ひしめく思惑⑥
「離して──戻りなさいよセイン!」
「暴れないでほしいにゃ……意識保つのでやっとなのにゃ」
体内で起きた出血によってお腹が膨れても尚走り続けるセインに咥えられたミアハは、何度も後ろ足でセインを蹴るが、ずっと「痛いにゃ」と時々返すだけだった。
「死ぬのよセイン! 早く止まりなさいよ!」
「分かってるにゃ……分かってるにゃ」
「分かってるなら早く止まりなさいよ!」
「……にゃ…………も……………………ゃ」
ひとりでずっと騒ぎ立てていたミアハを咥えていた口の力が突然緩くなり、地面に放り出されて暫く慣性に引きずられてやっと体勢を立て直せる速度に落ちて地面に足を着く。頭を打って少しふらつく視界の端に、虫の息で目を閉じかけているセインが後ろに見えた。ずっと何かを聞こえない声で呟き続けているセインに駆け寄り、応急処置をしようと治癒の魔法紙を取り出す。
「こんなになるまで何してんのよばか」
「し……は……わ……ゃ」
「聞こえないわよばか」
魔力が無いに等しい獣人には、着火剤である魔法紙の発動に必要な火種となる微量の魔力すら無く、この場においてのただの紙切れは何も応答しない。何度も手を掲げて目に見えない精霊に呼び掛けるも、魔力に愛されない獣人には見向きもしない。
「助けなさいよ、こんなにも困ってるのに。少しだけで良いの!」
どうしようもなくなって泣きながら縋るように何度も呼び掛けるミアハだが、かつての賢者が生み出した凡人への譲歩すら事足りない。
「死ぬ……は、こわ……にゃ」
遠くで巻き起こっていた土埃が徐々に戦乱を引き連れてこちらに間延びし、手負いの狼とそれに気を取られた獣人を見付けた人間が馬を駆り、既に取った後の褒美に顔を喜びに満ち溢れさせながら剣を振り下ろす。
「しっかりしろミアハ、俺らはまだ負けてねぇぞ。ベルベットたちだ」
ミアハに襲いかかった隙だらけの騎兵の腕を斬り飛ばしたのは、意識の無いカオンに肩を貸していたぼろぼろのジュリスだった。子どものように泣くミアハの頭をわしゃわしゃと不器用に撫で、ぎゅっと抱き寄せてからしっかりしろと肩をぽんぽんと叩く。
「遅いのよばか」
「急いで来たんだけどな」
息をしているのかも定かではないセインの隣にカオンを寝かせ、ミアハの置いた魔法紙に手をかざしてあるのかも分からない魔力を注ごうと試みる。
「どうするんだ、魔力を注ぐって」
「力を送るの。愛情と一緒ってママが言ってたわ」
鼻声の不細工な声でジュリスの手の甲に手を添えたミアハに言われた通りにしてみると、魔法紙から光が溢れてカオンの体の外傷を数秒で塞いでしまう。その様子と呼吸が少しずつ正常に戻ったのを見て、体の中まで治ったことが分かる。
2人の無事を見届けて役目を終えたと言わんばかりに糸の切れたジュリスが崩れ落ちる。2人と同じ状態なのに加えてカオンを背負ってここまで追い付き、更には慣れない魔法を間接的に使ったことによる疲労で、いっぱいいっぱいの体が遂に活動を諦める。
「あぁぁ……私、どうすれば良いのよ。何も、できてないじゃない」
誰かを癒す魔法紙も無くなった戦場の隅でがっくりとうなだれるミアハの手を掴み、「まだだ、次はどこだよ……連れてってくれるんだろ。諦めんなよ」とジュリスの言葉に「考えてるだけよバカ」と返すが、夢でも見ているような独り言かと思わせる程微笑みと沈黙で終わる。
「もー! やってやるわよ!」
ぎゅっとジュリスの手を一瞬握り返して力を借り、狼に姿を変えて足を伸ばす乱戦の中で3人を守りながら立ち回る。右に左に派手な動きでなぎ倒す姿と、唯一の赤毛が悪目立ちし始め、部隊長クラスの将校が集まるようになってしまう。
徐々に傷を受ける数も増え続け、倒れ伏す3人の内、1番近い場所に居たジュリスの手に後ろ足が触れる。これ以上下がれないと焦ったミアハは起死回生の一手として真ん中を喰い破ろうと飛び出したが、遥か後ろから届いた矢に左足を射抜かれて着地もままならないまま落ちる。
「ふぅっ……負けないんだからぁ!」
堪えきれなくなった涙をぼろぼろと流しながら3本の脚でなんとか踏ん張るも、確実に仕留めようとにじり寄る包囲網に隙など無かった。
「やっと見つけた弟の仇がこの程度とはな。やったのは本当にお前か? 薄汚い犬っころ」
「ふん。あの森でケルシーをやってくれた雑魚の兄ね。私のファミリーを傷付けたら、傷付けたやつの仲間も全員死んでもらうんだから」
「泣くだけしか脳の無い犬畜生風情が、殺せ!」
その合図で止まっていた包囲網が一気に狭まり、もう抵抗する力も残っていないミアハは一瞬空を見る。その一瞬だけで様々な事が頭の中を巡ったが、全て断ち切って雄叫びをあげる。
戦場の真ん中まで聞こえる雄叫びを合図にして包囲網の所々が突然抜け落ち、既に事切れた状態で空から人が降り注ぐ。




