私と散歩と祖父。
はじめに。
なぜ私が散歩にハマったか。と書き出しては見たが、
この私の文章力で上手く伝えることができるだろうかと不安でいっぱいなのが正直なところである。
なにせ思いつきでこの「小説家になろう」に登録して散歩することの楽しさを伝えようとしているから、何も練っていない。
しかも私がこれから書こうとしている内容のほとんどが感覚の世界であるため、多くの人の共感を得ることは難しいことも理解しているつもりだ。
なんだか固い文章でぐだぐだと書いてしまって申し訳ない。そんな立派なことは書けないから、気楽に読んで貰えると嬉しい。
はじめに 〆
私の趣味は散歩することだ。休日になると、1日約30kmを6時間かけてゆっくりと散歩する。コースは決まって川沿い。人の少ない5時から6時にスタートする。
帰る頃には靴下は湿って背中はびっしょり。けれど終えた後のシャワーの爽快感は素晴らしいもので、体に溜まった悪いものを全て出しきったのではないか、とさえ思える。
正直、親や知り合いには少し疑問を持たれることもある。なぜそんなに散歩をしたがるのか、と
思い返すと散歩に関する思い出は、私自身の太りやすさとそれを改善しようとした祖父の愛情、それを素直に受け入れられずに言い訳をしてサボった弱い自分との葛藤から始まっていた。
これから、私が嫌いだった散歩を趣味にするまでの体験談を書いてみたいと思う。きっとこの文章は、私にとっての人生のある期間の振り返りであり、新たな道へのスタートになると信じたい。
私が自ら散歩をするようになったのは、就職が決まって教習所へ通っていた12月の中旬だったと記憶している。教習所の授業は実習以外は自宅での動画視聴で受けることが出来たので、家からほとんど出ない生活が当たり前になりつつあった。
高校時代にはなんの部活にも所属していなかった私は、身長160cmに対して体重が75kgのおデブだった。高校で部活に入らなかったのは、中学校時代の悔しい思い出を引きずっていたことが主な要因だった。
中学校ではソフトテニス部に所属していた。本当は卓球部に入りたかったが、元国体選手だった父の強引な勧めを断ることが出来ず仕方なく所属した。だけど今思えば、思春期真っ盛りの私が普段仕事から帰って入浴と夕食を済ませてすぐに寝てしまう父と会話するきっかけになればいいなと期待している節もあったかもしれない。
不思議なもので、私はソフトテニスが好きになった。決して強くはなかったがサーブやドロップで相手に揺さぶりをかけながら勝ったり負けたりするのは楽しかった。何より、父が私のために色々な戦略や私のフォームの改善、新しい靴やガット(ラケットの糸)を買い与えてくれたので、充実してソフトテニスに打ち込むことが出来た。
だが2年生の後半になると、クラブチームに所属する上手い子との差が埋まらずスタメン落ちが続き、自分たちの練習よりも後輩の指導を任される時間が増えてきていた。さらに、もう太りたくないと食事制限をしていた私の体は限界を迎えた。
とある中学校との練習試合をしていた夏の暑い日、2Lの水筒を飲みきり追加で粉末のスポーツドリンクを溶かして飲んでいたのにも関わらず、汗と頭痛が止まらずフラフラになりながら試合を終えた私は立っているのも辛くなり体を冷やしてもらった後に近くの病院で点滴をしてもらう事になった。
この時、私は自分の限界を感じていた。減量をして全力でボールに食らいつくプレースタイルしかチビである私が出来ることは無いと信じていたからだ。私は親と相談して涙ながらに部活を辞める決意をした。
私は元来太りやすい生活をしていた。よく食べよく寝て全然運動をしない私を運動する習慣が根付くきっかけをくれたのは祖父だった。
母方の祖父母と2世帯で暮らしている私は、初孫ということもあってかだいぶ甘やかされて育てられたという自覚はある。元々は少し離れた市外で暮らしていた祖父母だが、一緒に住ませて貰っていた家主である祖母の母(私から見て)ひいおばあさんが亡くなり、空き家になった家を解体して新しく建てた家に共に暮らすことになった。元の家はかつての家は祖母と母の生家だったので、暮らす事には特に不満も無かった。
幼き私はわんぱくな子供であったため、よく両親に説教とビンタをくらったものである。泣き虫だった私はその逃げ道として祖父母に甘やかしてもらった。
また、共働きで忙しい母は夕食が7時頃に出来上がるので空腹に耐えらなかった私は、祖父母の住む1階でご飯を食べた後に自分たちが住む2階でまたご飯を食べるといったルーティンが出来ていたこともあり、小学校6年生の時に体重は60kgあった。
そんな私の体型を見て心配した祖父は、夕食を済ませた私を散歩に誘うようになった。夜の8時から9時までのたった1時間だけだったが、夜の町を歩くのはなんだか悪いことをしているみたいで楽しく感じていた。
また、休日になると自転車でサイクリングに誘った。かつて自転車で山を登ったことのあるという祖父に連れられて4〜5時間自転車に乗ることもあった。休み明けに両足が筋肉痛で辛かったのも今となってはいい思い出である。
けれど当時の私は、辛いし面倒に感じていた。好きでもないことをやり続けるのは難しい。言い訳をしてサボるようになり、そんな私を見た祖父も次第に私を誘うことは無くなった。
自ら散歩するきっかけが生まれたのは就活を終えた12月。この頃、社会人になるに向けてなんとも言えない不安があった。かつてコロナ禍で休校になった2ヶ月間にも未来への不安がよぎったものだ。しかし今は自由に外を歩くことが出来る。私は何か社会に貢献できることはないだろうかと考えた結果、町の空き缶拾いを始めた。この空き缶拾いが私の散歩習慣の始まりと言っても過言ではない。
続く