10
ドサッ!
体の衝撃とともに目が覚める。
頭がぼんやりして意識がはっきりしない。
なんとか目線だけを動かすと、何やら見慣れた景色が広がる。
この豪華絢爛な空間は――――王宮の広間だ。
自分の姿を見てみると、両手は後ろで縛られ、冷たい床に転がされている。床に投げおろされたのだろうか。体のあちこちが痛む。
もう一度周りを見れば、少し距離を置いたところに豪華な衣装に身を包んだ人々の姿が見える。
目を凝らして見てみれば、その中に第一王子のカルロス殿下の姿を見つけた。その腕の中にはきれいなドレスに身を包んだマリー子爵令嬢もいる。
そして一段と高い壇上には、なんと陛下の姿があった。
予想だにしない高貴な方の存在に、驚きで声が出そうになるが、口を塞がれていてくぐもった声しか出ない。
「ゔっ!」
驚いている間に、後ろから服を掴まれ無理やりその場に座らされる。
「ベリー子爵家のシャルル。陛下の御前だ。跪け。」
冷たい声が頭上から聞こえる。
思わず振り向いて見れば、そこにはあの日と同じ騎士姿のジェイドがいた――――
*****
「この娘がマリー子爵令嬢の誘拐を目論み、反王家の組織に手を貸したということか?」
陛下の威厳に満ちた冷たい声が響く。
「おっしゃる通りでございます。組織の人間とこの娘が密会しているところを我が家の騎士が発見し、捕らえました。」
ジェイドは表情を変えず、淡々と陛下の問いに答えていく。
私はこの状況を全く理解できない。ジェイドの言うことに全く身に覚えがないのだから。
混乱した頭のまま、周りの景色を見る。すると一つの場面が頭に浮かんだ。
あのゲームのクライマックス――――ここはアルベルトの断罪が行われた広間だ。
しかし、ゲームでは大勢の貴族に囲まれていたが、今ここには陛下や王子たちの他には数人の従者と騎士がいるだけだ。そして、ここで罪に問われているのは子爵令嬢である私。
(ゲームの展開と変わってる……)
アルベルト様が断罪されずに済んだのは喜ばしいが、まさか一度死んだのにまたこのような断罪劇に巻き込まれるとは。
しかも今度は陛下の御前だ。ここで罪を問われれば処刑は免れない。
絶望する私をよそに、後ろにいるジェイドはマリー様誘拐の顛末をスラスラと語っていく。その内容はまったく身に覚えのない偽りのものばかりだ。
あの商団の馬車も含めてジェイドの罠だったのだ。あの後公爵家のみんなは無事だったのだろうか。アルベルト様は――――
「以上のことから、この女が今回の誘拐事件に加担し、反王家の組織に手を貸したのはまぎれもない事実だと思われます。そしてこの娘が勤めていたのはロレーヌ公爵家。ルシア令嬢の件で恨みを持った公爵家の関与も考えられます。」
ジェイドは淡々と公爵家の罪についても言及する。
(なんてこと言ってんだ!)
ここにきてこの男は、ロレーヌ公爵家、つまりアルベルト様を巻き込んで罪を着せてきた。
(私に冤罪の罪をかぶせるだけでなく、公爵家まで巻き込むなんて……)
思わず鋭い目でジェイドを睨みつける。その視線に気づいた彼は表情を歪め、私の背を剣の柄で強く押してきた。
その強い力に前のめりに倒れ、床に頬をぶつける。
「生意気な目をするやつだ。あの女を思い出して虫唾が走る。」
ぼそっとつぶやいた声が私にだけ聞こえる。この男の言うあの女とは、ルシアのことだろうか。私はそんなにこの男に恨みを買っていたのか。
「ジェイド。お前の言うことが真実であれば、この娘は即刻処罰しなければならない。そしてロレーヌ公爵家にも罪を問わなくては。とにかくすぐにロレーヌ公爵家の当主を……」
トントン。
そう陛下が口にしたところで、広間のドアがノックされる。
「こんな時に誰だ?」
陛下の苛立った声が広間に響く。扉に控える騎士がすぐに来訪者を確認する。
――――扉を開けた先にいたのは、アルベルト様だった。
陛下はその姿を見て、驚きの声をあげる。
「まさかまだ呼んでもいないのに、ロレーヌ公爵がここに来るとは。」
アルベルト様は陛下に対し丁寧な礼を取った。
「陛下、突然の謁見で失礼いたします。我が家の使用人がこちらにいると聞きまして、急ぎこちらに参りました。」
そう言ってアルベルト様は私に目を向ける。床に跪いた私の姿を見て、顔を歪める。
「なぜ我が家の侍女がそのような姿で、陛下の御前に跪いているのでしょうか?」
