誇り
「もっと腰を落として、引かない! 一撃が軽い、足を止めないで、剣が下がってる!」
ジェーダンが王都へ発ってから、カタリナはジュリスを1日中限界まで追い切っていた。何度も潰れたマメの上にまたマメが出来ては潰れ、握っている木剣の柄は赤く染まりきっていた。それに比べてカタリナは同じ時間剣を握っているが、血どころかマメすらも出来ていない。
涼しい顔でいつもの優しさが嘘のように叫び散らし、疲労でジュリスが崩れた所を容赦無く打ちのめす。
さらに立ち上がる前に追撃を繰り返し、何度も何度も地面に転がす。動かなくなったのを見てようやく止まり、持っていた木剣を地面に突き刺して先に山から下りる。
すぐに意識を取り戻したジュリスはいつも通り突き刺された木剣を引き抜く。
自分の剣よりも何倍も重いそれを抱えて山から下りるのは辛く、満身創痍の足に刺すような冷たい風で、足が前に出なくなる。それでもカタリナは姿を表さず、1夜掛けて暗い山を下り切る。
倒れ込むように教会の扉を開いて中に入ると同時に極度の疲労で意識が飛び、目が覚めると必ずベッドで寝ている。そしていつも目が覚めるとすぐにカタリナが部屋に来て、石鹸と桶とタオルを渡されて川に体を洗いに行く。
山の上流の川はとても冷たく、傷に滲みるのを我慢して汚れを洗い流す。
「今日はお休みですが、打ち込みはやって下さいね。私は少し出掛けますが、何か必要な物はありますか?」
「無事帰って来てくれれば良いよ」
用意されたパンとベーコンエッグを食べながら親父に貰った剣を眺め、窓から差す光に当ててから顔の前に掲げる。おでこが当たるか当たらないかの所まで近付け、英雄になると夢を掲げながら祈る。剣を背中の鞘に仕舞ってご飯を食べきり、裏庭の藁人形相手に木剣で打ち込みを始める。
「大変だ! 麓に騎士が来て村に火をつけやがった、おいジュリス、シスター……は。誰も居ねぇ」
村の危機に走ってきた農夫のおやじは、この時間は庭で打ち込みをしているはずのジュリスに呼び掛けたが、そこにあるはずの姿は無かった。
「本当に親父が死んだのか」
ふわふわな毛の生えた尻尾をゆらゆらと不機嫌そうに揺らす狼に、ジェーダンに貰った剣を握ったジュリスは聞く。
「仲間が確認した。王国の広場に張り付けられてるのをな」
手近な木に拳を叩き付けて怒りを表してみるが、少し分かってしまっていたからか、それ程動揺もしなかった。布の面積の狭い獣人から目を逸らしつつ、それでいて話が出来る様に煙の上がった山の麓を見る。
「獣人の国に来い。お前の父親の生まれた故郷に」
「俺はこの村を守りたいんだ。ここには、親父の守りたかったものがある」
「それくらいなら待てる、精一杯抗ってみろ。私ら獣人が居ると戦争になりかねない、悪いが手は貸せないぞ」
「親父に任されたんだ。カタリナに託された、だから大丈夫。そっちの都合もあるのは分かってる」
家に帰って必要なものをまとめて持ち出し、獣人の待つ場所に置いてから教会まで戻る。
シスターの用意した致命傷を避けるための必要最低限の甲冑を纏い、窓ガラスを通り抜けて陽の降り注ぐ床に立って剣を掲げ、今度はおでこを剣に当てて祈る。
「よく聞け! 王命が故に村は焼くが、私は罪のない民を殺したくはない! 必要最低限の荷物を持って逃げろ!」
外から聞こえるおかしな言葉に教会から出ると、金色の鎧を纏い馬に跨った騎士が、村の人たちを避難させていた。それに従う騎士たちも村から略奪も暴力も無く、ただ黙って避難するのを見ている。
「少年も早く逃げろ」
「何でこんなことするんだよ」
「私は罪の無い者を殺す気は無い、早く行け」
「そうじゃない。何でこの村を焼くんだ、殺さなきゃ恨まれないとでも思ってるのか」
「おいクソガキ! ゲルダ様はせめてもの慈悲として──」
「良い。その通りだ少年。すまない、私とてこんな事はしたくないが王命なんだ。ならばせめて、命だけでも救わせてほしい」
隣の騎士を制した女は兜を脱いでジュリスに顔を見せ、頭を下げて馬から下りる。そのまま歩み寄って来る首に狙いを定め、ぎりぎりまで引き付けてから剣を振り抜くが、寸での所で受け切られる。
「俺たちは路頭に迷うだけだ。ここで生かされても、明日には命を落とすかもしれない。もっと辛い思いをして、その末に死ぬかもしれない。なら俺はこの村と一緒に死ぬ」
「頼む少年。私は、もう騎士としての誇りを失いたくない。お願いだ、私の首はやれないが、どうか逃げてくれ」
「お前らに攫われたアンジェリークって女の子が居るな、無事なのか」
「あぁ、私が預かっている。不自由はさせない、私が命をかけて守る」
「もう1つ。ジェーダンが、親父が死んだってのは本当か」
「……本当だ。聖騎士も2人やられたが、君の父は私を含め他の聖騎士が討ち取った」
「じゃあお前たち騎士に誇りなんてない! 憧れを、俺たちから夢を奪うなよ!」
避けれるであろうジュリスの拳を頬に受けたゲルダは2歩後ろによろめくが、何もせずに黙って頭を下げる。それを見てもう1度振るおうとしていた拳から力を抜き、獣人の待つ森の中に歩き出す。