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ジェイドside

 あれから何日経っただろうか。

 まだ私への処罰が決まらないのか、この狭い牢に閉じ込められたままだ。


 今後の自分たちへの影響を考え、できる限り処罰を軽くしたい王家派と、ここぞとばかりに重い刑を望む貴族派との間で意見が拮抗しているのだろう。しかしロレーヌ家が貴族派につけば、それも時間の問題だ。




 薄暗い牢の中は、何もすることがない。


 一度だけ父が面会にやってきたが、こんな事態を引き起こした息子に激昂するでもなく、ただ一言「お前と刑をともにする」とだけ言って去って行った。



 父は母が亡くなり、自身も怪我を負って騎士団長を退いてからは、以前のような快活さを失くし、屋敷で抜け殻のように過ごすようになった。そんな父の穴を埋めるため、懸命に王家派の力を集めようとしていたのに……。

 結局、アルベルトによってそれは全て無に帰された。




***

 王家派筆頭貴族である我が侯爵家と、中立派筆頭貴族であり国の調整役であるロレーヌ公爵家は、古くから政治的に対立することが多かった。そのため、その二つの家の次期当主として、幼い頃から私とアルベルトは比較されることが多かった。


 幼い頃から優秀で、何事にも冷静で正確な判断を忘れないアルベルト。まさしく次期当主の器だと、周囲の大人たちは奴を褒め称えた。


 学業でアルベルトを追い抜くのは難しいとわかっていた私は、必死で剣の腕を磨いてきた。代々騎士団長を務めるマテオス家の次期当主としてふさわしいように。それでも味方のはずの王家派の人間でさえ、アルベルトより私のほうが次期当主として劣ると陰口を叩いてきた。


 苛立ちアルベルトに食って掛かる私に、それでもあの男は何の感情も沸かないかのような冷ややかな態度で私をあしらうだけだった。

 

 そんなあいつが唯一表情を和らげるのは妹の話をする時だった。その時だけは、僅かに口元が緩み、いつもの固い表情が穏やかなものに変わる。それが私にとっては不思議で仕方がなかった。




***

 時は経ち、私が側近としてカルロス殿下付きの騎士となった頃、アルベルトの妹がカルロス殿下の婚約者に決まった。


 殿下と彼女の顔合わせの茶会には、私も殿下の側近の一人として傍に控えることになった。殿下の後ろで彼女が現れるのを待つ。


(アルベルトが可愛がっている妹か。どうせあいつに似て、愛想のない人形のような女だろう。)


 そんなことを思っていたが、現れた彼女の姿を見て驚いた。



 こちらに歩みを進めるその身のこなしは、公爵家の令嬢に相応しい優雅さに溢れている。風になびくブロンドの髪は太陽の光を受けて一層輝き、長いまつ毛の奥に見えるその瞳は、良く晴れた日の空のように澄んでいてとても美しい。


「カルロス第一王子殿下、はじめてお目に掛かります。私ロレーヌ公爵家長女のルシアと申します。どうぞよろしくお願い致します。」

 

 そう言って礼をとったその姿は、淑女の手本のように美しい立ち振る舞いだ。しかしその顔はキラキラと瞳を輝かせ、満面の笑みを浮かべている。気位の高い普通の貴族令嬢とは違い、どこか親しみやすさを感じる生き生きとした表情だ。



(アルベルトと全く違うじゃないか……!)


 驚きのせいか、その後もしばらく私は彼女から目を離せなかった。




 カルロス殿下は彼女が気に入らなかったのか、終始不機嫌な様子で、彼女の話にも適当な相槌を打つだけだ。殿下の失礼な態度を、彼女は大して気にしていないかのように微笑んで受け流している。茶を飲みながら、過度にならない程度に殿下に話を振っていく。その表情にも不快に感じているような様子は見られない。


(普通の貴族令嬢なら怒ったり泣き出したりしそうなものだが。)


 幼い年齢に関わらず、彼女は大人な対応が取れる人間のようだ。



 やがて茶会が終わり、彼女は席を立って、馬車の待つ正門へと向かおうとする。

 本来は、カルロス殿下が彼女を馬車まで送っていかなければならない。しかしすっかり不機嫌な様子の殿下は、その役目を私に任せてきた。




 王宮の美しい庭園を、彼女をエスコートしながら歩いていく。

 こうして二人並んで歩いていると、緊張がどんどん増していく。「何か話さなければ」と焦っていると、彼女のほうから声を掛けてきた。



「付き添っていただきありがとうございます。先ほども申し上げましたが、ロレーヌ公爵家のルシアと申します。これからもよろしくお願い致します。あなた様は、マテオス侯爵家のジェイド様でいらっしゃいますよね?兄から時折ジェイド様のお話を聞いていたのです。」


