5.記憶喪失
俺はパジャマ的な姿のままだ。
パジャマと言っていいのかよく分からないが、ゆるっとした麻っぽいシャツとズボンをはいているからそう思っただけでデザインはファンタジー世界っぽい気もする。
カティはその恰好を見てまだ着替えてないの? と驚いた表情を浮かべて俺に近づいてきた。
「ねえ、どうしたの? さっきから変だよ?」
「いや……その、記憶が……なくて。だから、混乱中」
必死に捻りだした答えは、記憶喪失だった。
俺は何故か自分の名前まんまのハルと呼ばれているし、このゲーム内で俺はどの登場人物なんだろう?
今、カティに言われたことを整理してみる。
俺はラブスピのゲームの中にいて、種の成長を報告しなければならないらしい。
そして、カティと共に種を成長させているポジションといえば……一人しかいない。
つまり、主人公のライバル。要はゲームの悪役側だ。
確か主人公は平民だけど、ライバルは貴族だった気がするからいわゆる悪役令息ってヤツか。
あのゲームでもほぼいないような扱いだったから、詳細もほとんど覚えていないけど……いつも主人公に嫌がらせをするせいで精霊からも嫌われているキャラだよな。
「記憶がないって……それって、ボクのことも覚えていないってこと? ええー!」
カティは大げさな声をあげて、俺の両肩を掴んで揺さぶってくる。
とても無遠慮な感じで……正直苦手なタイプだ。
緊急事態じゃなかったら、俺のことはそっとしておいてほしい。
「悪いけど、本当に何も覚えていないんだ。だから、精霊様に俺のことを伝えてくれ。それまでに着替えておく」
「え、うん。分かった! よく分からないけど、記憶がないんだもんね? 待ってて!」
カティは明るい声で言うと、くるっと回って扉から出て行った。
見ていてすごく忙しないヤツだ。一緒にいるとドッと疲れる。
「あれが可愛いって言うのなら、腐女子の感覚は理解できない……」
一気に疲れたが、これからどうするかを考えないといけない。
俺はまず着替えようと、部屋の片隅に置いてあるクローゼットを開く。
すると、カティが着ていたものと似たような服がかかっていた。
濃い灰をベースにしたブレザーに青と白のストライプのネクタイ。白のワイシャツにパンツは灰と白のチェック。
私立高校の制服みたいだけど、カティが着ていたのは茶色ベースの制服だったな。
靴は……ローファーみたいな黒の革靴か。
「待て。俺、成人したのに制服か……」
自分でツッコミを入れてしまうが、俺はもう二十だ。
カティは十九だったような気もするが……この歳になって制服を着る羽目になるとは思わなかった。
正直、ゲーム内のライバルはモブすぎて顔のイラストもあったかどうか覚えていない。
ただ、黒髪で地味な感じではあったからある意味俺と似ているとか?
だから、主人公ではなくライバルとして転生したのかもしれない。
「にしても、ライバルって最後どうなるんだっけ……家に帰されるんだったか?」
ライバルのことは記憶にない。
それに……この状況が異世界転生だとしたら、俺は元居た場所に帰れないのだろうか?
元の世界に未練があるってほどじゃないけど、ゲームができないのは辛い。
この世界には娯楽ってものはないだろうしな。
家族は……俺がいなくなったくらいじゃ気にしないだろうな。妹じゃなくて良かったと安心してるはずだ。
「とりあえず……着替えはできた。ただ、これからどうすればいいのか……」
俺が適当に身支度を済ませると同時に、また扉が叩かれる。
今度は自ら扉を開けて、出迎えた。
「記憶喪失だと聞いたが、どういうことだ」
目の前に立っていたのは、険しい銀の瞳を持つ全身も銀色のカッチリと西洋の貴族のような服を着こなした青年だ。
銀のポニーテールも美しい男性は、精霊の一人だったと思うが……名前がややこしくて思い出せない。
「もしや、我のことも分からないのか?」
この仰々しい喋り方の精霊は……確か光の精霊だったとは思うけど。
全員名前が長すぎて、ゲームをしてた時から覚えてなかった。
俺が考え込んでいると、はぁとため息を吐かれてしまう。
「嘘にしては手が込みすぎているな。まあいい。どちらにせよ一緒に来てもらう」
「はい」
俺は緊張しながら、家を出て光の精霊の後をついていく。
目の前に広がる光景はやっぱり見たこともない場所だった。