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救出9☆

 「魔術を詠唱する。それまでこいつらを!」

 つまり、今まで通りでいいという事だ――それが楽ではないのだが。

 「了解――っと!!」

 言っているそばから切りかかってきた影をいなして蹴り剥がす。その間にも後ろでフレイの声。

 「くっ、また増えた」

 こいつらはやはり青天井に増え続けるのだろうか。


 そんな不安が一層強くなる中でセレネの詠唱が始まる。

 「我が力はすべてを包みし霧とならん。遍くすべてを覆いつくせ!」

 その詠唱の直後、まるでキノコ雲が広がるかのように巨大な雲が辺りに広がっていく。

 「なっ!?これは……!?」

 その突然の現象に驚いている俺も瞬く間にこの突然の自然現象――実際には魔術によって生まれた霧だが――に飲み込まれた。

 だが、どうやらこれは視界を塞ぐ、いわば煙幕用の魔術だったようだ。

 これと言って体に変化はなく、ただ単に視界が悪くなるだけ。

 ――いや、そうだとしたら一体なぜセレネはそんな真似を?


 連中の眼を(くら)ませてその隙に逃げようという事だろうか?その仮説は浮かんですぐに消えていった。

 ――眼を晦ませるべき相手自体を消してしまうことで。


 「なんだ!?」

 「奴ら薄れて……消えた?」

 俺とシェラさんが、それぞれの正面に立っていた影たちに起きたその現象を理解できずに辺りを見ると、どうやら他の個体も――霧によって空から降り注ぐ光が遮られたことで分かりにくいが――同じように消えてしまう瞬間だった。


 「成程!やるじゃない!」

 「へへ。頭柔らかいでしょ!」

 唯一この状況を起こした本人とその姉だけはからくりを理解しているようだった。

 「一体何が……」

 「説明は後だよ。お姉ちゃん!」

 「雷よ、その光破邪の刃となり、我に迫りし敵を討て!」

 妹の呼びかけに姉が詠唱で答える。

 鋭い稲妻が一筋、霧を突き抜けて通常とは逆に天に昇っていくのが、光を遮られて周囲とあまり変わらなくなった空に煌めく。

 直後、唸りのような音が夜空に響き渡り、そして僅かな光すら消えていく。


 「やった!」

 世界が、突然時間が元に戻ったかのように本来の夜の闇に戻っていく。

 稲妻が打ち抜いた霧が少しずつ夜風に流れるように晴れていくと、そこにもう眩い光を放つ巨大な羽はなくなっていた。

 「ああっ!」

 その瞬間、闇の中に確かに聞こえた声を聞き逃さなかったのは俺だけではなかった。

 全員がその声に反応し、最初にシェラさんがそちらに駆けだしていた。

 「いたぞ!奴だ!」

 一歩を踏み出しながらの叫びに、闇の中に目を凝らす。


 「雷よ、その光破邪の刃となり、我に迫りし敵を討て!」

 そこに再びの閃光。

 今度は先程よりかなり角度が浅く、射程が無限に伸びるのなら収容所の向こうの山肌にぶつかるだろうというほどの低空を光が走り抜けていく。

 そしてその瞬間に照らされた地上に、慌てて逃げ出そうとする男二人の姿が、彼らが移動手段に用いているのだろう同じ数の馬とともに現れた。


 そしてどうやらその馬たちは突然の光にパニックになってしまったらしい。

 男たちの慌てふためく声が途切れ途切れにここまで聞こえてくる。

 先程のシェラさんの声と直感――あいつらが召喚術師。

 どちらがどちらかは分からないが、片方が不知火山繭で索敵を行い、見つけた敵をアームドシャドーで仕留めるという戦術をとっていたのだろう。


 「待て!」

 なら逃がす手はない。

 奴らのもとに殺到する。

 「ひっ!!?あっ!!」

 男たちのどちらかが声を上げたのがこの距離でも聞こえた。

 いや、正確に言えばこの距離でも、ではない。思っていたよりも距離は近い。


 「待ちやがれ!!」

 最初にシェラさんが追い付いた。

 暴れる馬から放り出されてしまった男たちは、最初は追跡者に抗う気概も見せていたが、俺たちが到着するとどうやら多勢に無勢を悟ったらしい。碌に抵抗らしい抵抗も見せずに取り押さえられている。

