最初の一歩6
「成程な……」
大体わかった。
奴がこちらに来て何をしていたのかも、ここで何があったのかも。
――そして奴とあの神との関係も。
「……聞こえますか?」
その当柱からの声。今度は――奴に見せたように――岩の上に浮かび上がっている。
先程のような聖堂でもないのに現界できるのか。
その疑問は織り込み済みだったようだ。
「この岩はご覧いただいた通り永い時間をあの剣と共にありました。故に小さいですが、先程の聖堂と同様に私の力が及んでいます」
そういうものもあるらしい。鉄にずっと磁石をつけておくと磁性を持つような話だろうか。
「ここでのやり取りをご覧になったのですね」
「ええ――」
膝を地面から離す。ついた草を払う。
「それと、あなたがどうして私に奴を追わせるのかも、ね」
私がターゲットを追うという事のゴールはターゲットの死以外にない。
それを伝えた時、奴はそれを理解したうえでそれでも構わないと言った。
「あなたはあの剣を奴から回収したい」
それも、持ち主の生死を問わず。
「回収……というのは厳密には異なりますが、まあそうです」
特に驚いた様子も隠す様子もなく目の前の女神は答えた。
「あの剣は本来私が管理しているもの。そしてあなたが今ご覧になった通り、人の中にそれを扱えるものが現れた時には彼らにその力を貸し与えます。そしてその剣は、本来であればどこにあるのかを把握できるのですが、剣の反応が消滅してしまったのです。持ち主の手を離れていればあの剣にもこの岩と同様に私も現出出来るのですが、そうならないところを見るとまだ彼の手に……」
先程言っていた想定外の事態というのはこのことだろう。
大事な神器が持ち主ごと行方不明。なんとしてでも回収したいが追いかけることはできない。
そこでおあつらえ向きの追跡者=私に白羽の矢が立ったという訳だ。
「長い歴史の中、秘封破りのスキルを備えた者はそう多くはありません。ですが、確実に存在しました。そしてこの後の時代にも恐らく現れるでしょう。しかし、神器はそうではありません。失われたから次を……という訳にはいかないのです」
事情を知って私が渋ると思ったのか、女神は更にそう続ける。
その態度に思わず口元で笑いながら私は応じた。
「心配は無用です。今更やめはしませんよ」
どの道、奴を殺すのが私の目的だ。
それなら別に女神の思惑など関係ない。私はターゲットを始末出来てよし。女神は剣を回収できてよし。ウィン・ウィンの関係という奴だ。
貧乏くじを引く役目の奴が一人いるのだが、まあその辺は自業自得というものだ。
――多少不憫な気もしないでもないが。
「ありがとうございます。それで、ここに立ち寄った後の彼の行動はつかめましたか?」
「ええ。とりあえずこの近くのアーミラという町を目指します。そこを拠点としていたようでしたので」
正直、町に奴がいるとは思えない。もしそんな簡単な話なら私を呼び出しはしないだろう。
だが何らかの手掛かりは手に入るはずだし、何よりこの体で活動するには色々必要なものも多い。
「そうですか。……よろしく……し……」
――おいおい、またか。
あんた本当は魔物集めの神じゃないのか?そんな言葉がでかかった喉から実際にもれたのは小さなため息だった。
それを合図に辺りを警戒する。
来た道、海、それとは反対の草原の向こう――当たり。
「ゲゲゲッ!」
「グゲッ!グゲッ!」
濁った、やかましい声を上げながら数人の集団が一人を追い回している。
追う者:人間の子供ぐらいの大きさの緑色の体と、その知能が現れているようなこん棒と股間隠しだけの持ち物=ゴブリン。
追われる者:こちらは本当の人間。恐らくまだ少年。そして恐らく足を怪我している。
「グゲゲゲッ!!」
ゴブリンたちは片足を引きずり、自分の身長ほどある杖を頼りに逃げようとする少年を小突いている。
――遊んでいるのだ。その気になればそのこん棒で彼を袋叩きにするぐらいできるはずだ。
「可哀想にな……」
思わず呟いた時、限界に達したのか少年は倒れ込んだ。