 そう言って私に微笑むその姿を見て、一気に顔が熱くなる。同時に、アルベルトが彼女に話したであろう自分の情けない行いが頭に浮かび、冷静さを失う。礼儀正しく挨拶を返そうと思っていたのに、頭が真っ白になった。



「あなたがあの冷徹なアルベルトの妹だとはな。」



 咄嗟に出たその棘のある言葉に、彼女がわずかに眉を寄せる。それを見てますます動揺してしまい、勝手に言葉が零れ落ちる。



「あなたの態度にカルロス殿下はすっかり機嫌を損ねてしまったようだ。こうして私にエスコート役を任せるほどだからな。しかしあの感情のない、つまらないアルベルトの妹では仕方がない。」


 言うつもりのなかった言葉が次々と口から発せられていく。頭が混乱していて止まらない。


「あいつはいつも無表情で、何を考えているのかわからなくて不気味だ。あんな人間味のない奴が次期ロレーヌ家の当主とは……」



「お待ちくださいっ!!」


 私の言葉を遮って、彼女の強く張りつめた声がその場に響く。




(しまった。)


 そう思った時はもう遅かった。彼女の顔には明らかに怒りの表情が浮かんでいた。




「無礼かとは思いますが、はっきりと申し上げます。アルベルトお兄様は、この世の誰よりもロレーヌ家の次期当主に相応しいお方です。国や領地の運営に関する知識の豊富さは言うまでもなく、常に冷静に正確な判断を下そうと努めるその姿勢は、家を背負って立つ公爵家の当主に相応しいお姿です。」


 真っすぐにこちらを見据え、はっきりとした口調でそう告げる彼女の言葉は確信に満ちている。

 彼女の真摯な表情に、私は何も言えず口を閉ざしたままだ。



 声を発することも出来ず彼女を見つめていると、急に彼女は顔を緩ませ話を続けた。


「それにお兄様は頭脳だけでなく、その見目も完璧な貴公子なのです。たまに見せる微笑みは天使のように尊く、見ているだけで心が浄化されていくようです。朝の気怠げな姿は、まだ青年ではないのに、すでにそこはかとない色気を漂わせています。日が差し込む書庫で勉学に取り組む真剣な表情や、壮大な青い芝生で馬を駆る真摯な姿は、一枚のスチルのように麗しく、それはもうこの世を超えた美しさを私に見せつけてくるかのようです。

 でもお兄様の一番素晴らしいところはその内面なのです!日頃たゆまぬ努力をしているにも関わらず、その苦労を微塵も表に出さない。家族だけでなく公爵家の使用人にもいつも優しく誠実な対応をしてくださいます。内面からにじみ出るその心の美しさが、私の心を打って離さないのです。」


 何か思い浮かべているのか、ほんのりと赤くなった頬に手を添え、彼女はうっとりとしている。



 あまりの彼女の勢いに、私は呆然としてしまった。何も言わない私の様子に気付いたのか、彼女はハッと我に返り、今度は私の目をしっかりと見つめて話し始めた。


「ジェイド様も人のことを貶すのではなく、ご自身を磨くことに時間を使ってはいかがですか。人に吐いた悪い言葉は、全て自分自身に返ってきますよ。私から見れば、お兄様はあなた様より数倍素晴らしい人物で理想の当主です。でもジェイド様も自分を磨けばヒーローとして素晴らしい騎士に……」

「うるさい!」

 

 アルベルトと自分を比較するような発言をされたことで、一気に頭に血が上ってしまう。

 話を続ける彼女の肩を、思わず強い力で押してしまった。



「きゃっ!」

――――ドサッ!