 「くそ……」

 「お前たちが衛兵隊に雇われた召喚術師だな」

 シェラさんの声。ランタンに照らされた男たちは――フレイによって魔術を封じる術をかけられたにも関わらず――彼女の顔を一目見るだけで口を閉ざしている。


 「まあいい。そうでなくとも敵は敵だ」

 そう言うと、彼女は二人を横倒しにして丈夫そうなロープを取り出す。

 「え?敵って……」

 まだ判断が付きかねている様子でセレネが尋ねる――俺の思っていたことを代理に言ってくれた格好だ。

 それに対し、当の本人は手早く男たちを縛り上げながら答える。

 「ここにうろつく連中で、私たちの味方以外は衛兵隊の連中しかいないからね」

 そういって縛り終えると、それで二人から離れる。


 「さ、すぐにここを離れよう。恐らく今の騒ぎと光とで収容所の警備も騒ぎ始めているだろうからね」

 そういって彼女は目的の建物に目を向ける。

 その建物の位置を示すように所々で照っている松明に動きは見られない。

 そしてその姿をともに見ていたシェラさんがランタンの火を消すと、再び真っ暗になった世界に彼女の声が響いた。


 「見つからないように行こう」

 収容所へはあと少しだ。

 「それにしても、さっきはどうやってあの影たちを消したんだ?」

 動き始めてから、俺はセレネに尋ねた。

 彼女が煙幕用の魔術を使用して以降、あの影たちは夜の闇に溶けるようにして消えてしまった。

 「ちょっと気になったんだ」

 「何が?」

 「アームドシャドー、あいつらって動く影って感じだったでしょ?それも光に照らされた中で。ってことは、もし普通の夜の闇の中っていう、普通なら影が見えない状態になったらどうなるんだろうって」

 成程、確かに彼女の言うとおりだ。

 影が生まれるのは光の中だけだ。闇の中では影はその輪郭を維持できない。

 コップの中の水はコップの中の水として区別できているのに、それをコップごと池に沈めればもうコップの中と外の区別などつかないように。


 確かに彼女が自分で言った通り、頭の柔らかい考えだ。

 「成程な……確かに、頭が柔らかい」

 思っていたことが口に出ていたようだった。

 セレネの表情は暗闇で見えないが、その声は心なしか先程同じような事を姉に言われた時よりも恥ずかしそうに聞こえた。

 「えっ、エヘヘへ。まあね!」


 そんなやり取りから少しして、俺とセレネに伝えるようにシェラさんが静かに告げる。

 「静かに。ここを登ればもう収容所だ」

 少し先に現れる壁。

 その上に照っている松明から、それが土塁であるという事は何となくわかった。

 そしてそれが今や収容所となっている元の交易所跡であるという事も。


 「どうやって登る?」

 尋ねてから、その必要がなかったことはすぐに分かった。

 シェラさんは既に鉤縄のようなものを用意している。その先端に鋭い鉤爪がついたその縄は、まるで意思を持っているかのように彼女の手を離れると、しっかりと土塁上に立っている柵の根元に絡み着いた。


 「見てくれ」

 彼女がその鉤爪の位置を指さして言う。

 「これがかかった場所のすぐ横。あそこだけ柵が途切れている。私が飛び移って、それからみんなを引っ張り上げる」

 「えっ!でも……」

 危険です。そう言いかけた俺を彼女は制した。少しだけ笑っているのが月明りで僅かに分かった。

 「大丈夫。これでも、連中の目を盗んで動くのは今回が初めてじゃない。……それに、元々一人でやるつもりだったんだ。みんなを危険には晒せないよ」

 それに何かを答えようとする俺に、彼女はそれを封じるように続けて、それから背を向けた。


 「安全が確認できたらすぐに呼ぶ。そうしたら上がってきてくれ」

 そう言うが早いが、彼女は鉤縄を手繰り寄せると、驚くほどの身軽さで土塁をよじ登っていく。

 それから俺を呼んだのは、そのすぐ後だった。


(つづく)

今日はここまで

続きは明日に

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