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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【恋愛 異世界】

テケリリ

作者: 小雨川蛙

 

 扉の前で立ち止まり私は改めて指令を確認する。

『指令:自宅の寝室。私はリラックスしている。あなたが突然やって来る』

 これだけで十分だった。

 私はあなたのことならば何でも知っているから。


 勢いをつけて扉を蹴り破るとベッドの上で寝そべりながら本を読んでいた女性が「え?」と間の抜けた声を出した。

 彼女はまだ少女の面影を残した女性で、突然現れた私の存在に混乱の表情を浮かべながら「何? え? 何? 何なの……?」とか細い声で漏らすばかりでまだ恐怖さえも自身で感じられない様子だった。

 大柄な男である私が無言で踏み込む。

 無造作に彼女の私物を蹴とばして、これから起こる事を理解させるのに十分な音を立てながら。

「え、なに!? え!? お願い! やめて!」

 眼に強い感情を描き、泣きながら彼女は思わず両手をクロスさせる。

 自分を守っているつもりなのだ。

 それで。

 実に滑稽だ。

 私の力強い腕が彼女の若枝のような腕を抑える。

「やめて! やめて!!」

 叫ぶ彼女を黙らせるために左手の薬指を無理に曲げる。

 音がした。

 彼女の心が折れる声だ。

 必死に抵抗している彼女自身がもう全て無為だと悟っている。

 心地良い征服感に纏われながら私は指令を遂行した。

 汗と体液を先ほど引き裂いた彼女の服で拭う。

 ベッドに転がる女性は息をするのにさえ苦し気で、隙間風のような些細なうめき声をあげるばかりだった。

 殺しても良かった。

 けれど、そうする必要もない。

 私は至福のため息をつく。

 それが私達の合図だった。

 不意に右耳の奥に強い線が走った感覚がし、直後にそこから熱い液体が噴き出す。

 驚愕の声をあげながら私が振り向くと、直前まで息も絶え絶えだったはずの彼女が血走った目を向けながら私を睨んでいた。

 左手には赤々とした血で濡れたハサミを強く握っており、それが私の右耳の痛みに紐づけられているのだと否応なしに悟る。

 暴風にも似た、形にならない声を発しながらハサミが私の脳天に向けて振り下ろされる。

 あまりにも呆気ない自らの末路。

 理解が追いつかない中で最後に見えたのは彼女の曲げられた左手薬指の痛々しい痣だった。

「へたくそ」

 甦った私が聞いた第一声がそんな不機嫌な声だった。

「なんであの瞬間にハサミから目を逸らすのさ。馬鹿じゃないの?」

 痛みも傷もない……まさに再生された体を実感しながら私は声の主の方を見る。

「器用なことするね、あんた」

 声の主。

 少女の面影を残してるあの女性は甦った私とは対照的に死に際に見えた姿からほとんど変わっていない。

 精々服を着替えた程度だ。

 二人の血と汗と。

 私に濡れたままだ。

「見て、この位置。あんた狙ったでしょ?」

 言うと同時に反対に曲がっていた自らの指を彼女は力で無理矢理戻す。

 私と違いただの人間である彼女は痛みに呻いたが、そこには嘘偽りがないと断じることが出来るほどに見事な悲鳴と絶望を『演じていた』女性の姿はなかった。

「つーか、どうすんのさ。薬指だけピンポイントで折れた一般人なんて早々居ないよ」

 冷めきった表情で私を見る彼女の眼は暗く、色がない。

 これが彼女の真実なのだ。

 千両役者と断言できるほど如何なる人間を演じ切る見事な技量を持ちながら、その仮面の裏は真っ黒で何の表情もない。

「一般人の設定はそろそろやめにしませんか?」

 私の主張及び提案である問いに対して彼女はふんっと一つ鼻息を鳴らす。

「そうね、テケリリ」

 テケリリ。

 彼女が私の名を呼ぶ時は最上級に機嫌の良い時だけだ。

「哀れな被害者という設定はもういいや。また次は理不尽系にしよう」