 彼女はよろけて、後ろへ勢いよく倒れこんでしまう。


「っ!すまない!」


 すぐに彼女を助け起こそうとするが、どこか打ったのか彼女の意識がない。



 慌てて人を呼び、すぐに彼女を王宮内の部屋へと運び入れ、医師に診せる。

 やはり頭を打っていたようだ。「命に別状はなく直に目を覚ますと思うが、詳しくは起きてからもう一度診察する必要がある」と医師から話された。

 

 不安な気持ちで彼女が目覚めるのを待つ。そうしていると、彼女の父であるロレーヌ公爵と私の父が彼女の眠る部屋へとやってきた。部屋に着くや否や、父はすぐにロレーヌ公爵に謝罪する。私も父の横で深く頭を下げた。

 ロレーヌ公爵は眠る娘の姿を見て怒りを隠さなかったが、私たちの謝罪を一旦受け取り、公爵家へと彼女を連れ帰った。



 家に戻ると、私は父からひどい叱りを受けた。

「政敵だからこそロレーヌ家を無碍に扱うことはできない。そして殿下の婚約者となる令嬢に怪我を負わせるなど、貴族としても騎士としても許されることではない。」




 その夜は、目を覚まさない彼女と怒りに満ちた父の姿が思い浮かび、一晩中眠ることができなかった。

 

(私も彼女に怪我を負わせたかったわけではない。もっと普通に会話をしたかったのに……)


 でも彼女のあの言い方はひどかったのだ。今回のことで父にもきつく叱られた。私もとても傷ついたのだ。


 

 そんなことを考えながら眠れぬ夜を過ごしていたが、ふとあの時彼女が言いかけた言葉を思い出した。


(ヒーローとは何のことだ……?)


 あの時の会話を思い出してみると、彼女は他にもよくわからない言葉を発していた。

 そして話は途切れてしまったが、あの時彼女は私に何を伝えようとしていたのだろうか。


(次に会ったら彼女に謝罪をして、そのことについても聞いてみよう。)


 アルベルトを悪く言ったことで彼女を怒らせてしまったが、それ以前の彼女の態度には、私に対する嘲りや嫌悪といった感情は見られなかった。アルベルトを悪く言ったことも、怪我をさせてしまったこともきちんと謝罪をすれば、友人のような仲になれるかもしれない。

 そうわずかに期待を持っていた。




***

 しかし、次に会った時、彼女の様子は先日とは全く変わっていた。


 冷たい表情に固い口調。その姿は気位の高い貴族令嬢そのものだった。

 こちらを見つめる視線にはあきらかな敵意を感じる。


 最初はやはり怒っているのだと思い、真摯に謝罪をした。

 そして、あの日彼女が言いかけた言葉の続きを教えてほしいと話をした。


 すると彼女は謝罪の言葉は受け入れたが、あの日私と話したことに関しては、「そんな話をした覚えはない」と素気無く言い捨て、私の前から去って行った。




 残された私は呆然とした。あの日とは全く違う彼女の態度に対してもそうだが、何よりも私と話したことを覚えていないという彼女の言葉に強くショックを受けた。




 あの後目覚めた彼女を診た医師は、彼女に悪い後遺症は残っていないと判断したらしい。彼女の容態を気にした父がわざわざ公爵家に問い合わせたのだ。

 怪我が原因であの日のことを忘れたわけではないはずだ。実際、殿下と顔合わせをした時のことを彼女は詳細に覚えていて、アルベルトにも話をしていたようだ。殿下のひどい対応を知ったアルベルトは、珍しく怒りに満ちた顔をしていた。



(なんて女だ。謝罪をしたにも関わらず、知らない振りをするつもりか。)




 それからも、殿下の側近として彼女に会う機会は多くあった。殿下の前であっても、彼女はもうあの日のような笑顔を見せることはなかった。



(あの女は猫をかぶっていただけだ。あの日は初対面の殿下に媚びを売ろうと、あんな態度を取っていたんだ。)




 それからは彼女に会う度、苛立ちを感じるようになった。淑女の見本と言われる彼女の姿を見る度に、私の心にどうしようもない黒い感情が積み重なっていった。




***

 やがてカルロス殿下と私は学園に入学した。あの女に会う機会は極端に減った。

 私はマテオス侯爵家の当主となるべく、粛々と準備を進めていく。


 しかしその後あの女も学園に入学し、苛立つ日々をまた送るようになった。


 カルロス殿下は、その年入学したとある子爵令嬢とすぐに親しくなった。

 マリーという名のその令嬢は、庶子であり最近子爵家の仲間入りを果たしたらしい。貴族社会にはいまだに慣れていない様子だ。

 貴族令嬢らしからぬその天真爛漫とした行動と無邪気な笑顔は、学園の男たちの視線を一気に集めた。庇護欲をかきたてる愛らしい見た目も魅力の一つだった。



 初めてマリーの笑顔を見た時、私は感じた。


(あの日の彼女ルシアに似ている――――)


 彼女ルシアの笑顔を思い起こした自分に驚き、慌ててそれを否定する。


(違う!あんな女とマリーの無垢な笑顔が同じなわけがない!)


