようで、確かに死んでいる存在となって。


 これは、すべてすべて、残された側の視点だ。


あいつが腰掛けているベッドが静かな部屋の中でギシギシと軋む。

 

「僕はな、残される側にもなるし、残していく側にもなるんだ」


 えらく冷めたことを言う奴だと思った。なんだかこいつがそんなことを言うと温かい部屋の中だというのに僕の体にはさぶいぼがたった。

 さみしいこと言うなよ、と僕が冗談めかして言うと、あいつは馬鹿にしたように言った。

「何言ってんだよ、お前もそうだろう?」

 一瞬意味がわからなくて、首をかしげていると、あいつは、

お前不死身だったんだな! と腹を抱えて笑いだした。

 そ、そうだ悪いか!!

 しばらく僕が憤慨していると、あいつは呟く、誰にともなく。

「お前の肉食ったら僕も――――――」

 あいつの言わんとしていることを理解して、僕は腕を差し出す。

その僕の行為に驚いたようであいつはしばらく目を見開いたまま固まった。そして―――――――

 


 重い、あいつの言葉は重い。重すぎて、時々発する言葉は、同じ年とは思えないくらい、冷静で、静かでふっと消えてしまいそうだった。


 この日、結局あいつは僕の腕にかぶりつくことをしなかった。



***


 みぞれが降る冬の日、蓮田はすだ詩黎しれいは母親の癌治療の付き添いで都内の大学病院に来ていた。

 乳腺専門外来は女性しかいなく、詩黎は正直、居心地の悪さを隠せずにいた。院内だというのに帽子を目深にかぶり視線を下げる。待合室につけば、一番端の丁度、死角になる席を選んだ。

 母親の診察はまだ終わっていないらしい。先程、飲み物を買うという理由を見つけて思わず席を立った詩黎だったが、戻ってきてすぐにまたほかの理由を探しだしている自分に思わず肩を落とす。

 手には先ほど買った温かいココアがあった。それをカイロがわりになんとなく手の中で転がす。自分の手は年中冷たいのでじんわりと温かいココアの熱を感じると、自分の手が温かくなっていくような気がした。

 母親は付き添いに来なくていいと言うが、詩黎はなんとなく心配だった。癌といえば恐怖、詩黎にはそれしかない。ただ、自分は将来絶対に癌になることを確信していた。今じゃなければいい、いつかなるとしても、今はそうではないのだから。詩黎は押し寄せる不安の中でそうやって生きていくしかなかった。

 癌には遺伝的な面も大いにあるという。実際、母親の家系はほぼ全員癌になっていてそれが原因で死んでいるのだから。

 この前母親が、そろそろ定期検診を始めたほうがいいと勧められた、と言うので、母さん行ってるだろ、と返したら詩黎のことよ、と言われてぎょっとした。

 その時は笑って、そんなのいいって、と返したが気持ちの悪い汗が背中をつたったのを今でも忘れられない。

 病院は不安になった。まるで、生きているものをあの世へ吸い込んでしまいそうだ。ここにいるとそんな馬鹿な妄想まで信じてしまいそうになる。救うためにあるはずの病院が詩黎にとってはひどく恐ろしく残酷な場所に感じられた。

