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救出4

 「なんだと!?」

 コップの向こう、ほぼ怒鳴りつけるような声が響く。

 「どうかしましたか?」

 「……申し訳ございません。お話していた妙な性質を示した女が脱走したようだと……すぐに捕らえさせます」

 残念だがそうなってやるつもりはない。例えすぐ隣の部屋にいたとしてもだ。

 そう息巻いている族長に、駆け付けた相手は申し訳なさそうな声で更に続ける――他に続ける報告があるとすればあの件しかない。


 「それで……その件なのですが……」

 「まだ何かあるのか?」

 「はい……その……」

 少しの躊躇い。しかし、いつまでもそうしている時間はないと判断したようだ。

 「……女牢の責任者が……シェラが、脱走の際に反乱に遭い殺害されました」

 返事はすぐにはなかった。

 沈黙、そして何かにぶつかるか、寄りかかるかしたと思われる音。

 「それは本当か……?」

 「……残念ながら」

 絞り出すような声と痰が絡んでいるような声。

 「ああ……シェラ……」

 それから、ただ一言それだけが響く。


 ――ああするしかなかった。

 振り向きざま、奴は何も躊躇せずにナイフを抜いていて、背後にいるのが誰かすらも確認せずに刺しに来た。

 あそこで止めを刺さなければ、私が安全だったかすら分からない。

 だからやらざるを得なかった。やっておくのが正解だった。


 「……」

 意識を切り替えろ。今するべきことはなんだ?

 コップの向こうで起きていることに意識を集中する――頭の中から逃げるように。

 「……その女を捕らえろ」

 族長の声が響く。

 地の底から唸っているように低いそれは、しかし有無を言わさぬ迫力がこもっている。

 「なんとしてでもだ!」

 「はっ!!」

 彼に感謝するべきかもしれない。こうまで怒りを露にしてくれたことに。

 泣いたり嘆かれたりするよりよい。怒っているのなら、こちらから一切の躊躇が要らなくなる。奴を「手塩にかけた大事な娘を失った悲劇の養父」から「自分のことを棚に上げて人を非難し恨みを抱く人さらいのボス」として見られる。