「今回、カルロスの婚約者となるマリー嬢が反王家の組織に誘拐されるという事件が起きた。そこの娘は組織の協力者としてジェイドが捕らえてきたのだ。」
アルベルト様は強い視線をジェイドに向ける。ジェイドも冷たい視線でアルベルト様を睨みつけている。
アルベルト様は陛下に視線を戻し、冷静な声色で話を続ける。
「陛下、どうやら誤解があるようです。そこの侍女はそのような事件に全く関係しておりません。今日も我が公爵邸で仕事に勤しんでいたはずです。」
「我が家の騎士が、この娘を反王家組織の隠れ家で捕らえたのだ。その証拠となる文書もここに揃っている。」
ジェイドはアルベルト様の話に割り込み、何やら証拠の文書を突き付けてくる。
「おかしいですね。私が手に入れたものと似ているが、内容は随分と違っているようだ。」
アルベルト様はそう言って、自分の持っていた複数の文書を陛下の傍に控えていた従者に渡す。従者はその文書に目を通すと、慌てた様子ですぐに陛下にそれを手渡した。
訝しげな表情でそれを見た陛下の顔色が、みるみるうちに変わっていく。
「……ロレーヌ公爵。これに書かれていることは全て真実か?」
「もちろんです。王宮の者で確認していただいても、それが真実だということはすぐに明らかになるでしょう。」
アルベルト様のその冷静な物言いに、陛下の顔色はどんどん悪くなる。
「うむ……。ジェイド。すぐにその娘を解放しろ。」
陛下はすぐに命令を下した。
しかしそれにジェイドは反対の声をあげる。
「陛下!なぜですか!?この娘は反王家に加担して……」
「黙れ!お前の所業は全てわかっている。公爵家を敵にして、こんなことを仕出かすとは……。」
陛下はそのまま、アルベルト様の渡した文書をジェイドに向かって投げ捨てる。彼はすぐにそれを拾い上げ目を通した。みるみるうちに彼の形相が変わっていく。
「これは……これをどこで手に入れた!?」
ジェイドは激昂して、アルベルト様を問い詰める。
対するアルベルト様はあくまで涼しい顔でその問いに答える。
「公爵家の影を舐めてもらっては困る。それにそういった重要なものは、自分自身の手で処分するべきだったな。」
チラリと見えたその文書には、王家派の貴族の名前とその隣になにやら細かく書き込みがされている。
二人の言い合いに口を挟んだのは、怒りの顔をした陛下だった。
「ジェイド。お前には後で詳しく話を聞き、その処罰を決める。騎士たちはすぐにこの者を捕らえよ。」
陛下が部屋に控えた騎士に命じる。すぐに騎士たちはジェイドを拘束する。
「父上!お待ちください!なぜジェイドが……」
それまで黙っていたカルロス殿下が突然叫び出す。ずっと混乱した様子でこちらを見つめていたが、どうやら今も状況は把握出来ていないらしい。
「そこにいるジェイドが、マリー嬢の誘拐を計画した首謀者ということだ。」
陛下は忌々しいといった口調でそう吐き捨てる。
「陛下。ルシアの冤罪事件についても再調査をお願いします。」
陛下がジェイドの罪を明言したところで、アルベルト様はすかさず陛下に言い募った。
その言葉に再び陛下は顔を歪めた。
「わかっている。ルシア嬢の事件についても、ジェイドによる虚言の可能性が高い。王宮できちんと再調査を行う。」
「ジェイド!なんでだ!?どうしてこんなことをした!?」
陛下のその言葉に発狂したカルロス殿下は、今度はジェイドを問い詰めた。
殿下のその言葉に、感情のない声でジェイドが答える。
「……マリーが言ったからです。マリーはいつも嘆いていました。ルシア嬢は、マリーが庶民出身だから高位貴族の相手にはふさわしくないと言ってくると。このままだと私たちから引き離されてしまうと不安がって泣いていた。だからルシア嬢を排除しようと考えたのです。あの女は皆の前で罪を追求すれば、すぐに怒りに身を任せて醜い正体を現すかと思っていました。しかし、そうしないで冷静に殿下に自分の無罪を訴えてきた。絆された殿下にもう一度調査されると困る。だからあの女を刺しました。」
「なんてことを……」
あまりのひどい主張に思わず声が漏れる。なんて短絡的で自己中心的な考えだ。
ジェイドはそんな声には耳を貸さず、そのまま話を続けた。
