壁の町8☆
セレネの防御魔術さまさまだ。もし生身で奴の攻撃を受けていれば、今頃肉塊に変わっていただろう。その後はあの牙で貪られて床に転がっている連中と同じ末路だ。
そして――恐らくだが――剣の力が俺を守ってくれているのだろう。その証拠に、再び手の中にその柄が戻ったところで全身に力が戻ってくるような気がして、同時にバラバラになってしまったような錯覚を覚え、鉛のように重くなっていた体がふっと軽くなった。
「う……お、おおお!」
剣を肩に担ぐように振りかぶり、フレイを捕まえている奴へ向かう。
フレイを放せ化け物。
「おおああああっ!!」
自身の叫び声で自分自身を鼓舞しながら突進する。
それに気づいた奴がこちらを振り向き、そして掴んでいたフレイを振り上げた。
「ガアアァァ!!」
叫び声と共にこちらに放り投げられるフレイ。
「くっ……!!」
咄嗟に剣を下ろす。
放せと言ったな?ならお望みどおりに――という訳でもないのだろうが、奴は俺に向かって、意識のない彼女の体を投げつけた。
そう、投げつけたのだ。
放したのではなく、石でも投げるように、明確に俺を狙って。
彼女は俺とそこまで身長は変わらない。
流石に体重は俺より軽いが、それでも人一人をまともに受け止めるのは相当な衝撃を覚悟しなければならない。
――だが、受け止めないという選択肢はなかった。
「ぐうっ!!」
剣を右手に下ろし、空いた左手と全身で彼女を受け止める。
凄まじい衝撃。だがこれも剣の加護によるものか、受け止めた瞬間にそのスピードを殺しきれずに走ってきた方向に吹き飛ばされて尻もちをついただけで大したダメージにはならなかった。
「フレイ!無事――」
腕の中、体で受け止めた彼女への問いかけは咄嗟に中断し、彼女を抱きしめたまま横に転がる。
直後、俺たちが倒れていた場所に斧の刃が追ってきていた。
「くぅっ!!!」
何度か転がって距離を取る――その間にも横薙ぎの一撃が間一髪で掠めていった。
腕の中、わずかな体温のぬくもりだけだったフレイが、その温もりが錯覚ではないという事を示してくれた。
「ぅ……」
「フレイ!」
閉じられていた瞼が僅かに開き、ブルーの瞳がこちらを認めたのがそのほんの僅かな動きで分かった。
しかし、状況は決して仲間を失わないで済んだ喜びを噛み締めさせていてはくれない。
背後に感じた気配、そして直前に掠めていった斬撃が俺の意識を現実に引き戻す。
何か言おうとした彼女をそのまま寝かせて立ち上がり、背後に隠すようにして再度剣を構え、奴に正対する。
「グルル……」
真一文字に振りぬいた直後の斧が再び構えなおす――よりも突進の方が速いと判断したのだろう。腰を落とし、その頭の角をこちらに向けるようにして大きく一歩踏み込んでくるのが、スローモーションで瞳に映し出される。
――だが、その瞬間も俺の体には力が湧き上がっていた。
俺が守る。
俺がフレイとセレネを助ける。
二人に手を出させはしない。
今まで決した口にしたことがなかった、そんなことを思っているとさえ自分自身で知らなかった思いが、その力とともに全身を駆け巡っている。
俺の仲間だ。やらせるものか。
「ハァッ!」
突進に合わせて飛び込む――奴とすれ違うように。
その瞬間、奴の脛を内から外へと切り払う。刃が滑るような硬い皮膚と筋肉だが、それでも切っ先を潜り込ませてそれらを切り飛ばすことはできた。
「ガッ!!」
こちらから飛び込んだことが功を奏した。
トップスピードに少し足りない状態で足を切られた奴は、その時点で動きを止めた。
――だが、こっちが一緒に止まってやる義理などない。
「ハアアッ!!」
奴がその巨体を小賢しいちび助の方に振り返らせるよりも早く、背後で動いている尻尾を切り落としてやる。
別にこれが狙いだった訳ではないが、回り込んだ先で奴の足を殺そうとした時に目の前にあればそちらに意識が行くのはおかしなことではない。
「ゴオオオォォォッ!!」
尻尾諸共足の後ろ側に斬撃を加え、それに合わせて激昂の咆哮が上がる。
咆哮の原因は足への斬撃か、はたまた根元から少し先だけ残して切断された尻尾か。
「ゴガアァァァッ!!!」
絶叫とともに振り返り、それと共に、その回転を乗せた横薙ぎが飛んでくるのを一足早く飛び下がって回避する。
頭が冴えてくる。興奮はしているのに頭だけは妙に冷静だ。
ここまでの傾向=奴の攻撃は速いが単純。
斧の攻撃は振り下ろすか横薙ぎの二種類しか存在せず、その間合いより奴の懐に入り込もうとすると出してくる突進は、トップスピードになる前に足を斬ってしまえば次の踏み込みの前に回避することも可能だ。