 彼女は笑うと「あー!」と年相応の心地良い声をあげながら乱れたベッドに身を投げ出した。

「気持ちよかった!」


『指令:幼児であるあなたは不意に私に蹴とばされる。そのままあなたは泣きだし母親を呼ぶ』

 体を幼く変化させた私は通り過ぎる車を見てはしゃいでいると、不意に右腹を強く蹴とばされた。

 痛みもうまく理解出来ない年齢である私は泣きながら母を呼ぼうとしたが、その口を思い切り踵で踏みつけられる。

「親が守ってくれるとでも思ってんのかよ。このガキ。ほら。呼んでみろよ。お母さんをさ!」

 息さえ出せないのに血だけが流れ出る。

 そんな私の目に映ったのは下種な笑みを浮かべた彼女の姿だった。

 それが何かを知らないままに何度も何度も踏みつけられ、私は苦しみの中で死んだ。

 最期に見えたのは彼女の左薬指の痣だった。

 体が甦る。

『指令:あなたは老教師。雨の中で泣き続ける私に善意から声をかけたが、直後に思い切りナイフで突き刺された挙句、倒れこんだ拍子に頭を打って脳死』

 眼鏡をかけた白髪の老教師となった私は雨の中で泣いている女性を見つけた。

 どこか教え子に似た彼女を放っておけなくなり、声をかけると彼女は不意に泣くのを止めて隠し持っていたナイフを思い切り私の胸に突き刺した。

「話しかけてくるんじゃねえよ。自分に酔っているんじゃねえよ! 気持ち悪い!」

 その言葉の勢いに押される形で倒れこんだ私は頭を強く打って気が遠くなる。

 それが私の最期の思考だった。

 間抜けなほどの大笑いをする彼女の左手薬指が私の見た最期の物体だった。

 体が甦る。

 甦り続ける。

 そして私は彼女の『指令』に従いありとあらゆる形に姿を変えて彼女に殺され続ける。

 それが私の存在理由。

 それと同時に彼女が私を造った理由でもある。

「テケリリ、あんたさぁ」

「ちょくちょく私の左指見てんだろ。そーゆーのすぐに分かるからやめて。萎えるんだよ。本当」

「申し訳ありません。けれど、あまりにも美しいので……」

「気持ち悪。あんたがつけたくせに」

 そう言うと同時に彼女は爪を立てて私の目を抉る。

 突然の痛みに反応が出来ない私を突き飛ばして圧し掛かると両手で首を締めあげた。

 意識が遠のき、私はそのまま死に至る。

 彼女の突然の衝動には慣れない。

 いや、慣れようがない。

 何せ、それには彼女自身も振り回されているのだから。

 彼女は生まれついての殺人鬼だった。

 少なくとも彼女自身は自らをそう解釈していた。

 そして、仮に神というものが存在するとすれば、確実に彼女は人間を終焉に導くために生まれた。

 彼女の脳には世界が宿っており、ありとあらゆるものを創造することが出来るほどだった。

 それはつまり、殺人鬼としての彼女はありとあらゆる欲求を好き放題に満たすことが出来るという意味でもあった。

 彼女にとって殺人とは手段ではなく目的だった。

 人が生きるために食べ物を求め、休息をするために眠りを求め、愛するために他者と交わるのを求めるように。

 彼女は生きるために殺人が必要な人間だった。

『できた』

 その言葉が生まれて初めて聞いた声だった。

 目を開けると一人の少女が私を見つめていた。

『てけりり……』

 その声と眼だけを私は強く覚えている。

『なんて、鳴くわけないか』

 直後に少女の眼が暗くなり、私は拳で数えきれないほど殴られて殺されたから。

 つまり、私が生まれたその瞬間、彼女は殺人鬼としての自分を抑えられなくなったのだ。

 私は彼女に造られた不死の人間……あるいは出来る限り人間に似た形で造られた不死の何かだった。

 私が殺された数だけ人間は死なずに済んだ。

 彼女に殺された数だけ、私は彼女に必要とされていた。

 そして、彼女が私を殺した数だけ、彼女は自分という存在を自ら慰めていたのだ。

 ある時。

 珍しく彼女が物憂げに言った。

「ごめんね。あんたを作っちゃって」

「何故謝る必要が?」

「私はいつか死ぬじゃん。だけど、あんたは死なないじゃん」

 私は。

 私はこの時、彼女に名前を呼んでもらいたかった。

