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短編作品②『寿命定年制』

掲載日:2026/09/06

『寿命定年制』


「おめでとうございます。あなたの寿命定年は、六十五歳です」

その言葉を聞いたとき、山田は思わず笑ってしまった。

六十五歳。

それは、少し前までなら「定年退職」を意味する年齢だった。

けれど、今は違う。

数年前、日本では新しい法律が施行された。


――寿命定年法。


少子高齢化による社会保障費の増大、年金問題、医療費、介護問題。膨れ上がる高齢者人口と、それを支える現役世代の減少に歯止めをかけるため、政府が打ち出した前代未聞の制度だった。

国民一人ひとりに「寿命定年」を設定する。

そして、その年齢を迎えた国民は、定められた日の二十三時五十九分をもって生命活動を停止する。

政府は、この制度を「国民の人生を奪う制度ではない」と説明した。

「誰もが安心して最期を迎えられる公平な制度です」

「人生の終わりが分かることで、老後の不安はなくなります」

「限られた社会資源を、未来を担う世代へ公平に配分するための必要な改革です」

当初こそ反発は大きかった。

だが、政府は莫大な社会保障費の削減と引き換えに、若年層への給付や教育支援を拡充した。

やがて反対運動は沈静化し、人々はその制度を受け入れていった。

そして山田もまた、その一人だった。

四十一歳。

妻と、中学生になる娘。

会社では課長を務め、特別裕福ではないものの、それなりに幸せな生活を送っている。

そして何より、自分の寿命定年は――六十五歳。

あと二十四年もある。

そう考えれば、悪い話ではない。

山田はそう思っていた。

あの日までは。

* * *

ある日の夕方、仕事から帰った山田のもとへ、一通の封筒が届いた。

政府からの正式な通知だった。

中には「人生設計通知書」と書かれた一枚の書類が入っている。

出生年月日。

現在の年齢。

職業。

健康状態。

家族構成。

納税状況。

社会活動。

そして、一番下に大きく記載されていた。

寿命定年:2050年6月14日

残存生命期間:8年9か月

「……え?」

山田は目を疑った。

8年9か月。

さっきまで二十四年だったはずだ。

通知書を何度も見返す。

日付は間違っていない。

自分の名前も間違っていない。

だが、確かに寿命定年が変わっている。

しかも、その下には理由まで書かれていた。

《社会貢献度の低下》

「なんだよ……これ」

翌朝、山田は会社で上司に相談した。

上司は書類を見ると、少し困ったような顔をした。

「最近、こういうの増えてるんだよ」

「増えてるって……寿命ですよ?」

「分かってる」

「俺、何か悪いことしましたか?」

「そういう話じゃない」

上司は周囲を気にしながら声を落とした。

「寿命定年は固定じゃないんだ」

「……え?」

「社会情勢や経済状況、それから本人の社会貢献度なんかを総合的に判断して、随時変更される」

山田は言葉を失った。

「じゃあ……俺が会社を辞めたら?」

「短くなるだろうな」

「病気になったら?」

「短くなる可能性はある」

「仕事で成果を出したら?」

「延びる可能性はある」

上司は淡々と言った。

「国に必要とされている人間なら、長く生きられる」

その言葉が、妙に耳に残った。

* * *

それから山田は、必死に働いた。

残業を増やした。

休日も会社へ出た。

新しい資格を取り、後輩を育て、営業成績を上げ、会社の利益に貢献した。

家族との時間は減った。

娘の学校行事にも参加できなくなった。

妻から「少し休んだら?」と言われても、

「今だけだから」

そう答え続けた。

そして三か月後。

政府から新しい通知が届いた。

寿命定年:2049年6月14日

一年、延びた。

いや。

以前の数字と比べれば、一年短くなっている。

それでも山田は喜んだ。

「まだ一年しか減ってない」

そう自分に言い聞かせた。

しかし、その半年後。

2048年。

さらに半年後。

2047年。

そして――

2046年。

どれだけ働いても、寿命は戻らなかった。

ある日、会社で上司に呼び出された。

「山田、最近ちょっと無理しすぎじゃないか?」

「大丈夫です」

「いや、顔色が悪い」

「仕事を続けないと……」

山田は必死だった。

「俺、もっと会社に必要とされないといけないんです」

上司は黙った。

そして、ぽつりと言った。

「山田」

「はい」

「もう十分だよ」

その言葉を聞いた瞬間。

山田のスマートフォンが鳴った。

通知。

《寿命定年が変更されました》

山田は震える手で画面を開く。

2046年6月14日

から、

2042年6月14日

へ。

理由。

《社会貢献度の低下》

「……なんでだよ」

山田は呟いた。

「俺は、こんなに働いてるのに……」

* * *

その日から、さらに奇妙なことが起こり始めた。

会社に行くと、自分の机がなかった。

「山田さんの席って……どこでしたっけ?」

同僚に尋ねる。

すると相手は困った顔をする。

「山田さん……?」

「俺だよ」

「……すみません。どこかでお会いしました?」

山田は笑えなかった。

社員証を確認する。

――自分の名前がない。

人事データを確認する。

――登録されていない。

給与明細を確認する。

――存在しない。

会社に電話しても、

「そのような社員は在籍しておりません」

と言われた。

山田は自宅へ走った。

妻なら分かってくれる。

娘なら覚えている。

そう思った。

玄関を開ける。

「ただいま!」

