冒険者たち1
「さて、宿は……と」
その群れに途中まで混じり、『居眠りどら猫亭』へ。
幸い今日はベッドで寝られる。この国の宿屋にはベッド部屋とそれより安いハンモック部屋があるのが一般的らしいが、町に三軒ある宿屋のうちベッド部屋の値段が一番安いのが今日の宿だ。
一応、冒険者ギルドに併設された格安の簡易宿泊所もあるのだが、生憎ギルドに登録していなければ利用できない。
――明日辺り行ってみよう。何らかの情報があるだろうし、ギルド登録証があれば後ろめたくない身分証も手に入る。
「お早いお帰りで」
宿に入るとフロント兼酒場の女将がそう迎えてくれる。
一度部屋に戻り、一休みしてから酒場へ。この体は疲れるし腹が減るものだ。
既に時刻は夕食時、宿泊客も酒場だけの客もまじりあってごった返している。
先程の女将と目があうとカウンター席に案内された。
「何にしましょう?」
注文を取りに来た女将の後ろ、酒瓶が並ぶ棚へ目を向ける。
瓶のラベルの上に目を滑らせ、一番端におかれた樽で止まる。大体の場合、あれが一番安い。
「エールを一杯と……」
その見定めの過程で、もう一人の若い店員が奥のテーブル席に運んでいく料理を視界の隅に捉えた。
「クロッカを一皿」
「はいよ」
クロッカというのはこの国ではどこでも食べられる郷土料理の一つだ。
茹でた芋をマッシュし、野菜や豆やひき肉などを混ぜて焼いた料理で、日本で言うコロッケの中身だけを焼いたようなものだ。
そしてこれも日本のコロッケと同じく、懐と空腹に優しい庶民の味だ。
「はいお先にエール」
カウンターの向こうから木のジョッキを受け取る。つんと鼻に抜けるのは薬草の香り。
この体で初めての食事は、まずこの飲み物で喉を潤すところから始める。
「ふぅ」
ことんとテーブルが音を立て、同時に小さく息をつく。
――成程、人間の酒場というのがにぎわう訳だ。
「あっ!!」
背後での声。直感的に振り向く――自分に向けられたものだと第六感が告げている。
「おお?」
思わず間抜けな声が漏れる。
昼間助けた少年と目が合った。
「ああ、君――」
そこまで言ってから、言葉が詰まる。
別に何か言うべきことがある訳でもない。何か言いたいが――というか、この妙な沈黙を避けたいが――咄嗟に言葉が出てこない。
「先程は本当にありがとうございました!」
そうこうしているうちに少年の方がこちらに近づいてきて、昼間と同じく深々と頭を下げる。
「あ、ああ――」
体ごと彼の方へ向き直ってしまったが、首から上はそれに反旗を翻して視線を逸らす――やはり、面と向かって感謝されるのにはまだ慣れていない。
「無事だったか……」
何とか絞り出した言葉は少しぶっきらぼうになってしまったかもしれなかった。
「はい。おかげさまで、こうして帰ってこられました!」
だが相手はそんなこと気にしている様子はない。
「あら、お知り合いだったの?」
私を挟んでもう一つの声=カウンター越しの女将。
その視線は少年に向けられていて、それが一度こっちに向き直る。
「はいクロッカおまちどう」
半分ぐらいになったエールの横に、同じく木でできた皿に盛られたクロッカが置かれる。人の顔ぐらいの大きさの薄焼きにしたマッシュポテトと茹で野菜に甘辛いソースがかけられていて、なんとなく外見はお好み焼きに通じるものがある――いや、今はそれどころではない。
「お知り合いっていうか……」
答えながら心の声=こっちのセリフだ。
「ええ。昼間、モンスターに襲われた時にこの方に助けていただきました」
困惑気味の私に代わって少年が答える。どうやら女将と少年とはお知り合いらしい。
そしてその答えに対して、女将は少々オーバーに思える程に眉をひそめた。
「やっぱりあなた一人じゃ危ないわよ」
「そ、それは……そう……ですが……」
どうやら痛い所を突かれたらしい。
女将の様子から見るに、恐らく彼が一人であの辺をうろつくことを彼女は知っていて、しかも反対か、少なくとも推奨はしていなかったのだろう。
そして、これはあくまで勘だが、その指摘が正しいことを――実際に危ない目に遭わされなかったとしても――彼は理解していた。
「……」
エールで唇を湿らせる。つんと抜ける薬草の香りが脳を加速させる。
「まあ……座ったら?」
