ひしめく思惑④
迫り来る隙の無い大剣。それ以上にこの身を押し潰さんとする威圧感と重圧。呼吸もままならない苦しみから、何とか逃げずに足を震わせながら前のめりに構えてみても、極度のストレスを感じた体がほつれて鼻から血が流れ出る。それでも降り注ぐ重い一撃に捕まり、意識が遠退いて光が途切れる。
真っ暗闇の中意識だけが戻る。指を動かそうと力を入れてみるが動く気配がない。そもそも、自分に体があるのかどうかも定かじゃない。それが分かると何故か心だけはあるようで、それに気付いた心から寂しさが留まることを知らない。
『皆に会いたい。シスター、ジュリス、アルト、ゲルダさん……お父さん』
もうどうしようもなくなって沈んでいく一方の意識の中、赤い光が遠い彼方で微かに光る。それがどんどん眩くなっていって、徐々に体が温かくなっていく。次にぱちぱちと何かが小さく弾ける音、微かな光、お腹の空く良い匂い。
ようやく息が出来た気がした驚きで溺れかけ、焦りながら重く感じる腕を振り上げると小指が痛む。
「わわっ、危ないですよ」
やっと戻って来た視覚に映ったのは自分と変わらないくらいの女の子だった。だが鍋を持っているからには恐らく料理中なのだろうが、何故か立派な装飾の施された剣を帯剣している。
だが少し考えてようやくわざわざ拾われたかに合点がいき、素早く鍋を蹴り上げて見えた唯一のドアに手を掛ける。
「わわわっ! セーフです」
固く閉じられたドアを諦めて素手のまま構えて振り返ると、どうやったかは分からなかったが、一切中身をこぼしていない鍋を受け止めてほっとする少女がこちらを向いていた。
「はじめまして、ティメリア騎士のココです。シチュー食べますか?」
「食べない。ここから出して」
どろどろしたシチューだから撒き散らさなかったのかと謎は解けたが、ティメリア騎士なのにこんな離れた小屋に連れてこられた謎が、まだアンジェを警戒させていた。
「食べないと傷も治りません。逃げないなら出してあげますので、どうぞこの席へ」
木のテーブルに鍋敷きを置いてすぐ隣の席へとアンジェを促し、奥にあるキッチンから2つの皿と木のスプーンを持ってもうひとつの椅子に腰掛ける。
「安心してください。殺すなら眠っている間に殺していますし、あるお方からの命令で少しの間匿っているだけです」
気が抜けるといつの間にか体はお腹を空かせていたらしく、控えめに主張したお腹に諭されて仕方なく席に着く。
「安心してくださいアンジェリークさん。私は貴女の味方です」
「じゃあ、あの砦防衛戦はどうなったの?」
「残念ながら負けてしまいました」
「ゲルダさんとティメリア軍は?」
「ガゼルさんの軍に合流するためにひとつ内側のケーン砦まで下がりました。ですがゲルダさんの善戦のお陰で敵は勢いを削がれ、兵力の有利も無くなったため侵攻の足を止めました。とココは予想しています」
「……え? からかわれた?」
あまりにも喜べない結果に悔しさを滲ませ始めていたアンジェは理解するのに少し時間が掛かり、自信の無い小さな声で掬いかけたシチューから顔を上げる。少し微笑みながらシチューを食べるココは視線に気付いて目を合わせ「貴女を逃がす為に撤退前に砦を出たので、結果と現状はココにも分かりません」と他人事のように言う。
「じゃあ尚更早く戻らないと行けないんじゃないの? あそこは国門で抜かれたら甚大な被害が──」
「大丈夫です。ガゼルさんは大陸屈指ですから。それこそ倒せるとすれば連邦の【雷帝の花嫁】、傭兵である【砂漠の賞金稼ぎ】、帝国6騎将の【月長石】くらいですので」
「どれくらい強いの? ゲルダさんよりも?」
「どれくらいと言われましても。対人であれば魔法により相性もありますが、皆さん全力を出せばティメリア王都の半分が焦土になってしまいます」
「じゃあ騎士も訓練も意味無いじゃん」
「大きな魔法は反動も大きいですから、それに魔力は尽きると死に至ります。回復も遅く、連戦や持久戦に弱いと言う弱点もあります」
やけに詳しく分かりやすい答えについ警戒心が薄まって聞き入っていたアンジェは、もう余計な事を考えずに信用する事に決めた。具材の少ないシチューに手を付けてひと口食べてみると、微笑みながら食べてしまうのが少し分かってしまう。
「アンジェさんも魔法を少し使っていましたね」
「うん。頭叩かれ過ぎて覚醒したのかな、なんか温かい力が沸き起こって、体がふわって飛んで行きそうで。でもあんまり覚えてないかな、何を喋ってとかどうやって魔法を使うかとか」
「どうでした、ヴィルゴと剣を混じえてみて。やはりお強いですか」
「そんなに大きな差は無いように感じたけど、最後ので手加減されてた事に気付いたから、今じゃ勝てない」
「はい。仰る通り、実際ヴィルゴは半分以下の力で、何故か貴女を殺さないようにしていました」
「それはいくら何でも侮り過ぎ! 何で貴女にそんな事が分かるの」
「もう少しお話したかったですが、どうやら囲まれてしまったようです」
アンジェの口に立てた人差し指を優しく当てて椅子から立ち上がり、ドアノブに紐を括り付けて脇の人形と繋ぎ、暖炉の火を消して中へと身を滑り込ませる。何かを確認してしばらくして顔を出し、手招きをしてアンジェを呼ぶ。傍に来たアンジェに預かっていた剣を手渡して煙突の中にあるハシゴを登り、先に屋根に上がってアンジェを引き上げる。
「ゲヘナの追っ手です。裏をかいて国境際の森へ潜んだのですが、出来る誰かが嗅ぎ付けたようですね」
どこか楽しそうにしているココが周りをきょろきょろと見回して、あっちに行きましょうとゲヘナ兵の少ない方を指さす。鬼ごっこ感覚の先導者に不安になりながら、今はココを頼るしかないアンジェは渋々後に続く。




