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第1話 さなぎとの出会い

 5月5日、春らしく心地よい暖かさの日。

日が沈みやや冷えてきた暗がりを、1人の少年が歩いている。

 少年の名は加路璃亜夢かろりあむ

いかにも生真面目そうな眼鏡をかけた中学二年生だ。

図書館で勉強してきた帰りで、荷物の入ったバッグを左肩にかけていた。


 すでに時計の針は7時をまわっており、新月の空は暗く、街灯の明かりのみがチカチカと照らすのみだった。

光には細々(こまごま)とした虫がたかっており、少し大きな蛾が目立つ。

 街灯から視線を落とすと、前方に重なり合うような人影が目に入る。

何やらモゾモゾとうごめいているようで、大柄な方が小柄な方に覆い被さり、壁際に追い詰めているように見える。

 リアムは何やら気恥ずかしさを覚え一度回れ右をしたが、しかし犯罪かもしれないと思い直し、再び二つの人影の方に向かって行った。

今度は駆け足だった。


 リアムが近寄ると大柄な方は走って逃げ去ってしまい、後には小柄な方、

ショートヘアーの少女が取り残された。

 黒のフワッとしたロングスカートに、淡いグレーのトップス、動きやすそうなスニーカーを履き、ウェストポーチを斜めがけ、ベージュのキャップをかぶったカジュアルな印象の少女だ。

 街灯の光に照らされた少女はブロック塀にもたれ掛かりながらガタガタと震え、リアムを見つめている。

瞳が細かく揺れ目尻に涙を浮かべる少女の姿は、ここで何が起きたのかを察するのに十分すぎた。

「あっあのー、もう大、丈夫です、よ」

 リアムも突然の出来事に混乱していた。言葉の節々に不自然な空白が挟まる。

 なおも少女は怯えながら、しかし目を大きく開き驚きながら、

「加路くん」

 と小さく呟いた。

今度はリアムが目を見開く番だった。

「どこで俺の名前を?」

 リアムの問いかけに一瞬逡巡した少女は、意を決して口を開く。

分田わけただよ分田沙凪わけたさなぎ、同じクラスの!」

「分田からどこで聞いた?」

「おれが分田だ!」


 私立光野学園(ひかりのがくえん)は中高一貫の進学校で、加路の通う2年B組には確かに分田沙凪という生徒がいる。

だがしかし、光野学園は男子校だった。


 サナギと名乗る少女の涙の跡の残るこわばった顔を覗き込んで確かめる。

だが決して社交的とは言えないリアムには、席の離れたサナギの顔があまりピンと来なかった。

「それで、そのサナギがこんな時間にこんなところで何をしているんだ?」

 腑には落ちていないものの、このままでは埒が開かないため一応尋ねてみる。

それを聞くとサナギは曖昧な表情を浮かべながら、ジリジリと後退りしていく。

リアムもジリジリと前進し少し腰を屈ませながらサナギに目線を合わせる。

168cmのリアムと147cmのサナギの間には、20cm以上の差があった。


 サナギは苦笑いをするとバッと振り返り脱兎の如く走り出す。

リアムも後を追うように地面を強く蹴り飛ばす。

閑静な住宅街に2人の足音と息遣いが響いた。

 すぐに歩幅の差からリアムが追いつき、サナギのか細い二の腕を強く掴む。

振り返ったサナギの顔は恐怖に歪んでいた。

思わずパッと手を離す。

「わ、悪い。そんなつもりじゃ…」

 しどろもどろになりながら釈明をする。

サナギに逃げられることなど考えてはいられなかった。

「いや、おれも急に逃げてごめん」

 リアムに握られた二の腕をさすりながら、目線を下に向け呟く。


 ブロック塀の向こうから微かに聞こえるテレビの音が、より一層沈黙を際立たせた。

昼間はあんなに過ごしやすかったのに、どこか肌寒い空気が辺りを支配していた。


「と、とりあえず通報するか」

 張り詰めた空気を破るように上擦った声でリアムが提案する。

「それは困る」

「どうして?あっ、さっきの人知り合いだった?それなら俺悪いことしちゃったな。」

「い、いやそうじゃないけど、通報はやめてほしい…」

 サナギがか細い声で答える。

 再び2人は沈黙に包まれた。

「そ、それじゃあどこか落ち着ける場所…アッ、ウチクル?」

 三度(みたび)2人は沈黙に包まれた。

「ふふっ。ん、そうする」

 サナギがそう答えるまでは。


 リアムはひどく後悔していた。

左肩には先ほどと変わらないずっしりとした鞄をかけている。

しかし右手はロングスカートのリアムの手を握っていた。

サナギの身体はまだ少し震えており、空いたもう片方の手で二の腕を軽く抑えていた。

 後悔している理由はそれだけではなかった。


アッ、ウチクル?


