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 それからはまた妹としての知識を、少しずつ侍女生活の中で使い始めた。

 幼い頃好きだった絵を、廊下に飾ってみた。ソファのカバーの刺繍も、生前練習していたものを施してみる。


 お兄様はそれを見かける度に、少し表情を和らげる。


 なんだか生前にお兄様に見てほしくて叶わなかったものを今披露することで、あの頃の私自身が慰められているかのような気分になる。幼い子どものようでとても恥ずかしいのに、嬉しいと感じる心も隠せない。



 あれからお兄様に話しかけられる機会も多くなった。二人だけになるお茶の時間は、私もお兄様の前に腰掛け、お茶の種類や好みの茶菓子について語り合うこともあった。

 妹としては知らなかったお兄様の一面を知っていく時間が増える。それはくすぐったいような気恥しい気持ちにもなったが、そんな時間を心地よくも感じていた。






*****

 ある日、侍女長に街の洋服店へ服の直しを取りに行くようお使いを頼まれた。ついでに街のお店で、みんなの休憩時間用の茶菓子も買ってくるよう申し付けられる。

 働き始めてから全く街に出ていない私を気遣ってくれたみたいだ。お菓子代を手渡す侍女長は、私に自分の意図を気づかれたと悟ったのか、少し照れた様子だ。


 最初は呆れ顔か怒り顔しか見せなかった侍女長とも、最近ではすっかり打ち解けて、長年連れ添った師弟のような関係になっている。



「喜んで!」

 お使いの依頼に勢いよく返事をすると、またため息をつかれてしまった。


「その口調はおやめなさい。まったくあなたって子は……。あなたは所作だけなら、この家のお嬢様に負けないくらいに美しいのに。」


 初めて侍女長から、ルシアの話が出る。


「ルシア……さまですか?」

 驚きで思わず口から言葉が漏れてしまう。


 その名前に侍女長もハッとした表情を見せる。

 どうやらルシアの話をしたのは無意識だったようだ。何かを思い出したように顔を強張らせると、そっと目に浮かんできた涙を拭った。


「……そうよ。ルシアお嬢様は私が知る中で最も美しく、気高い淑女だったわ。」

 そう言って涙を隠す侍女長を見ていると、私も胸が苦しくなった。



 公爵邸に来て、使用人からルシアの話を聞いたのはこれが初めてだ。不自然なほど、この家の中で公爵家の令嬢の話は伏せられてきた。

 王子に地位をはく奪され処罰された令嬢だ。公爵家の体裁のためにも、表向きには令嬢はもう公爵家とは無関係だという姿勢を貫かなければならなかったのだろう。

 私もそれは当たり前だと思い、あえて気にしないようにしていた。



 でも今の侍女長の言葉で、彼女が自分のことをずっと思ってくれていたのを知る。



(アゼルはもともと情に厚いのよね。)


 生前のルシアが幼い頃から、アゼルは自分にも他人にも厳しい侍女として有名だった。ルシアもお転婆をしてアゼルに怒られたことは何度もある。

 でもルシアが王宮の妃教育から落ち込んで帰ってきた時には、こっそりと好きなお菓子を用意してくれ、励ましてくれた。カルロス殿下との交流でひどい言葉を浴びせられた時には、そっと抱きしめて自分のことのように憤慨してくれた。

 アゼルはいつも陰ながら私のことを見守ってくれていた。



 この公爵邸でお嬢様として過ごしていた日々を少し思い起こした。

――――私はこの家に来て初めて涙を零した。






*****

 あれからすぐに立ち直った侍女長に促され、私は街におりてきた。

 洋服店で服を受け取り、公爵家に出してもらった馬車にそれを乗せておく。御者にもう少し待ってもらうようお願いし、侍女長のお言葉に甘えて、みんなへのお菓子を選ぶため街に繰り出す。


(久しぶりの街歩きだわ。)


 生前は次期王子妃という立場もあったし、そもそも自由な時間がなく、街をこうして歩く機会はほとんどなかった。たまに父と母に付き添って観劇に行ったくらいだ。


 

 らんらんと街を歩いていく。街で評判のお菓子屋さんでみんなへのお土産も買うことができた。浮かれ気分で街を回っていると、少し離れたところに見覚えのある顔を見つける。


 それが誰なのか。

 しっかりと認識した途端、体が凍り付いた。



――――あの騎士だ。


 卒業パーティーで私を刺し殺した騎士。




 前世の記憶を取り戻して、ルシアとしての死は、ゲーム画面を通して見たようなどこか現実味のない出来事として、自分の中で受け入れられていた。


 でも、実際自分を殺した人物をもう一度目にして。剣で背中を刺されたあの痛みが、リアルなものとして記憶に蘇ってくる。



 体が凍ったように動かない。

 でも目も離せない。


 そのまま目が勝手に彼を追っていく。すると、何やら人相の悪い人物に話しかけ、そのまま二人で裏通りの方へと入っていくのが見えた。

 反射的に体が彼らを追っていく。物陰に隠れ、裏通りで話す彼らに見つからぬよう身を潜めて、その様子を覗き見る。


 どうやらあの騎士が何かをあの男に依頼しているようだ。相手は金がどうとかの話をしている。でも騎士の声が聞き取り辛い。「もう少し」と身を乗り出そうとしたところで、誰かに肩を掴まれた。


(まずい!)


 そう思って振り返ろうとしたところを、誰かの手で口を塞がれる。

 その手の先を見ると、口を塞いだ者の正体は――――お兄様だった。




「静かに!声を出さずにこちらへ。」


 お兄様にそう言われ、大人しく頷いて彼についていく。少し離れたところで、ようやく手を離された。




「君はあんなところで何をしていたんだ?」

 お兄様の言葉は明らかに苛立っている。


「ええと……お店を探していたら迷子になってしまいまして……」

 あからさま過ぎる言い訳だ。お兄様にも当然ばれている。


「あんな裏通りに貴族が行くようなお店があるかい?……まあいい。今後は危険なことに首を突っ込まないように。」

 お兄様は下手な言い訳には突っ込まなかったが、呆れた様子を見せている。私に忠告するその口調は強い。


 こんな風に感情を表に出すお兄様は珍しい。それだけ、このことに首を突っ込むのは危険なことだということなのだろう。


 でもあの騎士の動きはあまりにも怪しい。もしあの男が裏組織の人間なら……。ルシアの冤罪事件と、これから起こるゲームの展開につながるかもしれない。


(お兄様もそのことについて調べているのかしら。)

 チラッとお兄様の表情を盗み見る。お兄様は難しい顔をしたままだ。


「君は以前から変わらないな。大人しそうに見えるのに、意外に無鉄砲な真似をする。」


 お兄様のその言葉に違和感を感じる。


(まるで私のことを前から知っているかのような……)


 そう考えていると、急に激しい頭痛に襲われる。頭の中に知らない映像が一気に流れてくる。その急激な流れに、頭がグラグラと揺れ、立っていられない。


 焦ったようなお兄様の声が聞こえたが、私はそのまま意識を失ってしまった。



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