アルベルトside 1
アルベルト視点の番外編が3話続きます。
その後、ジェイド視点のお話が1話、後日談が1話続きまして、完結となります。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
国の中核を担うロレーヌ公爵家の後継者。それが私、アルベルト・ロレーヌだった。
公爵家を継ぐため、幼い頃から多くの時間をその教育に費やしてきた。
感情に左右されず常に冷静に、正しい選択ができるように。
後継者教育は厳しかった。しかし私はそれに不満を感じたことはない。公爵家と国を守る父の姿は、幼い頃からの私の目標だった。
父は公爵としてはとても厳しかった。しかし彼は家族をとても大切にしていた。母は美しくいつでも穏やかな人で、いつも私を気遣ってくれた。
私には妹がいる。ルシアという名の、美しいブロンドと碧眼の瞳を持った愛らしい少女だ。
次期後継者の私とは違い、妹は比較的自由に育てられた。
幼い頃の妹は、その人形のように可愛らしい見た目からは想像がつかないほどお転婆で、屋敷の者たちをいつもハラハラさせていた。
彼女は歌が好きで、いつも意味のわからない歌詞で不思議なリズムをした歌を、らんらんと庭を駆け回りながら歌っていた。庭園に咲く花や木に留まった鳥たちを見て、大人たちには全くわからない言葉でそれらを呼んでは、不思議そうな顔をする私たちを見て大きな口を開けて笑っていた。
父や母も妹のその行動に困った顔はしていたが、無理に止めることはなくそのまま妹を見守っていた。私もそんな突拍子もない妹の行動を微笑ましく見ていた。私にはない、自由で生き生きとしたその姿を見ているのが好きだった。
しかしある時を境に、妹は奇想天外な行動を辞め、貴族の淑女らしい行動ばかり取るようになった。第一王子であるカルロス殿下の婚約者となり、王宮で妃教育を受けるようになった頃だ。
両親はそれを教育の賜物だと言っていたが、私は妹の人が変わったようだと感じていた。実際、彼女は昔自分が歌っていた歌も見知らぬ言葉も全て忘れてしまっていた。
しかしそれも幼い頃の記憶が薄れたためだろうと、次第に私や公爵家の皆の記憶から忘れられていった。
***
学園に入学してからも、公爵邸に戻れば私の穏やかな日々は変わらない。
すっかり淑女となった美しい妹は、慣れない学園生活に疲れた私をいつも気遣ってくれた。私のためにお茶を入れる練習をし、リラックス効果のある茶葉を調べ、私のために用意をしてくれる。父や母も、家に戻った私にいつも労いの言葉をかけてくれた。家族で過ごす時間は私にとっての癒しの時間だった。
しかし、ある時から王宮から帰ってくる父の様子がおかしいことに気付き始める。
その頃、学園ではとある噂が広がっていた。王家とロレーヌ公爵家との間に、軋轢が生まれていると。
ある日、学園から戻った私は父の執務室を尋ね、この噂の真相を父に直接尋ねた。父は最初は話すのを渋っていたが、やがてそれについて語り始めた。
「今、王家と一部の貴族の間で、新しい税の法案が検討されている。これまで領主に直接納められていた税の一部を、国の中央政府が全て集約し、そこからまた各領地に配分するというものだ。この法案が通れば、貴族の力は削がれ、王家の権限を一層強めることにつながる。」
父の言った通りになれば、貴族派の人間は当然それに反発するだろう。王家派と貴族派の争いが一層激しくなるに違いない。
「我がロレーヌ公爵家はこの法案に反対している。この案を進めるのは性急すぎる。提出された原案も精度に欠けていた。議論を重ねずそんな法案を通せば、必ず各地で混乱が生じる。その影響を最終的に受けるのは、領地に住まう民たちだ。……今の陛下は王家に力を集めることに尽力し過ぎている。このままでは王家と貴族とのパワーバランスが崩れ、国が荒れることになる。」