「私がそこまでしたのに、マリーは殿下を選んだ。私とずっといっしょにいたいと言ってくれていたのに……。だからマリーが傷物になれば王家に嫁げなくなると思いました。私の元に戻ってきてくれると。アルベルト公爵はルシアの事件を再調査していて邪魔だった。この女も何か探っているようだから罪を着せて、公爵家もろとも追いやってやろうとしたのに……。」
最後には顔を歪め、憎々しげにそう言い放ったジェイドの思考が、私には理解できない。
マリー様の愛を自分に向けるために、こんなことをしたというのだろうか。
マリー様に目を向ければ、彼女はジェイドを見て顔を真っ青にしながらガクガクと体を震わせている。カルロス殿下は、そんなマリー様に掴み掛かり、「ジェイドに言ったことは本当か」「自分だけを愛していると言ったではないか」と、半狂乱になって彼女を問い詰めている。
「静かにしろ!早くその罪人を連れて行け!」
陛下は頭を抱えて騎士にそう命じる。
ジェイドは憎々しげな表情を浮かべたまま、アルベルト様を睨みつけて部屋を出て行った。
ジェイドが出ていくと、床に残された私の元へ、アルベルト様がすぐに駆けつけて来てくれた。床に膝をつき、私に手を差し伸べてくれる。
「シャルル、遅くなってすまない。痛いところはないか?」
アルベルト様の優しい声色に涙が溢れてくる。大丈夫だと伝えたいのに声が出ない。
アルベルト様はそのまま優しく私の手を取り、その手に支えられて立ち上がった私の腰を抱きしめて自分のほうへと引き寄せる。
「陛下。彼女はこのまま公爵家に連れて帰ります。」
「もちろん許可する。」
疲れた様子で陛下はそう答えた。
「今回のことは後で正式に説明していただきます。他の貴族も交えた席で。」
アルベルト様がそう伝えると、陛下は顔を顰めて「……わかっている」と答えた。
*****
退室の礼をして王宮の廊下に出ると、アルベルト様は私を抱きかかえてすぐに歩き出した。王宮の門の前に止まった公爵家の馬車に乗り込むと、すぐに馬車は動き出す。
馬車に乗った後も、私はずっとアルベルト様の膝の上だ。
「アルベルト様……。この体勢はその……アルベルト様のご迷惑にもなりますので、下ろしていただけると……」
さすがに距離が近すぎる。恥ずかしさに離してほしいとアルベルト様に訴えるが、逆に抱きしめる腕の力を強くされた。
「お願いだ。もう少しこのままでいてくれ。」
アルベルト様は私の肩に顔を埋め、かすれた声でそう懇願する。
「君を失うんじゃないかと本当に恐ろしかった。ルシアの時のように間に合わなかったらと……」
そう話すアルベルト様の声は震えている。私を抱きしめる腕の力が一層増す。
「私もこわかったです……」
大丈夫だと言おうと思ったのに、私の口から零れたのはそれとは真逆の言葉だった。
二度も身に覚えのない罪を着せられ、人々に追求されてこわかった
またあのジェイドの冷たい剣に刺されて死ぬんじゃないかとこわかった
もう二度とアルベルト様に会えなくなるんじゃないかとこわくて仕方がなかった――――
涙がぽろぽろと零れ落ちていく。アルベルト様にしがみつく手が震えてしまう。
私が泣いていることに気づいたのだろうか。アルベルト様は私から少し身を離し、こちらの顔を覗き込んでくる。
「シャルル。こわい思いをさせてすまない。」
アルベルト様は何も悪くない。力なく頭を横に振る。
それでも涙は止まってくれない。頬を流れる涙をアルベルト様が優しく拭ってくれる。
「シャルル。君を失わずにすんで本当に良かった。もう私は君がいない日々を生きてはいけない。――――君を愛してる。」
アルベルト様の突然のその言葉に、思わず目を見開く。視線の先には、優しい微笑みを浮かべた彼の姿があった。
「シャルル。愛してる。どうか君の心全てを私に預けてほしい。」
その瞳が妙な熱をもっているようで、じっと見つめられると、もう何も考えられない。
「――――私もアルベルト様を愛しています。」
私の口から自然に言葉が零れる。
(そうだ。私は彼を愛している。もうずっと前から……)
私の答えを聞いたアルベルト様は、その顔に満面の笑みを浮かべた。それはルシアの時にもゲームの中でも見たことのないほど、美しくてとろけるような甘い笑顔だ。
顔を赤くしてアルベルト様を見つめる私を、彼は強く引き寄せる。
そしてそのまま優しく私に口づけた――――