「グルルル……ッ!!」
再び飛び込んで横薙ぎ。突入前に斧を体の横に寝かせるだけわかりやすい。
再び飛び下がって躱すと、横薙ぎを放ったと同時に先程斬りつけた脛から紫色の血の塊のようなものが吐き出される。
傷はついている。そこから出血もしている。
皮膚も筋肉も斬撃が弾かれるような気がするほどに硬いが、それでもラットスロンでしっかりと斬りつければ無傷ではない。
「グガァッ!!」
そして足の傷は決して無視できるようなダメージではないのだろう。血の塊が零れ落ちた瞬間、奴は憎々し気に声を発して更に斬撃を放ってきたが、その動作には先程までのような勢いがなかった――或いはこれを悟ったのも剣の力なのかもしれない。
「はっ!とっ……!」
横薙ぎ、振り下ろし、再び横薙ぎ――どれもそれまでのような、躱されても体ごと叩きつけて吹き飛ばそうとするような勢いが感じられない。
「ゴオオッ!」
そんな己自身にいら立ったのか、叫びながら振りかぶり、叩き潰そうと斧を振りかぶってこちらに突っ込んでくるミノタウロス。
やはり、その動きからは――ほんの僅かではあるが――勢いが失われている。
そしてその僅かな減速が俺に答えを示してくれた。
確信:今の奴の振り下ろしは躱せる。
「……」
構えを下段に変化させ、突っ込んでくる奴を真正面から迎え撃つ。
大きな振りかぶり、そしてそこから一直線の、岩でも叩き割ろうかという凄まじい斬撃。
だが、そのタイミングはなんとか読める。
「……ッ!!」
振り下ろしの瞬間、左足で大きく踏み込んで左半身へ。
その動作で斧の一撃を右側に躱す。
と、同時に振りかぶり――今度はこちらの番だ。
「ッ!?」
奴の眼がこちらを見る――躱されたことへの衝撃を物語る視線。
「ヤァッッ!!」
同時にこちらが奴のそれを真似るように頭上から振り下ろした。
腰を下ろし、腕を伸ばし、手の内を十分に絞り、真っすぐに奴の右手首へ。
斧を再び振り上げようとしていたその手首は、その動作によって自ら斬られに行くように振り下ろされたラットスロンの刃を受け入れた。
「グガッ!!」
叫び声。同時の手応え。
皮膚を裂き、肉を切り、そして骨に達した。
流石に骨は硬い。両断は叶わなかった。
「グガガガガッ!!?」
だが、そのダメージが極めて大きかったことは、奴が明らかに狼狽えた声を上げながら飛び下がり、それまで両腕で抱えていた斧を、紫の噴水となった右手を下ろし、左手一本で支えていることからも明らかだった。
「さて――」
再び中段へ構えなおす。
「覚悟はいいか化け物」
怯え――奴の顔に浮かぶ=喰う者と喰われる者の、その前者にいたはずの己が今や逆の立場に落とされつつある。
「グ……ゴオオォォッ!!!」
絶叫とともに左手一本で斧を振り上げる――全快時とは程遠い動き。
「おっと」
「ゴオオオッッ!!」
床を割ることもなくただ衝突音だけを上げた斧を再度片腕で持ち上げ、今度は横薙ぎ。
流石に遠心力を乗せた分スピードは両腕の時と比べてもそれほど落ちていない。
「っと!」
だが、それは往路だけだ。
振りぬいた斧を元に戻すのには、それまでの暴れっぷりが嘘のようにもたついている。
足と腕。最早、どちらも全力を出すことはできない。
その死に体の奴に、剣を構えて間合いを詰めていく。
迎撃――より正確に言えば近づいてくる相手への「来ないでくれ」という懇願のような振り下ろしを先程より容易にかわし、振り上げてくる直前の斧の柄を足で踏みつける。
「はあっ!!」
そのまま一気に踏み込み、斧の柄を足場にして飛び上がる。
その瞬間同じ高さ=俺の頭の高さと奴の身長。
それは悲鳴だったのか、咆哮だったのか。俺を飲み込もうとするかの如く奴の口が大きく開かれる。
だが、それが吐き出すはずだった声は出てこない。
「シャアアッ!!」
代わりに俺の気勢が響く。
そして同時にラットスロンを突き入れた――開かれた奴の口の中へ。
「ゴグッ!!?」
悲鳴か咆哮の代わりに、一瞬遅れて吐き出された奇妙な音。
外の皮膚が硬くとも、内側はその限りではない。
喉の奥まで貫いた刃が、一瞬硬いものにぶつかってそれをも貫く。
それが奴の首の後ろ側の皮であるという事は、なんとなく感覚=その後に何の手応えもなくなったことで悟った。
「どうだ……化け物」
棒立ちになった巨体に蹴りを入れながら剣を引き抜き、その勢いを使って飛び下がっての着地。
ゆっくり、ゆっくりと奴が仰向けに崩れていった。
(つづく)
投稿遅くなりまして申し訳ございません
続きは明日に




