アルベルトside 後日談
午前の執務を終え、愛しい婚約者の姿を探す。
部屋を訪ねてもいないようだ。侍女に聞いてみれば、庭園へと出ているらしい。
彼女を探すため、久しぶりに一人庭園を巡る。色とりどりの花々が咲くその景色は、いつ見ても美しい。
(ルシアは時間があればいつもここを散歩していたな。)
花に囲まれる妹は一つの絵画のように美しかった。
物思いにふけながらしばらく歩いていると、庭園の隅にある薬草園までやって来てしまったようだ。
(……ここにもいないようだな。戻らなくては。)
シャルルの姿がないことを確認し、屋敷へ戻ろうかと足を進めたところで、懐かしい匂いが鼻をかすめる。匂いのするほうへ目を向ければ、そこには抜かれて束になったアングレムの薬草が置かれていた。妹の好きだった香りだ。そっと手に持って鼻へと近づける。
(いつ嗅いでも心が落ち着く香りだ。)
この薬草は今もシャルルの手によってポプリにされ、毎晩私の枕元に飾られている。
以前は妹を思い出させるだけのものだったが、今となってはこの香りを嗅ぐと、シャルルの微笑む顔が浮かぶことのほうが多いかもしれない。
そう思ったところで、無意識に眉を潜めてしまう。
(こうして思い出は上書きされていくのだろうか……)
胸に一抹の不安を覚える。
妹ルシアの冤罪を晴らし、カルロスやジェイドに対する復讐は、当初自分が想定していたよりもずっと正当な方法で果たすことができた。
しかし妹を失ったという事実は変わらない。あの時あった悲しみや憎しみが薄れていくことは、妹を忘れてしまうことと同義なのではないかと思うと、それをひどく恐ろしく感じる。
(ルシア……お前は私を恨んでいるだろうか。あの時お前を助けられなかった不甲斐ない兄のことを……)
手にもったアングレムの束を思わず握り締める。その手からハラハラと葉が落ちていく。
「アルベルト様……?」
その声にハッとなり、握り締めていた手の力が緩んだ。手の中にあった薬草が地面へと落ちていく。
振り向けば、そこには愛しい婚約者の姿が見えた。
「恐い顔をされてどうしたのですか……?」
彼女は心配そうな表情でこちらに近づいてくる。その手には花を摘むときに使われる籠を持っていた。どうやら彼女はここに薬草を摘みに来ていたようだ。
私は慌てて表情を整え、落ちてしまった薬草の束を拾い上げる。
「君を探しに来たんだ。庭園にいると聞いて。すまない。薬草を一つだめにしてしまった。」
手にした薬草は葉が落ちてぼろぼろになってしまっている。手を汚しながら丁寧にそれを摘む彼女の姿を思い浮かべ、申し訳ない気持ちになる。
すると彼女はそっと私に近づき、優しくその手を包み込んだ。
「少しくらい葉が落ちていても大丈夫ですよ。ポプリにするときには細かく分けて乾燥させることもあるんです。このアングレムも素敵な香りのポプリになりますよ。」
そう言って微笑む彼女の姿を見ると、心があたたかくなる。
「――――この香りを嗅いでも、最近では妹よりも君のことを思い浮かべてしまうんだ……」
彼女の微笑みに気が緩んだのか、先ほどから抱えていたこのどうにもならない気持ちを、何の脈絡もなく彼女に吐き出してしまった。
彼女は私のその言葉を聞いて少し驚いた表情を見せたが、またすぐにあのあたたかい微笑みを浮かべる。
「アルベルト様はそのことに寂しさを感じていらっしゃるのですか?」
「寂しさというのだろうか……いやこれは罪悪感かもしれない。妹に何もしてやれなかったのに、私だけがこうして幸せになろうとしている。そして妹を思い出す時間さえも減っていくのかもしれない……。」
こんなことを彼女に話しても仕方がない。それでも話すのを止めることができない。
「大切な人のことを想う時間が少なくなる……。それは確かに辛く、そんな自分を責めてしまうこともあるかもしれません。」
彼女はそうつぶやくと、目を閉じそっと自分の胸に手を当て、何かを考え込んでいるようだ。
私は黙ったままそんな彼女を見つめる。
やがて彼女は顔を上げ、優しい眼差しで私に語りかける。
「でももしかすると、それが大切な方の願いなのかもしれません。自分を思い出す暇がないほど、幸せな日々を送ってほしいと……。」
そう言って微笑む彼女の表情は穏やかだが、どこか悲しげにも見える。
「私はアルベルト様に悲しみや苦しみを忘れるくらい幸せな毎日を過ごしてほしいです。そして、もしルシア様を忘れてしまうかもしれないとアルベルト様が不安に思われても……大丈夫です。私がいつまでも覚えています。二人でルシア様のお話をたくさんしましょう。悲しみや罪悪感からではなく、彼女を愛しく思う気持ちを二人で共有したいのです。」
そう言った彼女の瞳からぽろりと涙が零れた。自分が涙を流すとは思っていなかったようで、彼女は慌てた様子で涙を拭っている。
そっと彼女に近づき、優しく抱きしめる。
「本当に君は……。」
なんて愛しい存在だろう。
「なぜだろうね。君の言葉はすんなり胸に落ちてくるんだ。君の存在だけが私の心を穏やかにしてくれる……。」
腕にこめる力を強くすると、彼女も手を伸ばし私を抱きしめてくれる。
「それならいつでもアルベルト様のお傍にいます。」
そう言ってこちらを見上げる彼女の瞳は本当に美しい。
涙に濡れるその目蓋にそっとキスをする。そのまま頬や耳元へと口づけをすれば、見る見るうちに彼女の顔が赤くなっていく。
「アルベルト様!人目がないとはいえ、ここは外ですから……!」
顔を真っ赤にして慌てた様子の彼女も愛おしい。
「放してほしい」と訴えるその唇を塞ぐように口づける。初めは抵抗していた彼女も、口づけを繰り返すうちに段々と大人しくなっていく。
(本当に君が愛おしいよ。君を失ってしまったら……私は君を思い出にはできないだろうね。)
そんなことは想像するだけで恐ろしい。一刻も早く彼女を自分のものにして、この屋敷に囲い込んでしまいたい。
―――しかしそれは彼女の幸せなのだろうか?
―――彼女が私から離れたいと願った時、私はそれを叶えられるだろうか?
彼女を愛した時から幾度となく繰り返してきたその問いに、納得のいく答えが導き出されることは永遠にないだろう。
「早く結婚式をあげたいな。」
唇を離しそうつぶやくと、彼女が満面の笑みを浮かべてくれる。
「私もです。そして二人で幸せに過ごしましょう。」
「二人で?」
私の問いかけに、彼女は不思議そうに少し首をかしげて答える。
「そうですよ。私はアルベルト様がいなければ幸せにはなれませんから。」
そう言って私の胸に顔を埋める彼女の笑顔を、いつまでも守りたいと願う。
「……そうだね。二人で幸せになろう。必ず。」
そう誓って、もう一度彼女の唇に口づけた。
あの懐かしくあたたかな香りが私たち二人を包み込んでくれた――――
これで完結となります。
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