いし④
深い深い森の中。茂みをガサガサと掻き分け鳴らしながら走る影が2つ。低く沈み込む姿勢で背後にピタリと着ける真紅の毛並みの狼が鹿を茂みから追いやり、弓を構えていたジュリスが狙いすました一矢を確実に当てて仕留める。
暫く悶えた鹿だったが、徐々に死を悟ると動かなくなり、目を開いたまま生命活動を停止する。
「それなりにやるわね。やっぱりジェーダンさんに育てられただけはあるじゃない」
「泣いても親父はやめさせてくれなかったからな。体で覚えてる」
「あともう1頭欲しいところね。どう? 今度は協力じゃなくて競走してみない?」
「狩りのプロとか、よし乗った。集合場所は川の下流にある──おい待てって!」
人の姿に戻っていたミアハだったが、耳をぴくぴくっと2回反応させると、狼の姿になって森の奥に消えていった。弓の弦を肩に掛け掛けてすぐに後を追うが、瞬く間に遠くなっていった背中を見失い、仕方なく処理も何もしていない鹿のもとに戻って血抜きを済ませる。それから別の獲物を探しに森の中を暫く歩き続けていると、遠くの草木が微かに風以外の何かで揺れる音が聞こえた。
すぐに匂いを消すための毛皮を頭に被せ、身を低く保ちながら音の背後を取れるように遠巻きに様子を伺う。
「何だこの森は、歩いてもう4日目だぞ」
「半獣の国は森に許された者じゃないと入れない話は、案外本当なのかもな」
「馬鹿言うなよ、そんな意志を持った森があってたまるか」
「じゃあ何で地図で計算した距離の倍歩いてもまだ抜けられてないんだ、森が怒ったりする前に引き返そう」
「このまま成果無しで帰ってみろ、それこそこんな森よりおっかないだろ」
2人の目的が森を超える道を探している事を把握したジュリスは鏑矢を空に向かって放ち、ミアハに居場所と非常事態の合図を送る。
すぐに返ってきた遠吠えに合わせて茂みを大きく揺らし、姿を見せないように隠れながら少しずつ2人と距離を詰める。
「何か来るぞ!」
「あの音と遠吠えは狼の合図じゃないのか!?」
「とりあえず逃げろ、装備なんて捨てて走れ!」
慌てて剣や甲冑を捨てて走り去る背中が見えなくなるのを確認し、身元を特定出来そうな物がないか荷物を漁る。持っていた武器や甲冑には特徴的な物はなく、手がかりになるような物はひとつも無かった為、諦めて甲冑だけ持って立ち去ろうと腰を上げる。
タイミングよく顔を出したミアハは血のついた頬を腕で拭い、赤い瞳を鋭く光らせたまま右手に持っていた何かを投げる。目の前に落ちたそれを拾い上げたジュリスは、咄嗟にそれから手を離す。
「おい! ミアハこれ、心臓か」
「捕虜として連れて行かれた狼が、おぞましい何かに変えられてたわ」
「俺の方は複数の人間を見た。兵卒だったが直ぐに逃げられた、これがあいつらの持っていた物だけどだめだな」
「ふーん。なによ上々じゃない。あんたの持ってるその甲冑、森の向こうのバーンリーの兵士が使ってるものよ」
右手の甲冑を一部分だけ砕き、すっかり獰猛さを感じさせない優しい表情に戻り、供養するための穴を瞬く間に掘ってしまう。
「この狼は知ってたのか」
「そうね、昔狩りを教えてくれてたおじさんだったわ。小さな子を集めて、毎日遊んでくれたの。私もそのひとり」
穴に持って来た心臓を埋めて両手を合わせ、少しだけ頷いたミアハは拳を向けてくる。
「こんなのいよいよ負けられないわね。弱音は無し、絶対に引かない」
「当然だ。勝たなきゃな、この人の為にも。名前はなんて言うんだ」
「そんなもの必要無いわ。誰かの分までなんて、そんなの腰が引けるもの」
「……そうだな」
右手の拳を左手で包み胸の前で組む敬礼をジュリスがするが、ミアハは踵を返して帰り道を歩いて行ってしまう。
「そんなものしなくて良いわ、早く来なさい」
「礼を尽くすのは大切だろ、国を想って戦ったんだ」
「私は生きる者しか認めない。常に感謝してるわおじさんには、でも狼は争いで死んだら徹底的に弱者なのよ」
振り向かずに歩き去る背中に追い付こうと歩くが、縮まらない距離に諦めて少し後ろを歩いて帰る。




