私の中の誰か
「人ニ優シクシナサイ!」
いつも体の中で何かが叫ぶ。
「イィ!今ハ時間ガ無インダカラ!」
何かがまた叫ぶ。
いつも彼らは喧嘩する。
私の中で彼らはいつもいがみ合う。
時間がない時にも“優シクセヨ”と、彼は叫ぶし、
誰かが困っていても“気ニスルナ”と彼は叫ぶ。
時間がない時にも人を意識できるほど、お人好しでもなけりゃ、誰かが困っていても無視できるほど、澆薄でもない。
どちらかの意見を通せば、気分が悪くなる。
でも、どちらかの意見を通さねば、私は判断出来ぬ。
恐ろしげに判断をすれば、彼は笑い、そして喜び、彼は泣き、そして怒る。
私の中ではいつも彼らがいる。
彼がいなけりゃ、私は笑えぬ。
彼がいなけりゃ、私は怒れぬ。
彼がいなけりゃ、私は決めれぬ。
彼がいなけりゃ、私は善人とも、悪人ともなれぬ。
どちらかでいなけりゃならん。
そうじゃなけりゃ、誰も周りにはいなくなる。
善人ならば、善人が寄り、悪人ならば悪人が寄る。
どちらが寄って来てもよい。
だが、どこかで笑える友が欲しい。
彼らが、叫ぶのはいつも、私が迷った時だけだ。
私が迷えば迷うほど、彼らの叫び声は大きくなる。
耳を塞ごうが何をしようが、彼らの声は聞こえる。
ウルセェと、叫べればどれほどまでに心地よかろうか。
ダマレと、号べれば良いのか。
何も言えず、ただ耳を塞ごうとしか出来ぬ私はまるで、曇り空の雲のようだ。
彼らは私で私が彼らでありながら、私は彼らでいたくなどはないし、彼らも私ではいたくない。