わたしは所謂、婚約者が優先する病弱な幼馴染だった。
わたしの名前はマルグリート。
王国の南部にある農園地域を経営するセティア子爵家に生を受けた、数え16になる子爵令嬢である。
お母様がわたしを妊娠している折に、当時流行していた疫病、ノーラ熱を患った。
わたしはどうにか生まれ落ちる事は出来たものの、1日の半分以上を寝台で過ごす虚弱体質で、いつもお父様やお母様、屋敷の使用人達に心労を掛けてしまっている。
ゴーテル伯爵家の御令息、フェルディナント様は年が近く、また両家も然程距離が離れてはいない為に、わたしが倒れたと聞くと直ぐに駆け付けて、自分に出来る事はないか、と良くわたしの世話をして下さった。
その度に、わたしは申し訳ないと思っていた。
フェルディナント様には、婚約者であるボルディア侯爵家の御令嬢、ルクレツィア様がいらっしゃる。
ルクレツィア様との約束を反故にしてまで、わたしの看病にいらっしゃるのだ。
ゴーテル伯爵様のご厚意で王国一の侍医も子爵家にいらっしゃる事であるし、ルクレツィア様と言う美しい婚約者がいらっしゃるのだから、あまりの虚弱体質故に将来を諦めているわたしと過ごすよりも、ルクレツィア様との御時間を大切にして欲しいと思っている。
本日は確か、光輪祭に身に付ける装飾品をルクレツィア様と選びに行くと仰っていらした筈なのに、何故フェルディナント様はわたしのところにいらしたのだろうか。
光輪祭は王国で信仰されている光神ヴァナラーナ様が魔族と人間の闘いに終止符を打つ為に世界に救世主たる勇者様を齎して下さった奇跡を祝う祭であり、身に付ける装飾品は勇者様が世界に顕現されて間もなく、後に伴侶となる乙女に贈った品の伝承に準えるもの。
それ故に一般的に貴族の殿方は婚約者と共に光輪祭に因んだ装飾品を身に付ける事で、永遠の愛を表すのだ。
決して、蔑ろにして良いものではないと言うのに…。
悶々とした思いを抱えながら、気付けば夕刻になっていた。
そろそろ治癒術士の方がいらっしゃる頃合だと思っているとノックが聞こえたので返事をする。
「失礼いたしますわ」
わたしの返事を聞いて治癒術士の方が部屋に入り、脈を取る。
いつもと変わらない、形式染みた体調の変化を聞かれるのだろう、と思いながら治癒術士の方を見た。
「え」
月光を集めた様な白銀の髪と、抜ける夏の青空の様な瞳をしたその人は、フェルディナント様の婚約者であるルクレツィア・ボルディア侯爵令嬢だった。
「脈拍に異常はありませんわね。体温は少々高めですが、正常の範囲内ですわ」
ルクレツィア様はふむ、と頷きながらペンを走らせている。
「普段は、どの様な薬を服用していらっしゃいますの?」
「ゴーテル伯爵様のご厚意で我が家にいらしている侍医から薬湯を戴いております」
「処方箋は?」
「母子感染のノーラ熱にはこの薬湯が良い、素人が処方箋を読んだところで意味は無い、と言われております」
ルクレツィア様は、わたしに何を聞きたいのだろう。
「貴女、ノーラ熱の特効薬が10年前に誕生したのは御存知?」
聞いた事がない。侍医からは、対症療法しか解決手段はないと聞いている。
わたしがそのまま伝えると、ルクレツィア様は
「貴女の身体を蝕んでいるのは、母子感染ノーラ熱ではない、と言うのがわたくしの見解ですわ」
とキッパリと言い切った。
「前提として症状が母子感染ノーラ熱の症例と異なりますし、特効薬もあるのです。貴女が母子感染ノーラ熱であるならば、既に完治していないと不自然です」
通常のノーラ熱の症状は38.5℃以上の高熱、関節痛、倦怠感、嘔吐、下痢、咳や鼻水が数日続くと言うもので、感染力が強い為に10日程の療養を必要とする。
後遺症や母子感染の症状として良く知られているものは認知機能の低下といった記憶障害や発達不全、知的障害である、とルクレツィア様は説明されました。
症状が強く出ているのは足ですわね、とルクレツィア様は言った。
「貴女、魔力の流れを見る事は出来て?」
「いえ、物心ついた時から度々寝込んでいたものですから、その、魔法やそれに類する技術は不得手です」
「そうでしょうね。自分で確認出来ていたならば、とうに快復しているでしょうから」
どういう事かと思っていると、ルクレツィア様が教えてくださいました。
「ノーラ熱の特効薬は服薬から3日で症状を寛解させますが、それだけ強い薬となりますと副作用も強いのですわ。
―――体内を巡る魔力の流れが詰まりを起こして魔力詰まり由来の炎症が起きる、と言った」
つまり、わたしの身体を蝕んでいるのはノーラ熱ではなく、薬の副作用による魔力炎、と言う事なのでしょうか。
「我が侯爵家の婿として必要とされる侯爵代理としての教育や、わたくしとの約束を反故にしてまで看病に向かうのですもの」
現ボルディア侯爵閣下からの指示でフェルディナント様の予定が決まっている時に限って、看病を必要とする程寝込むわたしがどの様な人間であるのか見定めに来たのだと、ルクレツィア様はおっしゃいました。
「病弱な幼馴染の看病をしている自分、と言うものに酔っているだけの、愚か者だと把握出来ただけでわたくしには利益となりますわ」
わたくしとの婚約、侯爵代理を背負う事になる重責に耐え切れず、幼馴染を虚弱体質に追い込む様な不誠実な方とこれ以上婚約を継続していても無意味ですもの、とルクレツィア様はにっこりと微笑んだ。
―――ボルディア侯爵家の介入で伯爵様のご厚意で派遣されていた侍医が、フェルディナント様から金銭を積まれて特効薬の副作用による魔力詰まり由来の魔力炎を維持する為に偽薬を服用させていた事が明らかとなってからは、全ての事柄が流れる様に進んで行った。
査問に呼び出されたフェルディナント様は、ボルディア侯爵家への婿入りに前向きだったが、侯爵家の人間が家格が下の自分に対して良い印象を持っておらず、何かにつけて小言を呈される事に嫌気が差して、侯爵家に出入りせずに、ルクレツィア様と交流せずに済む方法として、定期的にわたしにノーラ熱の特効薬を服用させたのだと仰ったそうだ。
薬も過ぎれば毒となる。
フェルディナント様の、何処か幼稚で浅慮な思い付きで、わたしは本来10年前に解放されている筈の虚弱体質に縛られていたのかと、悲しくなった。
侯爵家の方々がフェルディナント様に厳しく指導されていたのは、侯爵家の婿として、侯爵代理として相応しい振る舞いを身に付けて欲しいからで、フェルディナント様が家格が下の人間である、等と虐げた事は一度たりとも無かった。
ルクレツィア様とフェルディナント様の婚約は無効となり、ゴーテル伯爵様は騒動の責を背負ってフェルディナント様を廃嫡され、若伯爵閣下に伯爵位を譲って引退された。
ルクレツィア様から、
「今度こそ、信頼のおける医者ですわ」
と、セティア子爵家に派遣されたお医者様と治癒術士の治療の元、凡そ3年程で長年わたしの身体を蝕んでいた魔力炎は快復し、寝台から起き上がる事は勿論、自力で歩く事も出来る様になった。
わたしは今、ルクレツィア様への恩を返すべく、ボルディア侯爵家の侍女として奉公に出ている。
健康を噛み締めながら、わたしは今日も侍女として働いている。