そして同時に、ゴブリンのうちの一匹が近くに立っている傍観者に気づいたようだった。
「ゲゲゲゲッ!」
新しい獲物――そういう意味の声だったのだろう。
他のゴブリンたちも一斉に傍観者=私の方を振り向く。
「待て待て、別にお前たちを――」
中断し腰間のものに手を伸ばす。最初にこちらを見つけた個体がこん棒を振り上げてばたばたと走ってくる。
恐らく連中の切り込み隊長的な立場にいる個体なのだろう。動かなくなった少年を仲間に任せ、新たな獲物へ突撃を敢行する。
「グゲッ!!?」
だが、それでやられてやる訳にはいかない。
こん棒が振り下ろされる瞬間、後ろに尻もちをつくように飛び下がり、同時に横一文字に抜き打ちを放つ。
「舐めんなよ」
確かな手応え。奴のこん棒がはるか彼方へ飛んでいく――それを持っている右腕ごと。
「ゲッ!ギャッ……!!」
息が詰まったような断末魔を上げ、奇妙な足踏みをトントンと繰り返した後仰向けに倒れたゴブリン。その向こうで青ざめた残りの連中がギィギィ騒ぎながら逃げていく。
「ふん……」
倒れた隻腕ゴブリンを蹴り飛ばし、確実に死んだことを確かめてから血振り。奴の周りに急速に広がっていく紫色の血溜まりに同色のしぶきを飛ばす。
「ぅ……」
倒れていた少年が意識を取り戻したのはそれとほぼ同時だった。
年の頃は恐らく15か6かそのぐらいだろうか。倒れている姿を見ただけでも小柄な方だというのが分かるぐらいの身長で全体的に作りが小さく、その体と中性的な顔立ちとが相まって少女のように見えなくもない。
その少年が私に気づいた。
少し長めのおかっぱ――というのかストレートというのか――の下、髪の色と同じダークグレーの切れ長な瞳が向けられる。
「あなたが……」
言いながら自分がどうなっているのか気が付いたのか、慌てて立ち上がろうとして顔をしかめて倒れ込んだ。
「大丈夫か?」
左足の膝の下、ゲートルで纏められたふくらはぎの辺りから滲んだ血が、シミとなって足首の方へ広がっている。
「だ、大丈夫……です……」
とてもそうとは思えない声で答えながら、肩から下げられた小さな鞄に手を突っ込むと、中から小さな薬瓶を取り出した。
サイズといいシルエットといい、250mlのペットボトルに似たそれの中に入っているライトグリーンの液体を一息に煽ると、大きく息をつく少年。
恐らくもう痛くなどないし、出血も止まり傷も塞がっているのだろう――頭の中の知識がそう教えている。
「驚いたな。魔術薬師か」
魔術薬=この世界に存在する魔術を転用して作られた薬。
この世界にも薬学は存在するが、薬草などから精製される薬品に製造過程で魔術を用い、その効果を劇的に高めるための技術を持つ者を魔術薬師と呼ぶ。
「ええ、まあ……僕はまだ見習いですが」
そう言って照れ臭そうに笑いながら、少年は近くに転がっていた自身の身長ほどある杖を拾い上げる。
見習い――その言葉が嘘でないことを表している杖の頭につけられた、彼の顔ほどある大きさの青銅の輪飾り。
中央に翼を開いた鳥を象った青銅板があしらわれたそれが何なのかも私の頭には刻まれていた。
「高等術官か……」
海の向こう、魔術で知られたファス王国における最上級の魔術師。青銅の輪飾りを備えた杖は、その見習いを表すものだ。
この少年もそんなエリートの卵なのだろう――私のその呟きが聞こえたのだろう瞬間、一瞬だけ表情が曇ったのは気になるが。
「……どうした?」
「あっ、いえ!ありがとうございました。危ない所を――」
「ああ、いや。気にしないでくれ」
こうして面と向かって感謝されるというのにどうも慣れていない。
「ただの正当防衛だ。気にしないでくれ」
そうだ。ただ奴らのうちの一匹が私に向かってきたからそれを迎撃しただけだ。他の連中が逃げ出したのは偶然に過ぎない。そもそも彼がどうなろうが助ける気はなかったのだ。
――その事実が、若干の後ろめたさになっていて、頭を下げる相手から無意識に目を逸らした。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に