「人間は椅子を何故作るのでしょうか」

「は? 座るためでしょ?」

「はい。座るためです。それは持ち主が変わっても目的は同じです」

 彼女はぽかんと口を開けて直後大笑いをした。

「それじゃ何? 私が死んだあと、あんたは最終的に私みたいな殺人鬼に出会って殺され続けるわけ?」

 腹を抱えて笑い出す彼女の左手薬指にはいつか付けたあの傷跡が残っていた。

「それで励ましているつもりかよ。あんたの存在意義は殺され続けるだけとか。余計罪悪感生まれるわ」

 そんな彼女の眼を見つめながら私は言った。

「絵を描くために椅子の上に花瓶を乗せる人もいます。小さい子供なら椅子を簡易的なテーブルにもします。時には猫が寝そべることもあるかもしれません」

 彼女の笑いは段々と勢いが弱くなっていく。

「最悪の場合でも解体されて薪になるかもしれません」

 そして、ぽつりと告げた私の言葉の余韻に浸るようにして黙りこくった。

「道具は使いようです」

「それで励ましているつもりかよ」

 彼女は私の名前を呼んでくれなかった。

 彼女との日々は苦しみに満ちつつも幸せであったと私は思う。

 それがこの胸に宿っていた奇妙な感情故なのだろうと私は知っていた。

 きっと彼女もそれを知っていた。

 やがて、私に最後の指令が下される。

『指令:今わの際の私の下に不死のあなたがやってくる。そこであなたは……』

 最後まで確認しないまま老女となった彼女が横たわるベッドの前へ私は向かう。

「テケリリ」

 名前を呼ばれた私は空虚な喜びに包まれたまま、命じられたようにして彼女の口元に吸い寄せられるようにして近づく。

「ごめんね。本当に。ごめんね」

 辛うじて聞こえる声を受け取りながら彼女の命を感じとる。

「受け入れてくれてありがとう。でも、本当にごめんね。あなたを造っちゃって……」

 私は首を振って微笑む。

 それだけで全てが伝わると知っていたから。

「テケリリ」

 呼ばれて私は彼女の唇に自分のそれを近づけ。

 互いの舌を絡めようとした。

 直後、強い痛みと熱い熱が喉奥で弾け、血が押し寄せてくる。

 同時に何か重いものが喉に押し込められる。

 それが嚙み切られた私の舌であることを知っていた。

 苦しみに喘ぐ私が最期に目にしたのは満足げな彼女の表情だった。

『……遂に自身の愛が伝わったと勘違いしながら殺される』

 それが彼女から与えられた最後の指令だった。

 私は甦る。

 ベッドには息絶えた老齢の彼女があった。

 抱きしめようかと思ったが、彼女はきっと望まないだろうと思い止めた。

 私は彼女を埋葬すると人間に満ちた世界へと旅立っていった。

 私が不死の生を生きる中、人間は何度も滅びかけた。

 それは疫病であったり、食糧難であったり、時には戦争であったり……。

 しかし、その悉くに人間は勝利し続けた。

 否、人間を負かせるものは存在しないのだ。

 彼女以外に。

 数えきれないほどの友人が出来て、同じ数だけ私は別れを経験した。

 私の不死の特性に気づいた者も少なからず存在し、彼らは決まって私に三つの問いを投げかける。


 一つ目の問いはありきたりなもの。

「何故、あなたは死なないんだ?」

「そのように造られたからです」

 人間はあらゆるものに打ち勝ってきたにも関わらず未だ不死に至っていない。

 あるいは永遠に至らないのかもしれない。


 二つ目の問いはその目的。

「何故、死なないように造られたんだ?」

「とてつもなく大きな理由のためです」

 私の答えを聞いて彼らは思い思いの理由を考える。

 考え続ける。

 しかし、まさか自身を慰めるための道具であるなどと思いつく者は居るだろうか。


 三つ目の問いは純粋なもの。

「あなたを造った者はどのようなものだったのだ?」

 故に私もまた純粋に答える。

「自らを完璧に制御した。とても気高き方でした」


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