壁の町3
「迷子か……どんな子?」
「女の子だ。背中まである鳶色の髪をした、これぐらいの」
そう言って男が手で示したのは、確かに先程まで話していたシルエットぐらいあるだろ高さだった。彼より低く、大体スイと同じぐらい。
「さて……知らないな」
「そうか……。少し中を見せてもらってもいいかな?」
松明に浮かび上がった男の顔に、一瞬だけ疑いの表情が見えた気がした。
断る理由も思いつかない。いや、理由はあるのだが、それを隠せるもっともらしい理由が見つからない。
「まあ、どうぞ。私はここの所有者ではないけどね」
中に男を招き入れながら上手いこと追い返す口実を考える。
「真っ暗だな」
「……一日中山道を歩いていたんだ。すっかり眠り込んでしまって」
言ってからはっとする。男が私のそれの理由=腰の刀帯に目を落とす。
「ふぅん……それはそれは」
「仕事柄、こういう装備をしたままどこでも眠れるように癖をつけていてね」
それでどこまで納得してくれたかは分からない。
少なくとも、温かくなった筵や藁束がどこにもないという事に気づかれたら終わりだ。
「……ところで」
だからこちらから仕掛ける。
「その迷子はバスティオから?」
「ああ。そうだよ。俺たちもバスティオから追ってきてね」
「ふぅん……」
いい具合にとっかかりを作ってくれた。
「バスティオの城門は閉じていると思ったが……」
男の動きが止まる。
松明がパチリと音を立て、腕を広げるような姿勢でその持ち主が振り返る。
「ああ、その事か」
大した問題じゃない。別に何でもない――そう思ってほしいと全身で表している。
「俺たちはバスティオの人間じゃないんだ。あの町に上客がいるだけの行商さ。町の外にキャラバンで到着したんだが、その上客から迷子探しを頼まれてね、世話にもなっているし、引き受けたって訳さ」
それまでと明らかに異なる態度――へたくそな演技。
「ああ、あなた方は行商か」
「そうだよ。だから門の中には――」
「それは良かった。明日の朝、仲間と城門前で落ち合うことになっている。そいつが是非とも見てもらいたい代物を仕入れてきているらしいんだが、城門が空く時間に尋ねて行ってもいいかな?名前を教えてもらってもいい?」
適当な話をでっちあげ追い詰めていく。
男の眼が露骨に逃げる。
「あ、ああ……えっと、ソ、ソルベイヤーだ。ソルベイヤー商会。俺はそこのマーキスという」
適当な名前を思いついただけでも機転が利くと考えるべきだろうか。
明らかに余裕がなくなった男の視線は早く、一刻も早くこの場を立ち去りたいと必死に訴えている。
「あ、あ、ありがとう!ここにはやはり来ていないらしい。どうもお邪魔した」
うわずった声で早口にそう言って、彼は出ていく。
扉の周りに集まっていた連中に何かを早口で伝えると、彼らとともに城門の方へと去っていった。
「……ふぅ」
ゆらゆら揺れる松明が見えなくなるまで見送ってから、小さくため息を吐く。
恐らくはデンケ族だろう。そして城壁の外に出たのは脱出用の穴を使ったか。
少なくとも、どうして門が閉まる時間に外にいたのかを正直に話すことのできない立場の人間であることは間違いない。
そうした追跡者たちの気配が消えたことを確認して水車小屋の中に戻ると、少女が飛び込んだ筵の下の床板を踵で何度かノックする。
「もう行ったよ」
そう付け加えてやるとごとごとと足元で音がして、それから床板が持ち上がった。
「すいません……助かりました……」
小屋の中に明かりを灯してから彼女を迎え入れる。
成程、今の男が言っていた通りの特徴のある少女だ。
光に照らされて琥珀色に光っている瞳が不安げに私を見ていた。
「連中、デンケ族だな」
少女が無言でうなずく。
「バスティオで何があった?」
それには何も返ってこなかった。
いや、何も返ってこないという答えが返ってきたというべきか。
少女は筵の上にへたり込み、じっと床に目を落としている。
「……無理に聞こうとは――」
「……いえ」
かすかに聞こえる川の音よりも小さい声が漏れ出るまでかかった時間は、果たしてどれぐらいだっただろうか。
「私は……連れてこられて……ラチェの……」
「ラチェ?」
「私は父とラチェの森に入っていました。父の研究の手伝いを……その時……私……ああ、お父さん……」
それきり少女は何も言わなくなってしまった。
ただその場に崩れ落ちて泣き続けている。
「……」
その間何度か声をかけてみたが、その全てが無駄に終わった。
推測:彼女は父とともにラチェの森に入り、そこで何かあって彼女ら、或いは彼女一人がデンケ族に拉致され、そしてここまで逃げてきた。