 そう自分に言い聞かせた。




 学園生活をともにするにつれ、私はマリーに惹かれていった。


 「ジェイドといると落ち着いて幸せな気持ちになれる。ずっとジェイドといっしょにいたいわ。」


 マリーも私にそう言ってくれるようになった。マリーといると私の心も安らいだ。


 

 しかし、ある時マリーが泣きながら私に訴えてきた。あの女に嫌がらせを受けていると。


(あの性悪女め……!)


 殿下と親しいマリーのことなど気にも留めていないような顔をしていたのに、裏ではマリーをいじめていたのだ。


 すぐにあの女の周囲を調べたが、何の証拠も掴めない。仕方なしに王家派の人間を抱き込んで嫌がらせの証言を出させた。

 全てはマリーとの幸せな未来のためだ。




***

 しかしあの卒業パーティーの日。


 カルロス殿下の隣に立つマリーを見て驚いた。二人は恋人のように互いに身を寄せている。


 

 私の目の前に立たされた女に目を向ける。

 同じ景色を見ているはずなのに、こんな時でも彼女は凛として真っすぐに前を見据えている。



 無実を主張し、再調査を求める彼女に、殿下のたじろぐ様子が伺える。その姿に焦りが募る。



(このまま再調査が行われ虚偽が明らかになれば、私は王家の信頼を失い、マリーを悲しませることになるだろう。そしてこの女に――――)




 蔑みの視線を私に向ける彼女ルシアの姿が思い浮かんだ。




 その瞬間。


 私の体は動いていた。





 私の手に持った剣が、目の前にいた彼女の背に突き刺さっている。


 周囲に悲鳴が響き渡る。




 剣を抜くと、彼女の体は床へと倒れこんだ。その体からは血が流れ続ける。目の前のその光景は全く現実味がないものだ。




「――――ルシアっ!」

 

 アルベルトの悲痛な叫びが聞こえる。彼は目の前に倒れた彼女を抱きしめ、涙を流している。


 怒りと悲しみに顔を歪めたアルベルトに何かを問われた気がするが、自分がなんと答えたのかさえ記憶に残っていなかった。




***

 パーティーは解散となり、私とカルロス殿下はすぐに陛下に呼び出される。

 状況を説明すると、陛下は大きなため息をついた。そして完全には納得されていない様子だったが、何とか事を収めるよう動いてくださるようだ。



 陛下の元を辞して、カルロス殿下と二人になったところで、マリーとの仲を殿下に確認する。


 やはり二人は互いに想いを通わせた恋人同士のようだ。



(マリーが私に告げたあの言葉は何だったのだろうか……)

 

 一気に喪失感を覚える。



 ぼんやりとした頭で侯爵邸へと戻ると、すぐに父が姿を見せ、私に殴りかかってきた。最近では部屋から出てくることも少なくなっていたのに。陛下から侯爵家へと今日の話が伝わったようだ。



(私は正しいことをした。)


(側近として殿下とその想い人を守ったのだ。)



 しかし、ベッドに横になり目を閉じるとそこに浮かぶのは、目の前の血溜まりに倒れるあの女とそれに縋り付くアルベルトの姿だ。

 すぐに首を振り、その光景を頭から振り払おうとする。




(そういえば、結局あの日の話の続きを聞くことはなかった……)



 初めて出会ったあの日の彼女の笑顔が思い浮かんだ。


 なぜか胸が張り裂けそうなくらいに苦しい。




(すべて忘れよう。)



 そう心に決め、私は固く目を閉じた――――






*****

 いつの間にか眠っていたようだ。


 牢に一つだけある小さな窓からは、すでに日が差し込んでいる。



(朝か……。)



 ぼんやりとした頭で窓を眺めていると、こちらに向かってくる複数の足音に気が付く。


 

 どうやら処罰が決まったようだ。



 私は目を閉じ、静かにその沙汰を待った――――


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