 つまり、同情しないでいる理由が得られる。


 「ッ!」

 慌ただしく部屋を辞する音に慌ててもう一度身を隠すが、戻っていく報告者はそんなところに人が隠れているなどと微塵も思わず飛び出していく。

 玄関の扉が閉じる音を聞いてから、もう一度壁にコップ、コップに耳。

 「屋敷にはまだ戻れんな。私は貯蔵庫に向かう。搬入用の馬車を回せ。それと、馬車が出たら全ての門を封鎖と東側の移住連中に動員をかけろ。絶対に取り逃がすな!」

 矢継ぎ早に指示を飛ばす族長のその声に合わせて、足音がたった今の足音を追うように複数外に出ていく。

 そんな騒ぎはどこ吹く風とばかりに、それまでと変わらない様子のジェレミアの声が混じる。


 「それでは、私たちも安全第一としましょうか」

 「ええ。その方がよろしいでしょう。では、この小僧はこちらで処理してよろしいですね?」

 「ええ。お好きなように。それでは失礼」

 扉の音――どうやら外に出た。

 「おい」

 「はい」

 族長の声に応じるハルジクのそれ。

 たったそれだけで彼の望みを理解したようだ。


 「な、何を――うっ!ぐっ……」

 直後に聞こえるスイの声。

 手の中でコップと掌が音を立てる。

 「寝ろ」

 冷たいハルジクの声を最後に誰も声をあげなくなった。

 そしてそれを待っていたかのように裏庭方面から聞こえてくる馬の足音と馬車の車輪がカラカラと回る音。


 「よし、運び出せ」

 族長の指示とともに扉が開く音。

 一瞬浮かび上がる考え――飛び出して奪い取る。

 「いや……」

 その考えに従い入ってきた窓から外に飛び出し、建物の影から連中の方を見て冷静さを取り戻した。

 馬車は幌付きだった。

 既にスイは運び込まれた後だろうか、族長が先に乗ったハルジクの手を借りてその中に入っていくところだ。


 その周囲には武装した見張りが複数。先程族長の言いつけで何人か出ていったが、どうやら相当厳重に守られていたらしい。

 族長の後に続き、そうした見張り達も乗り込んでいく。見張りから護衛へ。

 ――流石にアレを襲うのは無理がある。その上向こうは人質つきだ。


 「くっ……!!」

 動き出した馬車を睨みつける。もし視線に攻撃力があれば、今頃あの馬車を消し炭にできているだろう程に。

 それから一度深呼吸。ほんの僅かでも落ち着こうとして、それから辺りを改めて警戒する。

 どうやら馬車の周りにいた護衛達は皆族長と一緒に馬車に乗ったらしい。こいつは幸いだ。

 馬車のいた場所へ移動し、それからその更に向こう。馬車が夜の闇にのまれた直後に閉じられた門が敷地の塀越しに見える。


 そしてその塀に寄り添うように置かれた小さな木箱の山と、その頂上から塀の頂上までの距離が私の身長とほぼ同じという事実もまた、そこまで近づいて分かった。


 「待っていろよ」

 木箱に駆け寄って足をかけ、ぐらつくそれに戻る気はないと蹴って塀の頂上に手をかけると一気に体を持ち上げる。

 「よっと……」

 塀を越えたところで門番と目が合う。

 「おい、お前何者だ。何をしている」

 着地して背中を向けた私に曲刀を抜いて近寄ってくる。どうやら私の正体についてはまだそこまで伝わっていないようだ。


 「お前、見ない顔だな」

 男が真後ろに立ち、曲刀の刀身をこちらに向けながら、空いた方の手でホールドアップした私の腕を掴み振り向かせようとする――隙が生まれる。


 「ぐっ!?」

 振り返りざま体ごと突っ込むと、そのまま振り上げようとした曲刀の鍔元を抑えて捻り上げる。

 奴の手から零れ落ちた刀身が足元の石畳に当たってたてた音は、奴自身が頭から門に叩きつけられる音にかき消された。


 「ぐ……ぅ……」

 落ちた曲刀を遠くに放り、ぐったりした相手から門の鍵を奪い取ると、共通の鍵で開けられる通用口から外へ出た――その通用口は仕事をしくじった門番で塞いでおく。


 すぐ横を流れるデンケ川のせせらぎを聞きながら、私は暗い一本道を走り出した。

 過去の映像にあった話では、ここから少し行ったところでもう一本、交易所跡に通じている道に合流し、その後は終点まで一本道とのことだ。

 そこに向かうための馬車を貯蔵庫への搬入用と言っていた。つまり、かつて収容所だった交易所跡を、連中は貯蔵庫とやらに模様替えしたという事だ。


 「……」

 流石に馬車には追いつけない。

 夜の道は月明かりだけに照らされ、さらさら流れる川のせせらぎと、どこからか聞こえてくる虫の声以外に音はない。

 その闇の中にありながらしかし、私は迷うことなく進む。

 何しろ道は分かっている。その上合流した後は一本道だ。

 この道を進めば必ずスイにたどり着く。なら、止まる理由はない。


 それからすぐにより大きな石造りの道に交差した私は、少し考えてからそのまま左手に曲がった。右の道の伸びているであろう方向にはついさっきまでいた城塞都市の東側が見える。となれば消去法で左しか道はない。

 私は走る。流石に族長の屋敷の武器庫から奪い取った代物のせいで重いが、それでも止まることはできない。

 そう、止まることはできない――はずだった。


 「ああ……そうか……」

 しかしやむを得ない事態というのは存在する。閉じられた門と松明を掲げるその見張り達を見つけてしまった時とか。

 交易所跡に向かう道には検問が設置されている――あの映像の中でもそう言われていたのを思い出す。どうやら連中もここが気に入ったらしい。


 「まあ、無理もないか……」

 迂回できない山道の真ん中にあり、門を閉じてしまえば他に道はない。

 だが感心してばかりでもいられない。なんとかしてここを通らなければならない。

 しばし辺りを見回すが、この検問所の立地が非常に合理的であるという点以外に何も分からない。


 「奴らはどうやって入った……?」

 考えてすぐに思い出し、その方法は不可能であると気づく。

 奴らはマルクおばさんの家の地下通路から入っていったのだ。そもそもこの検問所自体見つけていない可能性もある。

 「何か手はないか……」

 ここについては何も知らない。

 もし頼れるものがあるとすれば過去の映像だけだ。

 左手には森、右手には断崖の山肌――ジェレミアの説明が正確であるという事は、月明りと少し距離のある検問所の明かりだけでも分かった。


 「……ん」

 それから後のジェレミアのセリフが頭をよぎる。

 そして持ち合わせの装備にも目をやる。

 鉤縄。手斧。戦闘用の大型かすがいのようなもの――手に握り込んで両端の先端で相手の肉を抉る武器。


 「……やってみるか」

 実際に出来るかどうかは現場を見ないと分からない。

 だが可能性がゼロに近くとも、ここで止まっているよりは建設的だ。

 それにもし、私の考えているようなことが出来るのならば、そこから奇襲攻撃を仕掛けることもできるだろう。

 検問所の真上辺りで行き止まりになっているわき道――ジェレミアが侵入ルートとしては使えないとしたそれが、本当にそうなのか確かめてみよう。


(つづく)

今日はここまで

続きは明日に

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