王家派と中立派の貴族の対立も進んでいるという。中立派の筆頭は我が公爵家だ。王家派と貴族派のパワーバランスを保つのが、建国当初からのロレーヌ公爵家の役割だった。
父はそこまで話すと、「まだ学生のお前が心配しなくとも大丈夫だ」と言って、私を部屋に戻した。
確かに今の私に出来ることはない。歯痒さを感じるが、今は公爵家の次期当主となるため、力を蓄えるしかない。
***
それからしばらく経ち、私が学園を卒業し、父の領主としての仕事を手伝い始めてすぐの頃だ。
領地に視察に向かった両親の馬車が事故にあったのは――――
両親の乗った馬車は通常とは違うルートを進み、足元の悪い道を通って崖下へと転落した。その日は天気も良く、慣れた御者が動かす馬車は何の問題もなく領地に着くはずだった。
父からあの話を聞いた後だ。私はこの事故にきな臭さを感じていた。しかし独自に調査をしようとすると邪魔が入る。当主としての仕事も嵩み、事故の調査は思ったように進まなかった。
それでも調査を辞めることはなく、少しずつ情報を集めることに決める。
公爵家の当主としての仕事は多忙を極めた。学園に通う妹とは、話す時間もなかなか取ることができない。カルロス殿下の不貞については耳に入っていた。しかし当の妹が気にしていないようだったので、そのまま様子を見ることにしてしまった。
(もし卒業後も、あの子爵令嬢との交流を辞めないようなら、妹との婚約は解消させよう。)
そう思い、殿下の不貞の証拠を集めてはいたが、この件を放置してしまったのだ。
***
ある日、中立派の貴族との会合のため外出をしたが、その先で馬車が故障した。馬車を修理する間、街を歩き時間をつぶしていると、突然近くから女性の叫び声が聞こえる。
「っ!泥棒よ!」
その声のする方を見れば、女性がこちらに真っすぐ目を向けている。慌てて自分の荷物を確認する。父から譲り受けた時計がない。すられたようだ。
護衛に指示を出そうかと振り返れば、先ほどの女性がスリの去ったほうへと走っていくのが見える。
(まさか追いかける気か……!)
慌てて自分も後を追う。護衛にも指示を出し、彼女を追わせる。追い付いてみれば、古びて薄汚れた建物に、彼女は今にも乗り込もうとしていた。
慌てて止めに入る。話を聞けば、やはり先ほどの男はあの建物に入って行ったらしい。
(なんて危ないことをする令嬢だ。)
護衛に指示を出し、彼女を安全な場所に移動させる。建物に入れば、すぐに男と時計は見つかった。男は町の警備隊に引き渡すよう護衛に伝える。
彼女の元へと戻れば、そわそわした様子で私が戻ってくるのを待っていたようだ。
私の姿を見つけて明らかにほっとした表情を見せる。あんな男に怪我でも負わされると思っていたのだろうか。
お礼をしようと名を聞けば、逃げ出してしまった。彼女は足が速い。
彼女の服装からどこかの貴族だとはすぐに検討がついた。調べてみれば、ベリー子爵家の長女のようだ。
彼女がデビューする夜会に足を運ぶ。すぐに彼女は見つかった。あの時とは違い、真っ白なドレスに身を包んだ彼女は、妖精のように可愛らしい。
見惚れていると、彼女もこちらに気づいたようだ。すぐに声を掛けてくるかと思ったが、一向にその気配がない。そのまま夜会は終わってしまった。
その後も彼女が参加しそうな夜会には顔を出した。しかし彼女は全くこちらに近づいてこない。明らかに私に熱をもった視線を向けているのに。
それが何だか腹立たしい。私も意地になって自分からは声を掛けられない。
ある時、行儀見習いの希望者のリストに目を通していると、そこに彼女の名前を見つけた。
すぐに採用を決める。
同じ屋敷にいれば声を掛ける機会もあるだろう。そう期待している自分に気づき、すぐにその邪念を振り払う。
(これはあの時の彼女へのお礼の気持ちだ。)
そもそも彼女は社交界での評判が良い。採用は当たり前のことだ。そうやって自分の決定に必死に言い訳をしていた。