まるっきりナンパだった。

それも格別下手くそな。

 クラスメイトのほとんど関わりのない男子が女装姿で怯えているところに格別下手くそなナンパをした。

 そもそもこの黒いロングスカートの人物は本当にクラスメイトの分田沙凪なのだろうか。

リアムにはその確証すらなかった。

かといって今更引き返し暗い中置き去りにする気にもなれない。

 リアムには重い足取りで前に進むしかなかった。


 5分ほど歩いて「加路」と表札に刻まれた人気ひとけのない家に2人は辿り着く。

ここまでお互い言葉はなかった。

 サナギの手を離したリアムが鞄から鍵を取り出し、センサーで点く明かりを頼りにガチャガチャと扉を開ける。

後ろを振り返りサナギを見つめると、

「お邪魔します」

 そう小さく呟き緊張で身体を縮こませながら、扉の中に入っていった。

「いらっしゃい」

 リアムも後を追うように中に入る。

 扉が閉まると玄関は採光窓のない玄関は一気に闇に包まれる。

少し荒いサナギの息遣いだけが微かに聞こえる中、リアムは手探りで玄関の明かりを点けた。

青ざめた顔をし、キョロキョロと辺りを見回しているサナギを安心させるように優しく問いかける。

「夕飯食べてくか?」

サナギは小さく頷いた。


 荷物を置き手洗いうがいを済ませ、リアムはキッチンに入る。

冷蔵庫から今朝作った炒め物を取り出しレンジに放り込む。

2人分にしては量が少ないが仕方ない。

7時に炊き上がるようにセットした炊飯器の蓋を開く。

時計の針は7時35分を指していた。

米を2つの茶碗に盛り付け、りんごの皮を剥く。

電子レンジがピーピー鳴りだし、炒め物が温まったことを告げる。

それを適当な皿に盛り付け、リアムの夕飯は完成した。

 この間サナギはダイニングの椅子に腰掛け、じっとリアムを見つめていた。

青ざめていた顔も落ち着きを見せていた。


 リアムが用意した夕飯を2人は黙々と食べる。

「そういえば加路くんのご両親って普段何してる人なの?」

 気まずさをごまかすようにサナギが話しかけた。

「どっちも研究者。夜は遅いしなんなら帰って来ない日も割とあるから、別に気にしなくていいよ。分田の家はどうなの?」

「お父さんは普通に会社員だね。中国に単身赴任してる」

 そう言った後少し苦笑いしながら、

「お母さんはスーパーでバイトしてる。普段は結構遅いんだけどね」

 と付け足した。

 声が潤み瞳が揺れていた。


「あのさ、何があったのか聞いてもいいかな?」

 リアムがあやすように優しく問いかける。

「引かないでね」

 そういうとサナギはぽつりぽつりと話しだした。


「俺は昔から可愛い格好するのが好きで、幼稚園の時はいつもスカートを履いていた。

一人称もわたしだった。

でも「いつまでもそんな格好できないから」って

小学生に入ってからはそういうこともさせてくれなくなって、

四年生の時にお父さんが単身赴任で離れてからは、一人称も矯正された。

お母さんがすごく"普通"にこだわる人で、多分お父さんがいる時はそれにブレーキかけてたんだと思う。

"普通"の男子っぽくするために男子校にも入れられた。

でもこっそり女装していた。」

震える声で話すと最後にきまりの悪い笑顔を浮かべた。

瞳からは涙がこぼれ落ちていた。

加路は思わず立ち上がり涙を拭うためのティッシュを差し出す。

分田は一瞬ビクリと肩を揺らすも、加路の意図に気がつくと今度は小刻みに身体が震えだした。

しんと静まり返った部屋の中に、しゃくりあげる声が際立つ。

「ヒグッ ごめんこんな急に泣き出して。ハァ

クラスメイトの家で女装して。スン」

分田の背を加路の手のひらが優しくさすっていた。

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