隣の席を少年にすすめてから続ける。
「一人なんでしょう?」
きっと彼は危険であることは分かっていたのだろう。
だがそれでも彼はあそこに行かなければならなかった――実際に行動していたことからも明らかなように。
「は、はい」
頬を少し赤らめてそう言うと、少年は素直に応じる。
「……失礼します」
目が合い、消え入りそうな声でそう言って顔を伏せる。
恐らくだが、年上の女への耐性がない。
「深入りはしないけど」
そう前置きしてから尋ねる――我ながら矛盾している気がするが。
「何か目的があるの?一人で行動する」
少年は小さく首を横に振る。
「いえ、実は……」
切り出して一拍。
「人をお願いするお金がなくて……」
「はい、絞り水」
そこでまた女将が現れ、少年の前にコップを置いていく。
金がないというのは嘘ではないらしい。絞り水というのは木の実や薬草を絞った汁を溶かした水で、エールより安い。
この世界に未成年者の飲酒を禁じる法律はない。恐らく本当に金欠なのだろう――下戸の可能性もあるが。
「ありがとうございます……あ、女将さん」
「はい?」
何かを思い出したように少年は懐から折りたたまれた紙を取り出すと、それを広げて女将に見せる。
人相書きだ――横から覗いた私がその正体に気づくと同時に、彼がそれを指して尋ねた。
「この人を見ていませんか?ここ一か月の間で」
そういえば、私も荷物の中に同じようなものを入れられていたような気がする。明日辺り同じようにやってみよう。
――そんな私の心中など当然お構いなしに、女将はその手が簡単に目的の人物に近づく手段ではないことを証明した。
「うーん、覚えていないねぇ。どうしたってここは人の出入りが激しいし……」
「そう……ですか」
当てが外れた少年が今度は私の方に――どこか縋るように――目を向けてくる。
「いや、私も分からないな」
今日来たばかりだからね。
「その人を探しているの?」
「ええ……」
女将が他の客の方へ移動して注文を取り、盛り上がっているのかテーブル席の方でわっと声が上がる。
そうした喧騒の中で、静かだが聞き取りやすい声が私の耳に入る。
「僕の兄です」
「兄貴……」
オウム返しした私に、彼は言葉を続ける。
「兄は私の六歳上で、見習いではない本物の高等術官……でした」
でした。過去形。
「その人がどうしてこの国で?」
頭の中にある知識では、ファス王国の高等術官といえば専ら研究室にこもって魔術三昧で、国外で冒険者たちに混ざっているようなイメージはない。
「兄は優秀な魔術師でした。子供のころから何でもよく出来て、同期の中では一番早く正式な高等術官になったのも兄でした」
身内の僕が言うのはおかしいですが、と付け加えながら彼は続ける。
「ですが、それ故に……なのかはわかりませんが、術官院に馴染めず、先輩やより上位の方々に反感を抱いていたと」
「それで出奔した?」
「恐らくは」
優秀な若きエリートが自分より劣って見えるお歴々のご機嫌うかがいに嫌気がさした――まあ、ない話ではないだろう。
だが同時にまたしても刻み込まれた記憶が違和感を唱える。
「それで、追跡しているのは君一人?」
高等術官といえば、ファス王国では最も社会的信用のある職業である。
それらを統括している術官院は王国最高の権威のある組織であり、所属している高等術官に厳格な規則を遵守するよう求めている。
――当然、無許可での離脱=脱走を放置しているような組織ではない。場合によって国家レベルのプロジェクトに関わるのだから当然ではあるが。
その脱走者に対して追跡するのが見習いの彼一人。
その不自然さには彼自身も突っ込まれることを想定済みだったようだ。
「実は、兄は術官院では孤立していたようなのです。『一人でいることが出来ない、舎弟の数が何より大事な老人たち』と兄は嫌っていましたから、恐らくどこの派閥にも属していなかったのでしょう。そのため重要な情報は何も持っておらず、ほとんど物の数に数えられていないようでした。……恐らく彼らも、厄介払いができたというぐらいにしか思っていないでしょう」
そう語る彼の表情は、どこか寂し気な自嘲の笑みを浮かべていた。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に