 抗がん剤の注射、そんなに時間がかかるもんなのか。

やはり、もう少しどこかで時間を潰そうか。

 長い思案を続けているとどうも精神的に良くない。特にここ(、、)では。

 詩黎はなんとなく、ぬるくなってしまったココアを片手に携帯電話を取り出した。ネットに接続していないのですることもない。ただ、何かをしている自分を作りたかった。

 本でも持ってくればよかったな。

今さらながらの後悔は、虚しく携帯電話をいじる自分を更に惨めにする。数分間意味のない作業を続けてから詩黎は携帯電話をしまった。

もう、帰ってしまおうか。

 そんなこと、するはずもないのに思ってみる。

本当、馬鹿みたいだ。

 重苦しい、息苦しい。頭がくらくらする。胸がもやもやしてきた。

「………し…い…詩黎…詩黎!」

「…あ…母さん…」

 顔を上げると心配そうな顔をした母親が詩黎の顔を覗き込んでいた。

「………あ…終わったんだ。大丈夫だった?」

 詩黎が尋ねるとあなたが大丈夫なの、と母は表情を固くして尋ねる。

「うん。元気元気」

 力なく詩黎が答えると母親はあまり納得しない様子でそれでも頷いた。

「転移はなかったわ、今のところは」

 笑顔になって言う母は元気そうだ。本当に。

「帰ろう」

 詩黎がそう言うと、そうね帰りましょうと呟いて、それから母は消えてしまいそうな声で、

「あなたが、消えるんじゃないかと思った」

 と言った。


 うん。僕も消えてしまうような気がした。



 病院を出ても、みぞれはまだ降っていた。

母は思わず手を出し空を振り仰ぐ。すると、手のひらに乗った霙は手の体温からかふっと消えてしまった。

 心がざわめく。思わず自分の息子探した。

 すると自分と同じように口元に笑みを浮かべて手をお椀のようにしている。

けれど胸騒ぎが、―――――――収まらない。心臓は未だに暴れ狂っている。それもだんだんひどくなりつつあるようだ。

 息子の手を見た。歳をとって視力が弱くなりつつあるその目で、しかと確かめる。

その上には、溶けることのない霙が、薄く集っていた。

 


***


 白い雪のような少女が、夜の展覧会を彷徨っている。

一枚、一枚、眺めて回る。跳躍するように、激しく、時に優しく移動する。誰が描いたのかも分からない絵を、どんな気持ちで書いたのかもわからないこの絵たちを、目に焼き付け心に刻む。

 雲隠くもがくれひじりは右腕につながる点滴とそれをぶら下げるスタンドごと舞った。

 点滴は彼女の一部だった。けして、邪魔になどならない。この踊りの美点は何だと訊かれるとそれはもう間違いなく点滴があるところ、と彼女は答えるだろう。

 何度も見た絵を今日も見て回る。その中で緑の非常灯がいやに禍々しく見えた。自分を嘲笑っているような気もする。

 彼女の色素がぬけて真っ白になった髪は真っ暗闇の中でぼんやりとした光を放つ。彼女の姿はまるでき場所を探しているかのようだった。

 彼女はけして、夜以外は入院病棟から出なかった。彼女は自身を隠すように、誰にも見られないように殻に閉じこもった。そんな彼女が昼間、誘われるように下に降りたのは、ある少年を見つけたからだ。

 自身の個室で読書をしていた彼女は何故か急に外が気になった。いつもはカーテンを閉めきってけして外など覗かない。間違ってもこの姿を見られることは絶対にあってはならないのだから。

 それでも、彼女は今絶対に見ないといけないような気がした。何か、大切なものを逃してしまうような気がしたのだ。

 彼女は大慌てで髪を輪ゴムで縛った。そして帽子をかぶる。けして真っ白の髪がはみ出さないように丁寧に丁寧に隠した。何があるのだろう。彼女は期待を込めた心臓がいつもより少し早く刻むリズムに耳を傾けた。

 彼女が見たのはいたって普通の平凡な幽霊だった。



 病院内で携帯電話を使ってはいけないことを、この幽霊は知らないのだろうか。

乳腺専門外来の受付の脇にある柱の影に隠れながら彼女は様子を覗った。彼女の頭には先ほどの普通の帽子ではなく癌患者用のウィッグと紺色の帽子があった。これらは彼女が看護婦さんから借りたものだ。病院内には本当の癌患者の人が購入前にお試しで装着できるようにいくつかのサンプルがある。

 大慌てでナースステーションに駆け込んだ彼女は顔見知りの看護婦さんに頼んで、装着してもらった。

これで、普通の人間になれた。

 彼女は自分の体に『自信』という、何か熱くて力強いモノが流れる感覚に酔いしれそうになった。

そうか。みんなはいつだってこうなんだ。

 普通ってこんなに気持ちがいいものなんだ。

なんとなく恥ずかしくてまだ柱の影から出ることはできなかったが、誰かに出ろと言われれば動けるような気がした。

 彼女は誰からも出ろと言われなかったので、石のようにその影から動かなかった。

幽霊は携帯電話を数分しか使わなかった。ようやく、ダメだということに気がついたのだろうか。

 少し、お話がしてみたい。

そんな欲が出始めた頃、幽霊の体が不自然に左に、右にくゆらくゆらと揺れ始めた。

 オカシイ。

彼女の頭の中で警笛が鳴り響く。

 幽霊の顔が苦しそうに歪んだ。酸素を欲するように荒々しく肩が上下している。

ねえ、誰か、あそこで幽霊が。気づいて誰か。消える! 消えちゃうよ! 誰か!

 彼女の声にならない悲鳴は、誰の耳にも届かなくて、彼女は一歩、柱の影から進み出た。

そして一歩、また一歩。

 地面を踏みしめるように、けして踏み外さないように、ロープを渡るサーカスの団員の気分で前へ前へと進んでいった。


 


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