妻が振り返った。

「……どちら様ですか?」

山田は固まった。

「……え?」

「すみません。どちらのお宅とお間違えですか?」

「俺だよ」

妻の顔を見つめる。

「山田だよ」

妻は怯えたように娘の後ろへ隠れた。

「この人……怖い」

娘も山田を見ている。

怯えた目だった。

「お母さん、警察呼んだほうがいいよ」

「待ってくれ!」

山田は叫んだ。

「俺だ! お父さんだろ!」

娘は首を横に振った。

「……お父さんは、もう死んだよ」

山田の世界から、音が消えた。

* * *

その夜。

山田のスマートフォンに通知が届いた。

《寿命定年のお知らせ》

山田は震えながら開く。

寿命定年:本日23時59分

理由:社会的存在価値が0になったため

「……そんな」

山田は政府の窓口へ向かった。

深夜の行政施設。

受付で事情を説明すると、奥から一人の職員が現れた。

「山田様」

「俺を元に戻してください」

「……元に?」

「会社からも消された。妻も娘も俺を知らない。これは寿命定年法のせいなんでしょう?」

職員はしばらく黙っていた。

そして静かに答えた。

「寿命定年法は、人を殺す法律ではありません」

「だったら、何なんですか」

「人間として存在するための条件を定める法律です」

山田は理解できなかった。

職員は端末を操作する。

「寿命定年というのは、単純な年齢ではありません」

「じゃあ、六十五歳って何なんですか?」

「平均値です」

「平均……?」

「社会的に必要とされなくなる平均的な年齢。それが六十五歳だっただけです」

山田の顔から血の気が引いた。

「じゃあ……俺は?」

「あなたは、六十五歳を待つ必要がなくなった」

「……必要がなくなった?」

職員は頷いた。

「会社には、あなたの代わりがいます」

「……」

「社会にも、あなたの代わりがいます」

「……」

「ご家族にも、あなたの代わりがいます」

山田は何も言えなかった。

職員は最後に、こう言った。

「この国では、国家に必要とされている間だけ、人間として存在することができます」

時計を見る。

23時55分。

残り四分。

山田は施設を飛び出した。

* * *

家へ戻る。

妻と娘。

そして、見知らぬ男が一人いた。

三人で食卓を囲んでいる。

妻が笑った。

「おかえりなさい」

山田は息を呑んだ。

「……俺のこと、分からないのか?」

妻は首を傾げる。

「あなた、誰?」

隣にいる男が妻の肩を抱いた。

娘がその男に笑いかける。

「ねえ、お父さん」

その言葉を聞いて、山田の膝から力が抜けた。

「……そうか」

もう、自分の居場所はない。

時計を見る。

23時57分。

そのとき、スマートフォンが鳴った。

《寿命延長の条件が提示されました》

山田は画面を開いた。

《あなたを必要とする人物が一名存在します》

「……誰だ?」

通知に表示された場所へ向かう。

近所の公園。

そこに、一人の少年がいた。

十歳くらいだろうか。

少年はベンチに座り、一人で泣いていた。

山田が近づく。

「どうした?」

少年は顔を上げた。

「……おじさん」

「どうしたんだ?」

「僕、お父さんもお母さんもいないんだ」

山田は黙って隣に座った。

少年は言った。

「だから……誰かに必要としてほしい」

その言葉を聞いた瞬間。

山田のスマートフォンが鳴った。

《必要度認定を確認しました》

《あなたの寿命定年を延長することが可能です》

山田は震えた。

「本当か……?」

画面を読む。

《延長可能期間:40年》

「四十年……」

しかし、その下に小さな文字があった。

《条件があります》

山田は開く。

そして、目を見開いた。

《あなたの残存寿命40年を、少年へ譲渡してください》

「……」

山田は少年を見る。

少年は何も知らずにこちらを見ている。

「おじさん?」

山田は笑った。

「……そうか」

スマートフォンに最後の選択肢が表示された。

[譲渡する]

[キャンセル]

山田の指が震える。

そして――

[譲渡する]

を押した。

その瞬間。

心臓が一度、大きく鼓動した。

そして、止まった。

* * *

翌朝。

ニュース番組が流れていた。

『昨夜、都内で男性が死亡しました』

『男性は寿命定年制に基づく生命活動停止とみられています』

キャスターは淡々と原稿を読む。

『政府は今回のケースについて、制度上問題はないと発表しています』

画面が切り替わる。

昨日の少年が映っていた。

少年の手には、新しい人生設計通知書。

そこには、

残存寿命:42年

と書かれている。

少年はそれを大切そうに抱えて、学校へ向かう。

その後ろを、一人の老人が歩いている。

老人の通知書には、

社会的存在価値:0

と表示されていた。

老人が突然、道端に倒れる。

誰も振り返らない。

誰も助けない。

ニュースの音だけが流れ続ける。


「政府は、本制度について『国民すべてが安心して人生を終えるために必要不可欠な制度』としています」


画面の隅には、寿命定年法の条文が表示される。


国民は、国家が必要と認める限り、生存する権利を有する。


そして、その条文の下。

誰かが赤いペンで、こう書き加えていた。


では――

国家が必要としなくなった人間は?


午前八時。

新しい一日が始まる。

今日も日本では、誰かに新しい「寿命定年」が通知されている。

そして、その数字を見た人々は安心する。


――まだ、自分は必要とされている。


そう信じながら。


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