「まあ、無理には聞かないよ」
私は彼女を助けに来たわけではない。
翔馬一行を追い、スイの安否を確認する――それだけで手一杯だ。追手に突き出さなかっただけでも十分協力したことになるだろう。
「明日は門が開くと同時に町に入る。別に君の事を密告したりはしないから安心してくれ。それじゃ、お休み」
それだけ一方的に伝えて明かりを消し、適当な筵の上に寝転んで、隅に転がっていた藁束を体の上にかき集めて目を閉じる。刀帯とナイフは枕もとへ。先程はあんなことを言ったし、恐らくやろうと思えば眠れるのだが、必要がない。少しでもいい環境で寝たいと思うのは何もおかしなことではない。
そうしていると、我ながら薄情なものだが、少女のすすり泣きを聞きながらでも問題なく眠れた。
「ん……」
朝の冷気が藁束の中まで入り込んできて目を覚ます。
外はまだ東の空がうっすらと明るくなってきたばかりだった。
「朝か……」
体を起こすと、視界の隅で同じように動く影を認める。
「私はそろそろ行くよ」
そちらを振り返らずにそう言って刀帯を腰に巻く。
「あの……」
「え?」
「ありがとうございました」
そう言われて振り向くと、どうやら泣き寝入りしていたらしい少女は、その睡眠がいくらか落ち着きを取り戻させたのか、こちらをしっかり見つめて深々と頭を下げていた。
「気にしないでくれ」
と言ったはいいが、なんとなく静かな朝の空気の中では沈黙が気まずい。
「……君はこれからどうする?」
「ラチェに、父の知り合いの方がいらっしゃいます。その方を頼ってみます」
硬く、泣きそうな声ではあるが、本当に泣いてはいない。昨日に比べれば十分回復した。
「そうか……」
「あのっ……」
もう一度改めての呼びかけに立ち上がりながら振り向くと、こちらを見上げながら彼女も私を追うように立ち上がった。
「バスティオは危険です」
「……そのようだね」
警告はありがたいが、それでも行かねばならない。
「仕事でね、どうしても行かなくちゃいけない。それに、知り合いがあそこの町に入ったようなのでね」
「ッ!?」
私の言葉――主に後半部分が彼女の中に響き渡っていることは一瞬見るだけでも分かるほどに明確だった。
「その人も拉致されて……!?」
「いや、聞いた話じゃ、随分平和的だったようだけどね。君はそうではなかったの?」
少女の眼が再び床に向く。
まだ話せるほどには回復していないか――その見込みはすぐに裏切られた。
ごく小さい声だったが、少女はぽつぽつと言葉を――というより単語を――漏らし始めた。
「私、父と……ラチェの森に……」
「ラチェの森って、あそこにはモンスターが随分いたはずだが」
私が口を挟むと少女もうなずいた。
「父は……何か人工的な……それを調べているうちに突然男たちが現れて、武器を向けてきて……。それでトンネルに連れていかれて……バスティオ……繋がって……」
驚きの事実:バスティオとラチェ東の森はトンネルで繋がっている。
だとするとこれから向かうというラチェの知人も危ない気がするが、だからと言って彼女一人で逃げられる場所など知らない。
そのことに気づいているのかいないのか、少女は途切れ途切れではあるが話を続ける。
「デンケ族の屋敷……地下に……他にもたくさん、人が……」
どういう事だ?
デンケ族とはいったい何者だ?
「一度衛兵が……でもデンケ族の男たちと口論になって……男たちが『訴える』とか『迫害を告発』とか言い出して……結局衛兵たちが帰って……」
迫害を告発。およそ現在進行形で迫害を受けている側が迫害を受けている場所で迫害をしている側に対して使う表現ではない。
それを行うにはそこから離れるなり何らかの手段で自分の安全を確保しておく必要がある。
それをせずにその発言をしたという事はつまり、今バスティオでは衛兵はデンケ族に強く出られない=これから乗り込むあの町でデンケ族に連中に逆らうものはいないという事だ。
「デンケ族は笑っていました。『ここでは俺たちが法律だ』って……。私たちは血を取られて……何かの調査が……、それで父は“貯蔵庫”とかいうところに連れていかれました……。その直前に私は、父が見つけた……警備の隙から逃げて……」
不穏な単語がいくつも出てくる。
血を抜かれた何らかの調査、貯蔵庫とかいう場所に拉致した相手を送る。
自分の手が真っ白になるほど強く握りしめられていることに気づいたのは、彼女がそこで言葉を切った時だった。
そしてその時頭に浮かんだのは、鮮明なスイの顔だった。
(つづく)
今日はここまで。
続きは明日に。




